青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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そろそろ「来年」に思いを馳せる時期になりました。
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    当ブログではこのところ年末から年始にかけて「今年は○○の年」という内容の記事を書かせて頂いています。因みに2016年は「変動、変化の年」であり、2017年は「瓦解、崩壊の年」でありました。

    例えばこの「瓦解、崩壊」がどういうものであったのかについては、既に「本年すでに瓦解、崩壊したもの」という過去記事の中で触れさせて頂いていますが、改めて以下に再掲します。

     

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    ○ 安倍晋三の「日本の強いリーダー像」は、森友・加計問題を機に瓦解、崩壊しました。

    ○ 森友問題によって政権がゴリ押しする「愛国教育浸透政策」の実態が暴かれ、瓦解、崩壊しました。

    ○ 閣僚、議員らの相次ぐ暴言、失言により「国民政党」自民党の虚構が明らかとなり、瓦解、崩壊しました。

    ○ 連立与党による「戦争法案強硬採決」により、公明党の党是「平和と福祉」が瓦解、崩壊しました。

    ○ 政権に忖度する実態が明らかとなり、NHKを始めとするマスコミの信頼性が瓦解、崩壊しました。

    ○ 大手企業による「不正、改ざん」が次々と明らかにされ、「日本ブランド」の信頼性が瓦解、崩壊しました。

    ○ 2020年東京五輪誘致をめぐる賄賂の実態が暴かれ、五輪開催の整合性が瓦解、崩壊しました。

    ○ 小池百合子と「都民ファースト」「希望の党」の虚構が暴かれ、存在感が瓦解、崩壊しました。

    ○ 「日馬富士暴行事件」に端を発し、相撲界の内情が暴露されると共に瓦解、崩壊が始まりました。

     

    主だったものだけでもこれだけ有ります。(細かいものまで挙げると切りが有りません。)

    これらの特徴はすべて「建前と中身が異なり、すでに実質的に虚構化、空洞化していたもの」というもので、要は「今まではそれで通用したが、これからは通らない」ことを暗示する結果と見て良いでしょう。

    また、こうした人々は概して「往生際」が悪く、沈没船で言えば「舳先やマストの先端にしがみついてでもその場に固執する人々」のように思え、そのため私たちは今後幾つもの「見苦しい有様」を目にしなければならないかも知れません。

     

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    ということですが、この中の後半部分にある《こうした人々は概して「往生際」が悪く、沈没船で言えば「舳先やマストの先端にしがみついてでもその場に固執する人々」のように思え、そのため私たちは今後幾つもの「見苦しい有様」を目にしなければならないかも知れません。》という部分が、そのまま今後の課題に大きく関わってくるものと思われます。

    これは普通に考えても当たり前の事で、何となれば、この人たちにとってはまさしく「存亡の危機」に相違無く、それこそ「どんな手を使っても切り抜けて生き延びたい」と考えるのは極めて自然の事と言えます。これは国際情勢然り、国内事情然りであって、世界はやがて或る時期「それ一色」で染まることになるでしょう。

     

    つまり私たちは今後、体外的には「既に(論理的)根拠が崩壊した時点でとっくに立場を失っているはずの多くの開き直った人々」との暫しの対峙を余儀なくされる事になり、また個々のレベルでは「(自滅要因である)自己執着との対峙」を余儀なくされる事となるでしょう。

    その際最も重要なことは、何れの場合も「一歩も引かない」ということです。

     

     


    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:51 | comments(0) | - |
    クリスマスは終わったか?
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      クリスマス・イブまで一週間足らずのこの時期、巷では「クリスマス」に因んだ賑わいなど皆無です。ただそれこそ本当に「申し訳程度」の(お金の掛からない)飾り付けが探せば見つかる程度で、故に「クリスマス商戦」という言葉も、もはや死語になり、「クリスマスを話題にすること自体にむしろ気恥ずかしさを感じるほどです。(それが証拠にヤフーのトップページにはクリスマスのクの字も有りません。)

      戦後日本の文化として定着したかのように見えたクリスマス・・・。物事の終焉はこのように訪れるものなのだと、感慨しきりです。(ここ数年ずっと感じていたことですが。)

       

      但し私は当然ながら、純然たるキリスト教徒の方々のクリスマスに対する思い入れや気持ちを貶める気持ちは毛頭有りません。これはあくまでも「クリスマスにかこつけたビジネス戦略、そうした手合のビジネスモデルが終わった」という話ですので。

      似たようなものは他にも「バレンタインデー」や、最近では「ハロウィン」なども有りますが、(古くはひな祭りなどもそうですが)この手の「年次イベント型の商業文化」は同じく消えて行く傾向にあると言えます。(大半の人が意味も良く解らない中、純粋に「文化」と呼ぶには無理が有ります。)

       

      何故消えて行くのか?それは(ビジネスモデルとしての)役割が終わったからと言う他有りません。それは言葉を換えるなら「あたかも文化であるかのように見せかけて(必要と思い込ませて)物を売る必要が無くなった」ということですが、ではそれ以上に儲かり、それに代わる(今の時代に即した)ビジネスモデルとはどのようなものでしょうか?

