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因果応報か?(補足)
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    ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

     

    昨日の記事の終盤の『「因縁、因果」にまつわるキーワードを3つ示す。それは「宿命、祖先、本能」というもの』というくだりを理解するためのヒント。賢明な方々は既にお察しのこととは思うがこれは「順列」を表しており、それぞれ「優、良、可」と解することも可能・・・とするのは早計で、実は「優、良、不可」であったり「優、可、不可」も(それ以外も)有り得るというのが正しい。そういうことだから「頭で考えると精神をやられる」と言わざるを得ないのだ。人間はもっと「自らの良心こそが因縁、因果を抜本的にコントロールするための最強ツール」であることを理解しても良いのではなかろうか。

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:12 | comments(0) | - |
    因果応報か?
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      ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

       

      「因縁、因果」を頭で制御(コントロール)することは100%不可能だ。何故ならそれらは非常に多くの複雑な要素で構成されているにも関わらず、要素の内で目視で確認出来るものは極々一部に過ぎないからだ。

       

      では「因縁、因果」にどう対処(アプローチ)すべきか?それは論理を理解し、論理に従うしか無い。何故なら「因縁、因果は論理で運用されている」からだ。しかし困った事には今度は「論理」自体が何のことだか分からないと言う。

       

      「論理」とは(人智を超越した)この世の仕組み(の内人間に感覚出来る部分)の事であって、となれば論理を理解し論理に従わない限り、誰しも漂流し難破の憂き目に会うのはむしろ当然と言える。何故なら(この世の)仕組みに反する生き方自体がそもそも(この世では)成立しないからだ。(但し結果には段階と時間差が伴うため要注意。)

       

      論理とは頭で考えるものでは無く、あくまでも「理性」で感覚するもの故、単に(理性の顕在化としての)「良心」に従っていれば、その人の生き方は多分に「論理的」と言える。(但し良心=お人好しとは限らない。)

       

      ここに「因縁、因果」にまつわるキーワードを3つ示す。それは「宿命、祖先、本能」というものだが、因みにこれらを頭で考えてどうなるものでも無く、むしろ場合によっては精神に異常を来たす事さえ有る。(事実そういう人を何人も見てきた。)

       

      繰り返しとなるが「因縁、因果」をコントロールするには「理性を保ちつつ良心を働かす上で論理に従う」しか無い。

      | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 10:30 | comments(0) | - |
      神は人間に嘘をつく?
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        ※ 以下の記事には霊的内容が含まれますので、関心の無い方、嫌悪感をお持ちの方の閲覧はお薦め致しません。

         

        この問いを正しく理解し、且つ正しく答えられるのは、現在「ほんのひと握りのごく限られた人たちのみ」と思われますが、何れ多くの人々の共通認識となるでしょう。そして更に言えば、この問いの真の答えこそが、私たち人間の「有るべき姿」を明確に示唆するものである事は間違い有りません。何故ならこの答えは(逆説的に)「人間とは何か」あるいは「有るべき社会とは」の答えを想起させるものであろうからです。

        | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 08:28 | comments(0) | - |
        すでに「何をやりたいか」ではなく「何をやるべきか」の時代に突入した。
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          「何をやりたいか」に於いてはニーズよりも好みが優先される一方で、「何をやるべきか」では好みよりも「ニーズに応える」ことが優先されるのは言うまでも無い。しかもその際重要となるのは社会なり相手方なりの「ニーズを識る努力を怠らない」ということで、そこが的確でなければ到底ニーズには応えられないのは自明の理だ。

           

          話を転じて現状の新型コロナウイルス対策であるが、社会に「何をやりたいか」の空気が蔓延している内は(今のように)非効率で遅々として進まないのは当然だろう。何故なら真のニーズを識る努力が行われないため、的外れが多発するからだ。(人の命に関わるというのに・・・だ。)しかもそれでいて的を外しているという自覚すらも持てない。何故なら「やりたいこと」と「やるべきこと」の区別すら付いていないからだ。

           

          日本は過去数十年にわたって「やりたいこと(=自分の意思)を持て!」みたいな教育を行なってきた結果、その弊害として「やりたいことが無い人は意思の持てないダメ人間」的な空気感が醸成されてきた。だが今となってはこうしたことは明確な間違いと言える。そうではなく特段やりたいことなど無くとも今々の「やるべきこと」を理解することの方が遥かに重要に決まっている。そしてそれを自分の「やりたいこと」もしくは「なりたい人」として目標化した方が、遥かに世のため人のため自分のための充実した人生を送れると思う。

