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心は常に計測され数値化され評価されている!
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    今日のタイトル「心は常に計測され数値化され評価されている」・・・こうした概念を持っている人は、今現在生きている人の中でおそらく圧倒的に少ないと思いますが、これは紛れもない事実です。何故ならそのようなシステムが実際に存在し、それが一年365日昼夜兼行運用されているからです。つまり「心」とは、決して我々が想像するようなアバウトなものではなく、漠然と存在するものでもなく、増して脳神経によって生み為される妄想的産物などではなく、むしろ理路整然と構築され認識されるべき存在であるということです。何故なら「心」こそが、人間の実像、実体そのものと言えるからです。ですから生きている人間の場合は「心」が本体で、体はそれに「付随するもの」として存在という認識が正しいのです。それが証拠に、心の状態は人相や風貌に反映しますがその逆は有りませんし、「心因性」といった診断の有無に関わらず、体調不良や病気の根源から「心の問題」を完全に切り離す事は困難で、むしろ不自然と言えます。(例えば生活習慣病など・・・)

     

    ところで「心は常に計測され数値化され評価されている」って・・・いったい誰に?・・・そんなこと、決まってるでしょう。とにかく自分の心と向き合うことです。

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:01 | comments(0) | - |
    そしてみんな発狂した
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      夜の時代が終わりを遂げ、昼の時代を迎えて既に77年が経ちますが、特にここ数年の間、増々強くなった光が世の中や人の心の隅々まで射し照らし、これまで闇に存在していたあらゆる穢れの類があぶり出され、苦しみ悶えながら一斉に表層に浮き出して世の中に大混乱をもたらしている事実が、世の中の様子から窺い知れます。

       

      例えば国会に於けるIRカジノ法案、参議院定数6増法案然り、これらをまるでモノに憑かれたが如くゴリ押しする感覚や神経そのものが、もはや正気の沙汰とは思えません。

      また、愛知県豊田市の小学校に於ける小1児童熱中症死亡事件然り、この件に限らず私の知る範囲でも公職に就く人々の多くが既に正気を失い、正常な物事の判断が出来ずにいるようです。

       

      今後もしばらくの間、今まで考えられないような事案が社会のあらゆる場で次々に人の手によって引き起こされるでしょう。しかしもし、それらが「二分化」という必要なステップの一過程であるとすれば、私たちは相応の心構えと覚悟を以ってあらゆる局面を受け入れざるを得ません。何故ならたとえどのような瞬間であれ、私たちが「生きるという意味」を見失う訳には行かないからです。

      それは「眼前の今にベストを尽くす」ことによってのみ達成されるものと確信しています。

      | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:11 | comments(0) | - |
      二分化の流れが止まらない
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        ※ 本日の記事はは多分に「霊的内容」を含むため、興味のない方はスルーして頂いて構いません。

         

        以前より繰り返し申し上げてきた様に、現在の「昼の時代」に即した霊界の環境整備計画(とでも申しましょうか)に基づいた大規模な改変作業は滞りなく進行中で、それが一定の時間差を以って現界に反映する際の特徴的な現象の一つとして「明確な二分化」があると言えます。それは一言で表せば、これまでのいわゆる「グレーゾーン」を排した「白と黒とに人(の思想や言動)が二分化される」という意味で、それこそが霊界の計画の(段階的な)骨子と言っても良いでしょう。

        となれば「グレー」はもはや存在出来ない色となり、強いて言えば嘗てのグレーは霊界の改変によって黒に分類されることとなるはずです。何故なら色の見え方は「価値観」がもたらすものであり、その価値観自体が霊界の改変を通じて180度転換されつつあるからです。(昨今のセクハラ問題などが良い例です。)

        結局、霊界の改変に対して誰も抗い得ていないのが現状です。

         

        こうした「二分化」の進行によって、気が付けば「嘘の定義」すらも変わってしまいました。というのも、昔であれば「嘘は都合の悪い真実を悟られない様にするための(バレない前提の)もの」という認識でしたが、現在はそうではなく、「嘘は都合の良いことを単に強弁する(=言い張る)こと」でしかなく、バレようがバレまいが関係ない、ということの様です。(一連の政治家、官僚の答弁などが良い例です。)

