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「瓦解、崩壊」は急速に進行中?
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    どうやら当ブログに於いて元旦早々「今年は瓦解、崩壊の年」と予見した通りの事が起きているらしい。それもどうやら「瓦解、崩壊は最初に人の頭の中で起こる」らしい。

    顕著な例を挙げれば「内閣総理大臣・安倍晋三」その人がまさにそうだ。そうは思いたくなくとも(憲法違反も指摘される)「臨時国会冒頭解散」など最近の異常な振る舞いを見る限りに於いて、単なる「暴政(=乱暴な政治手法)」で片付けられない「異常性」を感じざるを得ない。(それに類する人々は世の中にも大勢いるが)何れもその特徴と言えるのは(客観的に見て)「前後不覚」に陥っているところだろう。それは取りも直さず「論理が完全に破綻している」ということだ。

     

    このようにまず「人の頭の中で起きた瓦解、崩壊」は、その後急速に実際の形となって現れて来るはずであるから、僅かでも「異常」を感じた者は、その時点で巻き添えに合わない様、直ちに可能な限り距離を置くべきである。つまり「緊急避難」の必要が有ると言っているのだ。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:46 | comments(0) | - |
    巨悪の根源とは
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      「巨悪」とは、継続的に社会の広範囲に害悪を及ぼし、その健全な維持、発展を著しく阻害する人、組織、存在のことを指します。その影響力は大変なもので、場合によっては国全体を荒廃させ、時として破壊、滅亡に追い込むことがあるかも知れません。それらは一般的には「政治力」そのものであったり、或いは「政治力との深い結びつきを持つもの」であったりします。

       

      こうした「巨悪」の根底にあるものは何かと言えば、実は究極の「自己中心思想」に他なりません。即ち「巨悪」とは単なるゴリゴリの利己主義者の集まりで、その目的は「私利私欲」を満たすことに尽きると言え、そこにあるキレイ事やお題目は、保身のため、社会の目を偽るための単なるカモフラージュに過ぎません。

       

      ところで社会に「巨悪」が台頭し、幅を利かせるためには一つの条件が有ります。それは社会全体に「思想の紊乱(びんらん)、道義の廃退(はいたい)」が蔓延していることです。それは分かりやすく言えば、社会に於いて「多くの人たちが自己中心思想に染まっている」状況が有り、すでに所謂「エゴイズム」がまかり通っている状態であるということです。

       

      どうすれば社会がそうなってしまうのか、それは「自己主張、自己顕示は必要だ」或いは「物欲や金欲を持つのは決して悪いことではない」など、あえて人々の誤解を招き、誘発させるような方法で(マスメディアを使って)マインドコントロールし続けることで、簡単に実現出来るでしょう。何故それらの主張が正しいとは言えないかというと、それでは社会の構成に必須である「個々の繋がり」が希薄になるのは明白であるばかりか、人々が敵対し合い分断されてしまうからです。(日本の現状は既にそうなっています。)それを仕掛けるのはもちろん「巨悪」です。

       

      これらの事を逆説的に言えば、社会の人々が「自己中心思想」に陥ることなく、己の利益追求に汲々とすることさえなくなれば、「巨悪」が台頭することもないということになります。要は私たちの社会に蔓延する「思想の紊乱、道義の廃退」が(好き好んで)巨悪を招き入れたと言えなくもないということです。

      ですから、ここで私たちは改めて「自己中心思想=反社会的思想」であり、結果的に如何なる意味合いに於いても(人間という社会的な生き物である)自分自身を苦しめ、自滅の方向へ向かわせて行くものでしかないことを再確認する必要があると思います。

       

      つまり「巨悪」とは徹底した「自己中心思想」、対して「小悪」は中途半端な「自己中心思想」であって、何れも「自己破壊(=自滅)」の論理から逃れられるところのものではない、ということです。

      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:37 | comments(0) | - |
      「世の中(概ね)これでいいんだ」という安易な考え方
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        誰しも「安定」を望むのは当然で、身近な事では「安定的な収入や生活」、政治的には「安定的な外交政策や経済政策」などが求められる事となる訳ですが、何れにしても肝心なことは、個々の人々に「現状がどのように映っているか」ということだと思います。

        何故なら、基本的に現状維持を望む「保守的な人々」にあっては、(100%満足とは言わないまでも)「安定している」または「安定の道筋は付いている」のように映っているに違いなく、一方で大幅な改革を望む「革新的な人々」にとっては、現状は「容認し難い不安定要素に満ちている」或いは「そうなりつつある」と、強く感じているに違いないからです。