       

      キーワードは「マインドコントロール」と「インフラ」だと思われます。つまり様々なものに対して「それ無しでは生きられない」と思い込ませるか、或いは実際に「社会システム」としてそうした状況を作り出し、多くの人々にそれこそ「生きるため」として(何の疑問も無く)自ら絶え間なくそこにお金を使わせることが出来れば良いわけです。

      方や「インフラ整備にお金が必要」として徴税し、そうした様々なインフラを利用するために当然の様にお金を払えば、人々の財布にお金が残るはずが有りません。

       

      例えばこうした「社会インフラ的商売」の先駆的なものとして自動車産業が有ります。嘗ては多くのものが鉄道輸送に頼り、自家用車の普及率も僅か50年前までは4件に1台程度に過ぎませんでしたが、それが今や車無しでは考えられない社会が実現しています。

       

      近年の代表的なものでは「通信インフラとしてもはや無くてはならないもの」と考えられている「スマホ(携帯端末)」が有りますが国内出荷台数は3000万台を優に超えており、普及率は全体で7割、世代によっては9割を超えているとのこと、しかも(インフラとして機能している限り)手放す訳に行かず、その割に価格は結構高く、買い替えのたび5〜10万を実質支払うことになっているようです。

       

      このように「インフラ化」したものについては、ほぼ無条件に商売が成り立つ状況があるとすれば、逆に何でも「インフラ化(=無くてはならない化)」してしまえば良いということになりますが、例えば「ロボット」などもインフラ化されれば、私たちはロボットのために無条件にお金を支払わなければならなくなるでしょう。それはちょうど今現在「インフラ化した銀行システム」を利用するたびに、当たり前の様に手数料を支払っているようなものです。

       

      インフラ化と言えば、いつの間にか「社会の安全、安心」のためとして防衛装備が当たり前のようにインフラ化されつつ有りますが、そのためのマインドコントロールに「北朝鮮の脅威」が利用され続けている事は言うまでも有りません。そしてそれさえも「防衛産業」というれっきとした商売である事は事実です。

       

      またインフラ化の一方では、すでに有るインフラを「民営化する」という荒業も行われる様になりました。近いところでは「郵政民営化」が有名ですが、何と「水道の民営化」の話までも現実的となりつつあるとの事。そうした場合、競争原理による価格競争やサービスの向上は考え難く、最悪今よりも何倍も高い金額で水を買わなければならなくなるかも知れません。

       

      クリスマス商戦が無くなったからと言って、私たちは油断する訳には行きません。むしろムダなお金を使わされたりしないために、より一層の分別と注意が必要と思われます。

      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:37 | comments(0) | - |
      ちょっと残念な亀井静香
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        今朝のテレビ番組に出演した亀井静香氏がその発言、提言の中で「アメリカ(=トランプ政権)100%追従の外交(取り分け対北朝鮮政策)ではなく、日本は日本の諸事情を鑑みた独自のやり方がある」といった主旨のものや、税制問題では「医者は十分儲っているから(報酬を)上げる必要はない」「(税金を)取りやすいところから取るのではなく、(大企業など)儲かっているところから取るのが基本だ」など、筋の通った持論を展開したのは良いと思う。

         

        しかしその一方で「森友問題」に関しては、当時の理財局がゴミの量を捏造し(不当な)8億円の値引きを行なった上、なおかつ「全て法令に基づき適正に処理された」と(当時の)佐川理財局長自ら強弁したことについて問われると「確かに忖度はあったが(それは当然有り得るもので)その事で人格否定までされるのはマスコミの報じ方に問題が有る」などといった主旨の事を述べた。

        逆に亀井氏のような人物が言うことで言葉に重みが生じてしまいそうだが、やはりおかしいものはおかしい。あたかも言外に「俺も長年役人(=警察官僚)をやってきたから言うが、そこで忖度するなと言う方が無理だよ」と言っているような感じだった。そこは亀井氏の「人間味(の限界?)」と解釈すれば良いのだろうか。

         

        「忖度」そのものは結構だろう。(悪い意味ばかりではない。)だが問題は「誰に向かって忖度を働かせているか」の一語に尽きる。

        人が忖度する(=他人の気持ちを推し量る)のは、相手が尊敬に値するか愛着や好意を寄せる対象である場合に限るのが普通で、そこに「損得勘定」を差し挟むのであればそれは単なる「計算」でしかないはずだ。