        そしてその結果何が起きるかということですが、単純に「嘘をつく人の卑しさ、醜さが引き立つだけ」でしか有り得ず、それは同時に自らの人間性の欠落(=人間的劣化)を進んで世に知らしめる行為に他なりません。

        つまり人(の中の或る人々)はとうとう(自覚のないまま)「自滅」の引き金を引き始めたということです。(そんなこと誰も頼んでいません。)

         

        振り返れば当ブログでは2016年「変動、変化の年」、2017年「瓦解、崩壊の年」、そして2018年の今年は「対峙の年」というように毎年、年始めにその年の(予測ではなく)霊的進捗状況を明示させて頂いてきたつもりであり、例えば森友、加計問題で言えば、昨年の内に官邸や内閣府、財務省などの論理性、整合性は完全に「瓦解、崩壊」していたことが(改ざんや隠蔽事実の露見という形で)既に判明しています。ということは、今年になって現在私たち国民が「対峙」しているものは、実は既に崩壊して実体を失った構造体の「残渣或いは残像」に過ぎないということになります。(亡霊とかゾンビとかといった表現は好きでは有りません。)

        そんなものとも(億劫がって)まともに対峙出来ないようでは、それこそ「対峙する側の責任やヤル気」に問題が有ると言われても致し方有りません。言い換えれば「対峙」とは、個々の人々の心と行ないが白であるのか黒であるのかを決する正念場でもあるのです。何故なら前段で申し上げた如く(霊界の意向により)グレーゾーンが廃止され、選択肢として消滅したからです。

         

        故にこの時期、私たちには「自分なりの対峙」がどうしても必要ということです。

        | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 08:28 | comments(0) | - |
        自分を知りたければ沈黙せよ。
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          世の中で平均的と思われている人々の多くは、自分のことを余りにも知らなさ過ぎる。(そのようなレベルを「平均的」と信じて疑わないところに社会全体の劣化を見て取ることが出来る。)それが証拠に世の中の多くの人々にとって、己の運命は自らの思い描くそれとは違い、不平や不満、或いは後悔に満ちたものとなっている。(そのすべてをせいぜい他人や社会のせいに納得しているのがオチだ。)

           

          しかし残念ながらこうした理解がまったく事態の改善に役立たず、100%自滅の方向にしか向かわないことは明白で、何故ならそうした事態が「自分を知らない」が故に「自分のコントロールがまったく出来ていない」ことに起因しているからだ。

          ところが人間は少なくとも「目と耳が機能し、頭で考えている」という実感が有る限りは、自分が「完全にコントロールを失っている」という認識には、そう簡単に至れない(らしい)。

           

          では何故、先頃の下村元文部科学大臣のように「ある意味で犯罪だと思う」と公然と口にした言葉を、立ちどころに追求されて即座に謝罪、撤回するという自らにとって不名誉で自らをわざわざ貶めるような言動を持ち得るのか?簡単な話が「自分を知らない=コントロール出来ない」からではないのか?

          同じく、福田事務次官はコントロール出来ていたと言えるのか、佐川前国税庁長官は自分を知っていると言えるのか、もしそうなら「国民の大半を(未来永劫)敵に回す」ような言動はそもそも有り得ないだろう。

           

          取り分け近年に於いては多くの人々が勘違いしているが、人間は本来「無駄口を好まない」ものだ。それは決して好き嫌いのレベルの話ではなく、人格や人間性、或いは霊的な観点から見て「無駄口、おしゃべりの類は不利益をもたらす」からだ。それらの大半は主に自己宣伝、自己顕示、自己弁護、或いは不純な動機の下で他者を誘引し、また他者を嘲り貶める目的を持ち、到底人間的向上は望めず、むしろ人間的(霊的)価値を貶める場合が殆どと言える。(要はどのような思想の下で言葉を発しているかという事だが。)

           

          そういった意味では霊層段階が低い(=思想レベルが低い)状態に於いては、業務上、作業上必要なやり取り以外で思想的に発するに値する言葉など殆ど無いと言って良く、それは言い換えれば「無口」が相応の在り方と言える。