           

          やりたいことなどどうでもいいから、今やるべきことを理解すべし!

          | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:21 | comments(0) | - |
          ありとあらゆるズルさが炙り出されて行く時代
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            一昔前までは、人間のズルさ(=狡さ)があたかも「上手く生きるための知恵(戦略?)」でもあるかのように受け止められ、さも「物事に長けた人間」であるかの如く錯覚を以って評価されていたが、今やその手のズルさは単に「醜悪」であって「馬鹿の見本」としか誰の目にも映らなくなってしまっていることが、多くのネット上の書き込みや世論の動向からも明らかである。(「馬鹿」の定義は前回4/16の記事を参照の事。)

             

            この傾向は皮肉にも新型コロナウイルスによる緊急事態宣言以降、益々以って顕著となっている。それもそのはず、今社会で何より求められるものは純粋に「人間性」であり、望むらくは「利他の心」であって、評価の対象が「個々の責任能力」に他ならないからで、これらは何れも「ズルさの対極」と言えるものだ。(もはやズルさは不快と嫌悪の対象でしかなく、誰も望んでいない。)

             

            よって今後の世界はこうした(人本来の)精神性、能力をいち早く発露させ、優れた論理性を以って人々の賛同を得ながら物事を前に進めて行ける者のみがリーダーシップを発揮すると共に、未だズルさを有した人々にあっては、自ずと行き場や居場所を失って行くハメになろう。

            | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 07:59 | comments(0) | - |
            いよいよ世の中「馬鹿ばっか」
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              「馬鹿→まじか」と読む。「まじか→間近」のことで、即ち世に言う「馬鹿」とは本当は(知能が劣るという意味では無く)「間近を知らない者」の意である。また「間近」とは言い換えれば「自分の足元」もしくは「一寸先」のことで、それを知らないということは、仮に足元が不安定であっても一寸先の視界が得られなくてもそのことに気付かず「警鐘が鳴らない」ということになり、それこそ「痛い目に会うまで分からない」または「死ぬまで分からない」という結果を招くこととなる。何故(ある程度の知能を有するのに)そんな状態に陥ってしまうのかと言えば、その人間の「欲得」によって醸成された「固定観念」が、生存に必要なセンサーを無力化してしまい、危険を認識出来なくしてしまうからで、そうなれば遠目はおろか直近の景色まで「幻想」に覆い尽くされてしまう。これは例えば車の運転中に「有るはずの道が見えず、無いはずの道が見えてしまう」様なもので、とどのつまり「馬鹿」とは、そのような状態を指す「警鐘」の意味を持つ言葉であって、同時にその様な場面での用法が正しい。となれば「馬鹿」と言われて恥を覚え感謝こそすれ、逆に憤りを覚え恨みに思うなど、本来「筋違いも甚だしい」と言えるだろう。そして少なくともそういう考え方、生き方をしない限り、この先の身の安全は保証されないこととなろう。

               

              そういえば今朝ほども「馬鹿」のニュースをやっていた。横浜市の職員が、新型コロナの感染者が出た保育園の園長に口止めをして保育園の継続を指示していたという話。良心の呵責にたまりかねた園長が独断で(口止めを無視して)保護者に通知し、事無きを得たらしいが、この横浜市の職員の言い訳が傑作で「対応が不十分だった。」との事だが、ハアッ?違うだろ。それを言うなら「対応が大間違いだった。」でなければならないし、そうでなければ反省したことにならない。よってこの男はせっかくの信頼回復のチャンスを自らふいにして、一生「信頼の置けない男」としての看板を背負って生きていくハメになってしまった。(不十分=八割方は正しいという意味!)また、その件について横浜市長なども「モゴモゴ言っている」だけで、こちらもお話にならない。

               