        しかし困ったことに、双方共に望んでいるものは同じ「個人の安定、社会の安定、世界の安定」に他ならないとすれば、いわば「論点は同じ」訳で、それがどうして「変えろ/変えるな」「やめろ/やめるな」などと、真っ向から対立しなければならないのでしょうか。

         

        人によって「現状認識」が異なるのは、一つには「置かれた立場の違い」によるものが大きいと思います。

        例えば、政府が「金持ち優遇」の政策を行えば、お金持ちはその政権を支持し、片や貧しい人々は大いに反発するでしょうが、それではその中間的な立場の人々はどうかと言えば、自分たちにとっては「可もなく不可もなく」ということで、結局「黙認」の形となるでしょう。何故なら「争うリスク」よりも「曲りなりの安定」の方がより「安定的」と言えるからです。(こうした選択の極端なものに「泣き寝入り」がありますが・・・。)

        つまり人は自分が「先行き有利」と感じれば、社会は「安定的で肯定的」に映り、反対に「先行き不利」となれば「不安定で否定的」としか感じられず、何れも「置かれた立場の安定性」に基づいた認識でしか有りません。

         

        しかしこの「置かれた立場」という自己認識自体が絶対的な意味を持つものではなく、極めて主観的でまた、外部から(教育や洗脳によって)どうにでも変える事が可能となる、非常に不確かなものと言わざるを得ません。

        例えば格差社会の元となる「能力偏重主義」の下では、「(他者より求められる)期待値の有無=社会人としての優劣」に直結し、また「全体主義教育」の下では、「他者との違い(=個性)」そのものを「有害物」として排除され兼ねません。反面「温情に乏しく戦略に長けた人間」を「有能」と評価することも決して稀ではないでしょう。

         

        このように自ら「自分はダメだ」とか「自分はせいぜい中くらい」など、自己評価と言えども(暗に)他人の評価の影響を受けている場合も少なからずあるはずです。そしてそれらの教育や洗脳の類は教育現場に留まらず、日常的にテレビや新聞、ネットなどによって、「耳寄りな情報」という形で送られ続けていると見た方が良いと思われます。

        何故なら近年、政府が(半ば公然と)テレビや新聞の内容に対して介入していることが、しばしば伝えられるようになったからです。(即ち「偏向報道の強要=洗脳の意図有り」ということです。)

         

        何れにしても、「自分の損得のみ」で世の中の是非を語って良いわけはなく、またそれが許される時代でも有りません。世界であれ国であれ地域であれ、様々な人々の様々な立場を熟知し、最終的に「みんな(=全員)に良い」方向を目指そうとしない限り、そもそも論ずる資格すらないと思います。

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:42 | comments(0) | - |
        日野氏に対するリテラの正論出ました。
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          以下に今回の一件に関する「リテラ」の記事のリンクを貼って置きますので、ご一読をお勧めします。

          記事はこちら→ http://lite-ra.com/2017/09/post-3434.html

           

          この場合の「正論」とは、主観に捕らわれず、目的に対する論理性によって物事の是非を判断しようとする在り方と言って良いと思います。

          そうした観点で言えば、ここでの目的は「ジャズ演奏の指導(=音楽教育)を通じて子どもたちの健全な育成を目指す」ということになるはずです。となれば論点は当然、今回の日野氏の指導が先ずは「子どもたちの健全な育成」という観点からどうなのか、ということが最大の焦点となり、百歩譲っても「演奏の出来栄え」がそのことよりも優先されるという事態があってはならないと思います。

           

          それに加えてリテラの文中で引用されている八幡氏の説明にもあるように、ジャズ(の基本的な精神性と重要な構成要素)は<逸脱>と<回復>であって、これは平たく言えば「現場主義」ということとなり、具体的には「現場で何があろうとモアベターな対応で切り抜ける」として、そのために多くのスキルとエネルギーが投入される事で「ジャズをジャズたらしめている」訳ですから、そもそもがクラシカルな「予定調和」の世界と同様に語れるものでは有りません。(但し出来栄えを気にする余り、近年は一見現場主義風な予定調和も数多く見受けられますが、そのような構成物を純粋に「ジャズ」として評価して良いのかどうか、甚だ疑問の残るところではあります。)

           