          それを確かめる上で良い方法が有る。それは一度「無口」を貫き通して見ることだ。そうすればやがて「言いたくて言いたくて堪らなくなってくる」に違いないが、その時同時に「言いたくて堪らない主が自分自身ではなく別物」ということに気が付けば大したもので、その人にはまだ改善の余地が残されているかも知れない。

           

          お察しの通り、それは自分ではなく、正確には過去の自分(の分身)、つまり「腹の虫」であり、であるとすれば、当然憎むべき対象ではなく「詫びるべき対象」という理解が論理的に正しいだろう。

          つまり「知りたければ沈黙し、知ったら詫びる」ということだ。

           

           

          | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 10:08 | comments(0) | - |
          昨日の記事について
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            昨日の記事が「一見難解と思われるかも知れない」ことは重々承知しています。しかしそれを承知の上で敢えてそうしたのには、それなりの理由があります。その一つは「これまで記事にしてきたことの総括」として申し述べていること。もう一つは「解る人だけに解ってもらえれば」との思いがあるからです。

             

            こうした思いの根底には(これまで繰り返し申し上げている様に)程なく「(人間或いは社会の)価値観が180度変わる」という前提があります。180度と言葉するのは簡単ですが、実際にそれをイメージとして受け入れ順応することは(幼い子どもを除けば)多くの人々にとって至難の業となるに違い有りません。

             

            しかし世の中には(数は少ないながらも)今からそのための心の準備に勤しんでいる人々も存在するというのもまた事実です。そのような人たちであれば、一見して根拠が不明瞭で論理の飛躍としか思えないような内容であっても、ご理解頂ける可能性が無きにしも有らず・・・というのが昨日の記事です。

             

            当然のことになりますが、180度変わるということは私たちの「現在の価値観、認識のほぼ全てが間違っている」という意味になりますから、もし具体的に何がどうという話になれば即「論拠を示せ!」といった攻撃対象となりかねず、従って私自身そういう事に言及するつもりは有りませんし、そうする義務もなく、そういったトラブルは一切望んでいません。

             

            しかし同時に「変わらざるを得ないこと」が論理に基づいた「決定事項」であることについて、口を閉ざすつもりも毛頭有りません。(それが私のライフワークでもあるので。)

            | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 08:33 | comments(0) | - |
            社会の建前と本音について
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              (国際社会であれ日本社会であれ地域社会であれ)私たちの社会に建前と本音が存在するのはもはや周知の事実と考えて良いだろう。それは具体的には、理路整然と整えられ明示された(一点非の打ち所のない)建前上の社会システムと、それに対して現実に社会で何が起こり、結果として社会がどうなっているかを精査することで識り得る本音の部分に分ける事が出来よう。(例えば「公文書は改ざん不可」という建前の一方で、役所が利する様に「公文書の改ざんは従来より行われている」という内情(=本音)が伝えられている。)

               

              また、一説に拠れば社会は(建前と本音という観点から)少なくとも「三層構造」になっているとの事らしいが、仮に四層あろうが五層あろうがひとつも不思議ではない。何故なら、ひとつの建前に対して「本音をどこまで明かすか」という程度問題はおそらく(相手相応に)「無断階的」に生ずると思われるからだ。つまりその場合、実質的に社会の最高権力を掌握する側が「本音をそっくり明かす」階層がその社会の実体であり、社会の最深部ということになる。

               

              但し「真実は何か?」という観点で言えば「本音を明かさない」こと自体は善でも悪でもないと言え、「釈迦も方便」の喩えにもあるように、通じない者や理解の及ばない相手に対しては「段階的」に理解の及ぶ範疇で相対することが正しい選択とされるからだ。故にこうした何らかの「階層構造」は(本音の善悪に関わらず)社会の効率的で円滑な運用を計る際には必ず存在するものと考えて良いと思う。(子が親と、平社員が社長と同等の認識を持たなければならない理由はない。)

               