              ということで、皆さん、他人はともかく自分が「馬鹿に陥らない」様にがんばりましょう。

              | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:00 | comments(0) | - |
              今後に必要とされるイメージ
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                我々は「二度と再び元には戻れない」であろうし、また戻る必要も無く、少なくとも「あの栄光をもう一度!」などといったイメージは、むしろ正常な判断を狂わす要因にすら成り得るでしょう。その意味で我々は今や(好む好まざるに関わらず)嘗て無い「全く新しいイメージ」のもと、「全く新しい世界」を目指すことを余儀なくされていると言っても過言では有りません。いや、それはもしかすると我々が過去数千年にわたって「心の片隅で密かに温め続けてきたイメージ」かも知れませんが、ただ歴史的に一度も顕在化することが無かったという意味に於ける「新しさ」なのかも知れません。

                歴史的にこれほどの大事であれば、当然それに伴う「生みの苦しみ」も一際であって、波状的に襲い来る災いによって、凡そ不条理なものの全てが破壊し尽されることも視野に入れておく必要があるでしょう。(何故なら不条理=非論理=永続不可だからです。)

                 

                今、この瞬間に我々の成し得ることは限られています。それは来たる未来への足掛かりを一つ一つ着実に正確に打ち込んで行くことです。その目安となるイメージは無論「みんなで良くなる。みんなで良くする」であり、「おかしいことはおかしいし変なものは変」と感じるセンスでしょう。

                | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:36 | comments(0) | - |
                コロナ対策は各自「論理に従い常識に照らして判断すべし」
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                  例えば「感染を防ぐ」という一点に関して言えば、論理的には「(絶対に安全な人以外の)他者との接触、接近をしない」となるはずで、具体的には「一切誰とも会わない」という行動となります。何故なら私たちには「誰が絶対に安全な人なのか知るすべが与えられていない」からです。ゆえに私たちは「感染防止(=自他の生命)」を最優先にする限りに於いて「誰とも会わない様にする」というのが唯一無二の理想的な選択肢となります。

                  重要なことは「決してこの本筋から逸れてはならない」ということです。

                   

                  一方で私たちは上記の大原則を踏まえたとしても、それとは別に「どうしても他者との接点を持たなければならない場合」が生じます。それは自他の生命と生活を維持するために最低限必要な行為、行動と言えます。

                  まず家庭内で同居する家族、身内の人々との接点を絶やす事は事実上不可能なので、こうした場合は世帯単位で「大きくひと括(くく)りの個人」とみなすしか有りません。(俗に言う「運命共同体」という概念が正しいというのでは無く、現実的にそうなっているということです。)

                  あとは「生活物資の買い出し、配達品の受け取り」などに於ける最低限の接触ぐらいであることが、ここ数週間の経験上判っており、その辺りの接触回数、接触時間などを如何に減らしていけるかについては、各自の工夫が求められるところと思われます。

                   

                  ここまで読み進めて「仕事や学校の話が欠落している」と感じる向きもあるかと思われますが、これらの組織に属している場合に重要な事は、何らかの強制力を持つそうした組織が「現時点でどれだけ生命の安全を保証してくれているか」を、考慮する必要が有ります。仮にもし「不十分」と感じ、その指示や方針に従い続けることに「不安を覚える」とすれば、(他人はどうあれ)一旦立ち止まって今一度、組織と自分との関わり方を考え直してみる必要が有ると思います。何故なら「自他の生命を優先させる事は常識」だからです。

                  その際「固定観念は禁物」です。健闘を祈ります!

                  | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:18 | comments(0) | - |
                  何故「自粛要請」にも関わらず多くの若者や人々が「ウロウロする」のか?
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                    これは「経済至上主義」によって「国民教育」の一環として無意味な消費行動をあたかも「善徳行」であるかの如く刷り込まれて来た結果なので、急に「ヤメろ!」と言われてもやめられないのは当然。言っておくが「豊かな生活」というのは華美で刺激的で珍しいものを見聞き飲み食いすることとは無関係で、生きる目的自体が「豊かな精神性」に基づいているということだよ。即ち国がそのような国民教育を行ってきたなら国民は黙っていても危機意識を共有し自ら率先して「適切な行動」を取れるものだ。

                     

                    いささか「手遅れ」の感は否めないが、これを機に日本国は「もっとまともな国民教育」に勤しんで頂きたい。

                    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:26 | comments(0) | - |
                    価値観の「180度逆転現象」が始まっています。
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                      それらは多くの場合(事態の切迫する中で)45度ずつ二転、三転した後、気が付けば180度逆転という経過をたどるでしょう。道理に従おうとする気持ちが多少なりともあれば、必ずそうなります。その際「過去への執着は禁物」です。その場合悉く判断を誤ることになります。何故なら「二度と過去へは戻れない」からです。