          ただ、前回の記事でも書いた通り、私自身当日行われた演奏の流れを把握していないので、演奏に関する具体的なコメントが出来ないという立場に変わりは有りませんが、「ジャズ的にモアベターな着地点」を見つけることで「ジャズの指導と健全な育成」を両立させることは少なからず可能だったように思います。

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:50 | comments(0) | - |
          物事を「従来の延長線上」で考えてはいけない時代
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            当たり前のことですが、物事を「暫定的かつ限定的」に従来を継承し、その「延長線上」で考え、進めて行くことは有り得るでしょう。しかしそれはあくまでも「物事が行き詰まる前までの話」に過ぎません。

            明らかに「行き詰まり、手詰まり」の状態であるにも関わらず、なおもその延長線上に留まり続け、もがいたりあがいたり、或いはその状況を耐え忍び続ける事に何の意味もないばかりか、むしろ自己破壊的な病的行為とすら思えてなりません。

             

            例えば近年「死ぬほど辛いなら絶対に学校へ行くな」とか「そんな会社は今すぐ辞めろ」などと言われる様になってきたのもその一貫で、それはその通りだと思います。何故なら「学校へ行くことは子どもの権利」であり、会社(仕事)を選ぶことも国民の権利であって、断じて「続けることが義務ではない」からです。

            このように「行き詰まったら物事の論理的原点に立ち返って思考し行動する」ことが求められ、それが自分にとっても社会全体にとっても「後日良い結果」をもたらすと信じて構いません。何故なら、それ以上に「論理的で正しい方法」を思い浮かばないからです。

             

            その昔、一般的な自由主義経済の理論が「人間の際限の無い欲望という前提の上に成り立っている」と知って愕然となった覚えが有ります。つまり世界経済や複雑な経済システムが「人間の強欲」によって動かされているという話ですから、それでいったいどうやって世界平和、平等で公平な社会を目指そうと言うのでしょうか?少なくともその「延長線上」でものを考え続ける限り、無理難題(=非論理的)と言わざるを得ません。

            政治、経済に限らず、今やそういった「馬鹿げた話」は科学、産業、医療、教育など、社会のいたるところで蔓延っていますが、何れどこかの時点でリセットされる事となるでしょう。

             

            即ち、私たちの喫緊の課題は、今の内にそうした事態に対応可能な認識と心構えを養っておくことだと思います。

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:55 | comments(0) | - |
            「日野皓正氏中学生に往復ビンタ報道」について
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              この件の詳細についてはテレビなどでも繰り返し報道され、既に多様な記事がネット上にも溢れていると思われますので、ここでは特に説明したりリンクを貼ったりは致しません。(私心を含まない客観的な記事が少ないためもあります。)

               

              プロフィールにもある通り、私も音楽、それも演奏(アンサンブル)を生業としてきた者の一人として、この件に無関心ではいられませんし、そもそも「青少年の健全な育成」を目的とした当サイトでスルーして良い問題とは思えませんので、自分なりの見解を明らかにする必要が有ると思っています。

               

              ところが困ったことに、この件の一報を見て最初に感じたことが(第三者が判断するには)「情報が(余りにも)足りない!」だったのです。

              例えば事件の発端とされる「ドラムの子のソロが長すぎて」という状況説明にしても、具体的に「何分何秒」と示してもらわなければ客観的な判断の指針には成り得ませんし、本質的にはコンサート全体、それが無理なら少なくとも問題の「アンコール曲の全体像」を見てみなければ「該当部分の客観的判断は不可能」というのが偽らざる気持ちです。

              ※ 週刊文春デジタルが有料会員限定で「動画の完全版」を公開しているようですが、そうした報道姿勢は少し残念です。

               

              但し上記は「これは音楽的に(或いはジャズ的に)どうなの?」と問われた場合の話です。そうではなく、単純に「中学生に対する教育的見地、指導的見地としてどうなの?」ということであれば、それは「イジメや万引きをした生徒に鉄拳制裁、体罰はアリか?」という話と同様で、現時点では「社会通念上それはアウト」とされているものと私は認識しています。

              つまり要約すれば(客観的に見て)「音楽的是非の判断は出来ない」「教育法、指導法としてはアウト」ということです。

               

              ところで今回の報道を受けて、巷では「中学生が悪い」を基調とした「日野氏擁護論」が多数派となりつつある様ですが、その根拠として(音楽的には)「世界の日野vs金髪中学生」という(凡そ勝負に成り得ないという)対立的構図が有り、そこには「世界の日野を怒らせたんだから、中学生が(音楽的に)よっぽど悪いコトをしたに違いない」という納得の仕方もあろうかと思われます。