              それはさておき、現社会の問題点は、表層の建前に於いては常に(カモフラージュ用の)「善意」が示され続けてきた反面、深層の本音では恒常的に「悪意」が渦巻いており、そのためあらゆる結果が(人々の意に反して)「悪い方向」にしか向いて来なかった事だ。(人々の反戦の意に反して国際的な緊張が高まる一方なのもそうした理由だ。)だからこそこうした現状を改善し、本音に於ける社会の善意を取り戻すためには最低限、表層という建前に隠蔽された「悪意の実態」を浮き彫りにし、それらと対峙し検証を重ねた上で明確に「ノー」と意思表示する必要があろう。

               

              因みに「社会に於ける建前と本音」も「人間個々に於ける建前と本音」も、質的、構造的には同じと考えて良く、故に「幸福な社会」と「幸福な人生」は同義と見て良い。何故ならどちらの本音も「人間性」に根ざしたものであり、(良いとされる)社会システムと個々の生活様式のどちらも「人間性」に基づいている事は、疑う余地もないからである。

              そこでこの際「何故人間性が豊かであるほど幸福度が高いのか」を明確にしておく必要があろう。それは「論理性は元々人間性が有しているもの」だからである。

               

              つまり「幸福とは論理性の帰結として存在する」と言うことが出来る。(何故なら「絶対的な安心と安全」が前提となるからで、論理の整合性のみがそれを保証するからだ。逆に言えば人はそれを得られないから幸福と感じない。)

              その意味に於いて人間性の豊かな人は容易に論理性を理解し、幸福に至るが、人間性の乏しい人は(高学歴であろうとも)決して論理性を理解出来ない。(敢えて言うなら「合理性止まり」で、それは感性に表れる。)故にそういう人々は「都度の満足」は得られても、決して幸福を感じることはない。

               

              ではどうすれば「豊かな人間性」を得ることが出来るのか。答えは非常に簡単で、「霊界を無条件に受け入れる」もしくは「良心に全面的に従う」ことで道が開かれる。(逆に言えば、それ以外にない。)

              | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:09 | comments(0) | - |
              知性や知識は邪魔だ!
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                知性や知識が正しい理解を阻み、無用な考えに翻弄され、無用な不安に苛まされるというのはよくある事です。特に知性や知識を「思考の最上位」に持ってくるとそうなりがちです。何故ならそれでは決して正しい論理に到達出来ないからです。その状態を一般に「取り越し苦労、過ぎ越し苦労」或いは「心配性、無頓着」などと言います。(これらは一見合理的に思えますが、その実論理性が有りません。)

                また知性や知識を最上位に位置付けるならば、それが未発達の子どもの価値判断などは全て「取るに足らないもの」となってしまいます。実際にそういう目で子どもを見る大人がいるというのは、非常に残念で悲しい事です。

                 

                実は私たちにとって本当に必要な論理の根幹は、思わぬところに存在します。それは「霊魂の存在を認めるか否か」でしか有りません。これなら子どもは子どもなりに本気で「お化け」を怖がったりして、また大人なら「心霊現象の実在を信じる」などの形で表明することが出来ます。

                但しそうした入り口の段階では到底まだまだ論理性に到達すべくも有りません。そのためにはまず多くの疑問を呈する必要が有ります。例えば「お化けは普段どこにいるの?」とか「何しに出てくるの?」とか「死んだらみんなお化けになるの?」とか、子どもにだって疑問は山ほどあるはずです。また大人であれば単純に「死んだらどうなるのか?」とか「天国や地獄は本当にあるのか?」など、霊魂の存在を認めた時点で同時に多くの疑問を持たざるを得ません。

                 

                これは逆に言えば、それらの疑問が未解決のまま論理性を見出そうとする事自体が極めて非論理的と言わざるを得ず、だとすると仮に「霊魂」が実在した場合、その存在を否定した上での論理の構築が如何に不毛で無意味な作業であるかについては言うまでも有りません。

                つまり私たちにとって「霊魂の存在を認めるか否か」とは、それほど大きな意味を持っているということです。更にそうした理解を深めるに当たっては「半端な知性や知識はむしろ邪魔だ」と言っている訳です。

                 

                最後に何故「霊魂の存在」を認めることが論理の根幹足り得るかについてですが、それは非常に簡単な話で、もし霊魂が実在するのであれば、それに伴ってあらゆる事物、事象の本質がそれと無縁に成立するはずもなく、それを含めて真実、或いは実相と理解する以外に方法がないからです。