                       

                      以下、参考までに「価値観の逆転」に関する過去記事を再掲します。

                       

                       

                      ※過去記事再掲始め

                       


                       

                      ◎ 近い将来「価値観」が180度逆転します。(2016/11/06の記事)

                       

                      社会には様々な価値観が存在していますが、その中でも民族的特徴や風土的特色、国や地域社会の歴史的経緯や周辺との関わりなどにより、社会の中に「大方に依る一定の合意」即ち「固有の文化」が形成されて行くものと思われます。

                      しかし「文化」は必ずしも前述の様に「合理性」に基づいた自然発生的なものばかりとは限らず、「支配者や権力者」たちの都合の良い方向で意図的に作り出される事例もまま有るように思います。それらは当初は「降って湧いた様な話」で明らかに異質なものであっても、やがて徐々に拡がり(広まり)を見せ、いつの間にか周り中その色合いで塗り尽くされてしまえば、人々はあたかもそれが「合意のもとに自然発生的に形成されたもの」の様に錯覚させられてしまうことでしょう。

                      それについては「リテラ」に(ディズニーに関する)興味深い記事が掲載されています。

                      記事はこちら→ http://lite-ra.com/2016/11/post-2672.html

                       

                      一般的には「物の価値」は社会的合意によって決定付けされている様に思います。それは単純に「需要と供給」の関係で、そこでは需要が多いということ自体が「価値が有る」ことを示し、更になおかつ供給が少ないものを「価値が高い」などと評します。

                      食品や衣類、住居など「生きるために必須のもの」であれば確かにそうでしょうが、それではディズニーランドやスポーツ観戦、映画や演劇、コンサート鑑賞、海外旅行や世界遺産巡りなどの「価値」とはどのようなものなのでしょうか。(これらは生活必需品目では有りません。)

                       

                      よく考えるとこれらの「心の栄養?」とでも言ってのけられそうな需要は、スポンサー広告やテレビ番組による特集、またはニュース番組のトピックスなどメディアを駆使した「誇大な広告宣伝」の効果として生じています。(ゲームや○○ブームなど「トレンド」と言われるものの大半がそうです。)

                      ですからそれらを「文化」や「社会的合意」とするのは正確には誤りであって、実際にはごく限られた人たちの限られた目的による煽動、喧伝によって「意図的に作られた需要」であり、もたらされた「価値観」と理解するのが正しい様に思われます。

                       

                      何故なら、これらの何れにも本質的に「心の栄養」となり得る要素は乏しく、むしろ「自己満足、ストレスの捌け口、束の間の現実逃避」的な効果ばかりが際立つからです。(「心の栄養」とは、自らの人間性、社会性を向上させ、それを実生活や実社会に反映させ得るだけの学びの要素が不可欠で、単なる「リセット」のことでは有りません。)

                      例えば、何故ディズニーランドに行くのかと問われれば(大人の場合)「リセットが必要」というのは、海外旅行やその他の趣味でも同じでしょうが、では何故リセットの必要が生じるのかと言えば、おそらく「自分がこんなで世の中がこんなだから」という答えにしかならないでしょう。

                      しかし「自分と世の中がこんななのはどうして?なんか変じゃない?」というところまでは中々思いが行き届かないのが現実だと思います。

                       

                      これまで私たちは社会の「表の顔」しか知らされていませんでしたが、ウィキリークスやユーチューブなどを初めとする様々な情報の入手手段によって今後は「表の顔」と「裏の顔」を同時に知り得る機会が多くなっていくことと思います。(それは同時にメディアの歴史的、構造的な欺瞞性が証明される結果ともなります。)

                      その上で(社会的通念として)「全てに於いて表の顔はインチキで裏の顔が真実だ」ということにでもなればそれに伴い、当然物事の価値は180度逆転します。

                       


                       

                       

                      ◎ 物事の価値観が180度変わる(2017/03/25の記事)

                       

                      その瞬間が刻一刻と近づいています。これは単に「価値観が変わる」ではなく、180度とするところに意味が有ります。何故なら「物事の根源的な理解」が覆(くつがえ)るからであり、それによって「社会常識」全般も覆ることになるからです。

                       