               

              しかしそうなると(意識の有無に関わらず)「教育法、指導法」よりも「音楽的見栄え、出来栄え」の方が優先順位として「上位」ということになってしまいますが、それでは常々問題にされる「一般的な成果主義に基づく教師の体罰、暴言」とどこが違うのか判りません。

              もしかすると「世界の○○」と付くと許されるといった「権威主義」ということなのでしょうか。

              余談では有りますが、この件についてはミュージシャンなど「業界に近い人々」ほど同情的で、また「忖度」も働き、「擁護論」に傾くことが多いと思われます。

               

              しかしそのような中、知り合いの優秀なトランペッターで日野皓正氏と古くから面識を持つ或る人物が語ってくれました。

              「ボクは日野さん大好きだけど、(動画を見て)アレ〜って思いました。だって日野さんああいう(コトする)人じゃないもの。」

              「すっごく優しい人だから、(ああいうコトは)しない、しない。絶対おかしい。あれ変ですよ。」

              この方曰く、「日野さんは昔からとても分別のある人」とのことです。

               

              この話を聞いて「それが今更何故?」というところにこの問題の本質と奥深さがあるように思いました。

               

               

               

               

               

               

               

               

              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 13:10 | comments(0) | - |
              進化論?・・・変化論だろう。
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                生物が環境に応じて徐々に機能の強化や退化を果たし、更に何世代か掛けてそれを固定化する。

                何故そういうことが起きるのかと言えば、あらかじめ「変化」の幅を持たせたプログラムが為されているからだ。

                だからもし、そういうプログラムの存在が無ければ、その生物は環境の変化を受けて死滅するしかない。

                このようにプログラムの範疇に於ける(=予め想定された)生物の変化を「進化」と認めるには違和感は否めず、ならばさしずめ「ダーウィンの変化論」というところか。

                 

                ※ 実際、科学者の認識としても「進化=個体群内の遺伝子頻度の変化」として定義されているに過ぎず、そこに生物的「進歩、向上、前進」という意味合いは必ずしも存在せず、あくまでも「環境との相対的関係」のみである。

                | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 12:47 | comments(0) | - |
                今、何が起きているのか?
                0

                  社会に於ける「思想の紊乱(びんらん)道義の廃頽(はいたい)」がこれに極まり、我も我もと無数の悪が乱立するに至れば、当然社会全体に明白な実害が生じ、それにつれて危機感が増大するに及び、如何に寛容で辛抱強い人々の間にも、さすがに「これはまずい」と、方向性の「是正、矯正」の動きが起きてくる。

                   

                  おそらくは身近な事、自分たちの手近な問題を何とかしようと思って問題提起してみれば、何とそれが国家を揺るがす様な「巨悪」に繋がっていたという話にまで発展し、今度はその「巨悪」を追求する内に、芋づる式に周辺から末端に至るまでの「大小無数の悪」が絡め取られていくさまを、私たちは目にすることとなっている。

                  つまり広くは「洗脳」、周辺に於いては「懐柔」によって、あらゆるものが繋がっていたということだ。

                   

                  何れにしても物事は「決まった通り」にしかならないし、それは「誰が勝手に決められる」というものでもない。

                  ただハッキリと言えるのは、一人ひとりが「やるべきこと」をやれば、物事は必ず「決まった通り」になって行くということだ。そして「それが何か」を見定めることこそが、その人間の「甲斐性(=価値)」と言える。

                   

                  何故「決まった通り」にしかならないのか?それが「最も法則に忠実な論理的解答(=正解)」と呼べるものだからだ。更にそれが「人間の範疇に存在するものか?」と問われるならば、「本来在るべきもの」としか言い様がない。

                  それが「理」という一言に集約されるものであるとするなら、もはや「無理の通らない時代」に突入したことを、私たち万人が推して知るべきだと思う。

                  | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:14 | comments(0) | - |
                  「神は存在するか否か」という基本的命題について
                  0

                    例えば「存在しない」とするなら(宇宙を含む)この世界のあらゆる構成要素の生成(それは当然「生命の起源」をも含むすべてということになるが)に対して「何らの意思も働いていない」という結論とならざるを得ません。

                    それは言葉を換えれば「すべてが確率任せの偶然、偶発的な出来事の結果の積み重ね」であって、どんなに論理的にバランスの保たれた状況があろうと、それも「たまたま現状が(幸運にも)そうだ」という意味でしかないことになります。