                つまり知性や知識を始めとするあらゆるテクニカルな話は、まず揺るぎない論理の根幹を体現した後、役割に応じ、必要に応じて用いるべきものということです。

                 

                 

                | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:14 | comments(0) | - |
                霊的提言
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                  古(いにしえ)より現代に至る人類の真実の歴史を顧みるならば、愚かで目先の欲に心を奪われやすい人々を、同じく愚かではあるが更に強欲で狡猾な人々が、時には暴力的に、時には奸計を用いるなど、あの手この手を駆使して支配し、強大な権力の下に服従させてきたという愚かし過ぎる歴史の本流に行き当たる。

                   

                  ちょっと待って!何故人間はかくも愚かなのか。それも大半の人間が・・・。その理由は過去数千年も続いた「夜の時代」にあると言わざるを得ない。しかもそれは霊界が一方的に決めたことで始まり、定められた期間継続され、そしてやはり一方的に終了され、そこに人間の都合など微塵も介在しない。

                   

                  つまりこれは「霊界」に拠る壮大な罠だ。(本当は霊界との繋がりを故意に弱める事で人間の自主性、自律性、自発性を問われたものであっても、その意思を持たない者にとっては罠に違いない。)

                  これだけ見ても「人間は霊界の完全な管理下にある」という事ぐらい解りそうなものだが、ここまで言っても解らない人にはどうしようもないし、もうその件でこれ以上は言いたくない。(人間には向上と下向の自由が保証されているので)

                   

                  過去から現在に至る日本社会や国際社会の問題の全ては(霊層が至って低く人格の覚束ない)「愚かな人々が実権を握っている」ことにあり、それを差し置いて世の中の事をいくら考えても全く意味がないし、逆に言えばそれと相応しい人間を中心とした社会が構築されるならば、民主主義であろうが無かろうが(仮に一党独裁であろうが専制君主制であろうが)人々の幸福度に於いて大差はないに違いない。何故なら「みんなで良くなる。みんなで良くする。」という基本思想が社会の隅々まで行き渡り繁栄をもたらすことに変わりはないからである。

                   

                  この「愚かな人々が実権を握る」という現状は、明らかに「夜の時代の残渣」でしかなく、次第に然るべき形へと移行せざるを得ないが、それがどういう経過を辿るかについては、執着の度合い次第と言えよう。

                  何れにせよ新しい時代への流れは既に決まっており、流れに逆らうほどに苦痛を伴うことは言うまでもない。

                   

                  当サイトはそもそもが来たる新しい時代の流れを主に人々の「心の構え」に焦点を当てて明示し、日々の努力の方向性を示唆する目的で立ち上げられたものだ。また必要に応じ「霊的考察」に踏み込んでもいるが、不必要な知識の羅列などは厳に慎んで来たつもりだ。(それらは「百害有って一利無し」であるし、そうまでして関心を引こうとは毛頭思わない。)

                  こうして書き溜めた1000件を優に越える記事は、目的に対しほぼ必要十分な質と量に達したものと考えている。

                   

                   

                  追記:

                  本日も数人の方々によって300件を超える過去記事を閲覧頂いたようですが、当サイトは便宜上ブログ形式となっているだけであって、私自身としてはそのように過去記事の活用を頂けることを本意としており、喜ばしい限りです。故に今後は更新もさることながら「過去記事の活用しやすさ」を重点として工夫をしてみたいと思っています。(尚、当ブログの継続(掲載)期間は当初より2020年をリミットと考え、それ以降は完全消滅の予定)

                  | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 12:27 | comments(0) | - |
                  2020年までは到底持ちません。
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                    ※ 本日は全編「霊的考察」ですので、信じない方、関心の持てない方はスルーして構いません。

                     

                    原因結果の法則に従い、日本のあらゆる社会システムは既に内部から破壊し尽くされました。私達はこれから形骸化したあらゆるものが現実に音を立てて崩れ去る様を程なく誰彼問わず目撃する羽目に陥ります。因みにこれ自体は私達日本国民が総体として択んだ道のりであるからして全員受け入れざるを得ません。