                      「根源的な理解」とは例えば、宇宙とは何か、に始まり、地球とは、世界とは、国とは、人間とは・・・と続く本質的な事物に対する理解のことです。しかしこれらを一つ一つ分けて考えることに余り意味は有りません。これらは或る一つの認識をきっかけとして同時に置き換えられる関係性にあると思われます。

                       

                      この「(世界的な)価値観の劇的な転換」がどのようにしてもたらされるのか、具体的に示すことは多分困難です。何故ならこれは何千、何万、或いはそれ以上の途方もなく多くの(特徴的な)事象が複雑に絡み合い・・・というより影響を及ぼし合い、融合を重ねながら進められて行くであろうからです。つまりこのような観点から、この事は「誰にも制御は出来ない」ということです。

                       

                      当たり前のことかも知れませんが、世の中は現状、概ね「マジョリティー(多数派)」とされる人々の価値観を主体として物事が進められていますが、それに対して(本質的な部分で)疑義を唱える「マイノリティー(少数派)」の人々も存在することは事実で、そのような人々への評価が「不適応者」「変わり者」ならまだしも「発達障害」「適応障害」などと見做される事すら有るでしょう。(例えば「嘘が決して付けない人」は発達障害でしょうか?)

                       

                      しかし既に前述の「価値観の180度転換」に向けた変化は、目に見えない形ではあっても着実に進んでいます。そこには当然「多数派と少数派の逆転」も含まれるでしょう。その中に於いて、最も危険なものは「固定観念」に囚われ続けることだと思います。

                      いつ、どの時点で「リセット」を掛けるかは、私たち個々の判断に委ねられていますが、早ければ早いほど良いでしょう。

                       


                       

                       

                      ◎ 価値観の逆転は仮想現実の終焉を意味する(2018/02/06の記事)

                       

                      人々の誤った価値観は、真実や事実の誤認によってもたらされますが、その真実や事実の誤認は「意図的に操作され作り出された誤った視覚、聴覚、体感情報それ即ち仮想現実」によってもたらされます。

                      具体的にはテレビの番組やコマーシャルで特定の物品に対して「みんな持ってる」「みんな大好き」と繰り返し連呼するだけで、それが「自分にとって必須の価値有る物」と視聴者側に感じさせることが出来、またそれと同じく特定の人物や職種、立場の人々を繰り返し持ち上げ高く評価し、さも価値有る人々あるいは権威有る人々であるかの如く謳えば、その人たちの言動は自ずと高い評価を以って受け入れられることとなるでしょう。

                      このように(自然発生的にではなく)人為的に操作され演出的に作り出された「真実や事実の裏付けを持たない価値観」に覆い尽くされた状況を「仮想現実」と言うことが出来、当然ながらそれは或る特定の方向に人々(=社会)を誘引することが目的のものです。

                       

                      例えば今や「スマホ社会」と言っても過言ではないほどのスマホの普及率の裏側では、かなり以前からその電磁波(マイクロ波=電子レンジと同じ)による人体への悪影響が懸念され続けていますが、仮想現実の日本社会では「(総務省からして)そうした話は無いも同然」として来ました。(学者や有識者や役人の判で押されたようなテキトーな話を真に受けて仮想現実を謳歌し続ける限り、今後も死人や病人が増え続けることとなるでしょう。)

                       

                      それから仮想通貨の暴落に留まらず、とうとう株式市場の暴落が始まったようですが、以前から申しているように「物理的な価値の裏付けのないお金に元々信用の根拠は存在しない」のが物の道理ではないでしょうか。即ち近年の株価の高騰はそれこそ「人々を何らかの誤認に誘導することを目的とした大掛かりな仮想現実」そのものであったと言えます。この先理想的には「お金は物理的な裏付けを有する本来の価値」まで戻るべきでしょう。そして株価もそれぞれの会社の本来の価値を表わす価格であるべきでしょう。

                       

                      こうして現在の「仮想現実」を演出している多くの誤った事象や認識のひとつひとつが陽光に晒され風化して剥がれ落ちて行くたびに、人々の認識が自ずと是正、修正され、正しい認識に基づく価値観が新たな社会理念を形成して行くこととなるでしょう。

                      それはもちろん「受動的な意味」ばかりではなく、私たちひとりひとりがそうした変化の中で「最善を尽くす」ことが求められることとなります。

                       


                       

                      過去記事再掲終わり

                      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 07:56 | comments(0) | - |
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