                    つまり「神の存在しない世界観」とは、(そうした意識の有無を問わず)そのように「圧倒的な刹那感」をベースとせざるを得ないということです。となればこうした場合の「バランス」とは当然、目的としての「共存」の意味を為さず、むしろ「自然淘汰(=真の安定?)」に向かうための一時的通過点と捉えたくなるのも合点がいきます。

                    ですから、そのような人々にとっての「生きる」というイメージが「覇権争い」そのものであるのは当然と言え、彼らが「我々にはその自由がある」と感じるのもこれまた当然ということです。

                     

                    一方でどうしても「元素→アミノ酸→タンパク質→生命体→進化→人間」という流れは理解出来ないでもないにしても、それらをすべて「偶然の出来事」とすることに、どうしても(心情的に)納得の行かない人々がいます。何故なら「そこに統一的な意思が存在し作用した」とすることで、(技術的、構造的解明以外の)あらゆる憂いや疑問が「瞬時に解決」するからです。

                    少なくとも彼らは(まるで魔法めいた)途方もなく微少な確率を肯定するための作業から開放される代わりに、(歴史的な過去の遺産をも含む)現状をつぶさに観察、分析することにより、「物言わぬ神の意思」なるものを可能な限り究明していく必要に迫られることになるでしょう。何故ならそこには必ず「目的や目標」が存在するはずであって、それをはき違えると「神の意に沿わない」という状況が生じるおそれが出てくるからです。

                    このように「神は存在する」とした時点で、その人々にとっての「生きる」というイメージが「神の意に従う」となるのは自然なことであって、その際重要となることが「神(の意)を正しく理解する」に尽きるのは言うまでもありません。

                     

                    私の見るところ、現代に生きる大半の人々の生き方には上記の様な明確な意思表示は見られず、ともすると「どっちつかずのいいとこ取り」をしたがっているようにしか見えません。

                    即ち「自然淘汰」を受け入れ、堂々と「覇権争い」を標榜して矢面に立つわけでもなく、さりとて「神の意に従う」ため「神を正しく理解」しようとするわけでもありません。

                    ある意味「中途半端」を保つことで、何らかのリスク管理をしているつもりかも知れませんが、私には逆に非常に高リスクな生き方としか思えません。何故なら「信念」の無いところには論理性が感じられず、それが「柱のない家」のように思えてならないからです。

                    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:29 | comments(0) | - |
                    「思想の良し悪し」と「頭の良し悪し」は全く別物
                    0

                      通常「頭が良い」と言えば即、「論理的思考に長けている」と思われがちですが、決してそうではなく、実は「より論理的思考に長けている」のは、むしろ「思想が良い」人の方です。何故ならその人は常に「自分の良心」に基づく良識によって物事を判断出来るからです。

                       

                      思想が良い証しである「良心に従う」ことがどうして「論理的思考」と呼べるのかについてですが、それはそもそも「良心」の実体が「高度な論理の集積」であり、私たちの内面で「理性」を司る役割を担うものに他ならないからです。

                       

                      そして「理性」が物事の構造的理解を促す働きを持つものであるとするなら、その力(=論理性)は「良心」から引き出されたものと考えるのが自然です。更にはその「良心」を活用する由縁となるのが「良い思想」ということになり、結果として「思想が良い=論理的思考に長けている」という図式が成り立ちます。

                       

                      但し、ここでいう「論理的思考」とは、単純に「数学や物理学の勉強が得意」という意味ではなく、万事に於いて「物の道理に沿った理解や判断が(無意識、無感覚に)出来る」状態を示します。(例えば優れた音楽作品なども「論理的構造物」と言えますが、通常そのことを私たちが意識することは殆どありません。)

                       

                      では最後に「単に頭が良い」とはどういう状態を指すのかと言うと、「高度で本質的なレベルの論理を疎かにして、ともするとそれが欠落したまま、より下位の技術的理解に終始する状態」と言い表すことが出来ます。

                      無論「思想が良く、頭も良い」のであれば「鬼に金棒」に違い有りませんが、重要なことは「優先すべきは何か」ということです。

                       

                      ※ 「思想が良い」とは、自分や身内と他人を(少なくとも)同列に思え、扱える人。「思想が悪い」とは自分や身内と他人を(明らかに)同列に思えず、扱えない人。もっと言えば「人の痛みがわからない人」。

                      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 17:12 | comments(0) | - |
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