                    但し、その受け入れ方には既に個人差が生じており一律的なものでは有りませんが、それも同じく原因結果の法則に従うところのものと言えます。

                     

                    即ちこれまで霊界の意を誠実に反映してきた者には明確な展望が示され、ややもすると誠実さに欠け問題のあった者には大いなる困難が待ち受け、更にはあろうことか霊界の意に対して公然と反旗を翻してきた者にとっては絶望でしかない事は想像に難く有りません。

                    これらの事象に対する現時点での流動性はほぼ無く、概ね決定事項と考えて良いでしょう。それというのも既にタイムリミットを迎えており、今まで長きにわたってさんざん警鐘が打ち鳴らされ続けてきた事を考え合わせれば、霊界としてそれもやむ無しというところでしょう。

                     

                    何れにせよ私達は最早2020年のオリンピックに夢を馳せている場合では有りません。それどころか今年2018年をどう乗り切るかにもっと万人が心を砕くべきではないかと思います。

                    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 10:51 | comments(0) | - |
                    極めて不道徳で反社会的な「現社会の主流」とされる人々
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                      「現社会の主流」とは文字通り「政財界や公的機関」等に属し、日本社会そのものの骨格を形成し、国の方向性を定める地位と立場にある俗に言う「選ばれし人々(=エリート層)」のことである。と言ってもそれは「陰謀論」という言葉がまだ思惑通りに機能していた時点までの話で、今やこうした人々の救い難いまでに低劣で悪辣な思想から発するところの「陰謀、策謀」の類(たぐい)のほぼ全容が白日の下に晒されるに至っては、こうした人々は実際「誰に選ばれたワケでも無く」ただ己の欲望の赴くまま現在の地位や立場に上り詰めたという認識が正しい。(例外的な人たちはいるにしても大半はそうで、それが「不道徳この上もない組織の体質」を動かし難いものとしている。)

                       

                      客観的に見るなら今までこうした「騙しの構造」は実に上手く機能していた様に思えるが、どうした訳か目標達成まで「あと残り数歩」というところで突然彼らの(隠蔽のための)地道な努力の箍(たが)が外れてしまい、それ以来どう考えても「国民の軽視、無視」としか思えない(たぶん本音の)言動が際立ち始め、彼らが総じて「一般の国民(の命や暮らし)などどうでも良い」と考えている事は最早誰の目にも明らかとなってしまった。

                       

                      繰り返しになるが彼ら「現社会の主流」とされる人々の特徴は、物の考え方が極めて不健全、不道徳で、バランス感覚としての社会性が極めて乏しいということに尽きる。但し曲がりなりにも「頭が良い」とされているように何事も計算高く(=ずる賢く)、そのため嘘を付いたり人を欺く様な言動を平然と行なうことが出来る。(そもそもそういう事が出来ない人間は「その地位」に至るまでに弾かれているだろう。)

                      このことから「道徳心や社会性」というものは、そもそも彼ら(=為政者や権力者)にとっては無縁のもので、それらは「一般市民、一般大衆にのみ適用されるべきもの」と彼ら自身考えていることが判る。

                       

                      もし「霊的」にそれが正しいとされるなら(百歩譲って)「帝王学」として受け入れても良いだろう。

                      だが「霊界」では残念ながら、高度な霊魂ほど全体に対する責任が大きく、その分包容力も豊かで、文字通り下位の霊魂の良き手本となるべき存在とされている。つまり「帝王学」とは(霊的には)万民が同じ基準を有する事を前提として「誰にどこから見られても恥ずべき事の無い最高の手本を示す」ことを意味しているのだ。

                      だから霊界では「(万霊の)手本になれないような霊魂」はそもそも指導的な地位や立場に至れるはずも無いばかりか、余りに価値が低ければそれこそ「地べたを這いずる回る」しかなかったりもするのだ。

                       

                      このように「霊界」と掛け離れたことがまかり通る世の中は、実は既に終わっている。ただ過去に見苦しく執着する人間たちが残渣にしがみつき、そこにぶら下がっている状態が在るに過ぎない。要はその状態でいつまで持ち堪えられるかというだけの話だ。(信じずとも結果は出ます。)

                      | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 16:45 | comments(0) | - |
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