        従って役人が大いに忖度を働かせるべきは「国民」というなら話は解るが、出世を想定した「忖度」というのは明らかにおかしい。だから亀井氏が以下のように言葉を改めるのなら解る。

         

        「俺も長年役人(=警察官僚)をやってきたから言うが、そこで計算するなと言う方が無理だよ」

        それなら確かにそうかも知れない。(だが人格攻撃は免れないだろう。)

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:17 | comments(0) | - |
        「米軍ヘリ窓枠落下報道」の怪しさ全開
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          この案件は落下場所が小学校ということも有り、昨日昼過ぎの第一報ではNHKを始めとするメディア各社がこぞって「児童に軽いけが」と報じていた。また「それらしき物の落下映像」が繰り返し流されていたりもした。(当日の映像か否かは不明。)

           

          しかし一夜開けると、今朝のニュースでは各社共に「児童のけが」の話は物の見事に失くなっており、代わりに「児童から10メートル」という話に置き換えられていた。これについて訂正のコメントやテロップは特に見当たらず、ただNHKが「宜野湾市教育委員会は当初、この児童が軽いけがをしたと見ていましたが、確認したところ、けがはなかったということです。」という内容を伝えており、一見良心的のように思えるが、その実極めて無責任で姑息な態度であることが解る。

           

          何故なら「すべてを教育委員会のせいにしている」からだ。しかもこれでは天下のNHKがまるで「取材先(=情報元)はそこしかない」と言っているのと同じで、メディア業界トップの組織力、取材力からすれば考えられないお粗末な話だ。それが証拠に地元メディアを始め、他のメディアはそんな馬鹿げた話はしていない。(複数取材してウラを取るのが普通だ。)つまりNHKは対面を保つために「小細工」が過ぎて、逆に尻尾を出してしまったという訳だ。

           

          ただそれについては地元の「琉球新報」が、記事の中の次の一節で本音を吐露している。それは『校区内にある子どもの居場所には午後3時ごろ、口々に異変を訴えながら子どもたちが集まってきた。ただ「家族以外に言うなと先生に言われてる」と記者には口をつぐんだ。と言う部分だ。つまりこの案件ではどこからか「教師や子どもたちに対して箝口令(かんこうれい)が敷かれているということだ。(おそらく上層部から最終的に教育委員会に向けて下されたものだろう。)ならばNHKの態度は合点が行く。

           

          しかしそのような「報道規制?」の中でも、さすがに地元民に寄り添う「沖縄タイムス」は果敢だ。何せ「児童のけが」を引っ込めていないのだから。それは以下の記事で示されている。

          『普天間第二小の喜屋武悦子校長は朝から対応に追われた。午後5時半ごろ、憔悴(しょうすい)しきった表情で報道陣の取材に応じ、「許し難い。憤りを感じています」と振り絞るように声を出した。(中略・・・)子どもが軽いけがで済んだことを「奇跡」と表現した。

           

          このように一夜明けてもしっかり「児童のけが」を報じているメディアも存在するということだ。

          それにそもそも「児童のけが」の情報元について、NHKは以下のように把握していたことが判明している。それはニュースの一節の普天間第二小学校の校長から沖縄防衛局に対して、児童1人がけがを負ったという連絡があったということで、防衛省は詳しい状況の確認を進めています。』という部分だ。

          つまりNHKが何らかの理由で意図的に情報元の「普天間第二小学校校長」をスルーしたことは明らかだ。(たぶん政治的な理由に違いない。)

           

          私たちは日頃から「NHKは公正中立で一番正しい」と(NHK自身によって)刷り込まれているのはよく解るが、そんなNHKが昨日の今日で言うことが変わればまさに「挙動不審」そのものだろう。大好きなNHKなら、尚更そういう「ちょっとした事」に気が付くぐらいしっかりと見てあげては如何だろうか。

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:24 | comments(0) | - |
          「国民栄誉賞」について
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            国民栄誉賞表彰規定に拠れば、その目的は「広く国民に敬愛され、 社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃える こと」とのことですが、そこでひとつ素朴な疑問が有ります。それはこれまでの受賞者及び候補者が(事実上)スポーツ、芸能関係の方々に絞られていることです。

            参考リンク→ https://www.jijiphoto.jp/ext/portrait/peoples_honor_award.html

             

            もしそういう性質の賞であるということなら、あらかじめ表彰規定に「スポーツ、芸能等の分野に於いて」と前置きして然るべきではないかと思います。というのも「栄誉」という言葉自体の意味に特定のジャンルを示す意味合いは無く、単に「たいへんな名誉」とされているからです。

            それから「敬愛」は「尊敬と親しみの気持ちをもつこと」とされ、更に「尊敬」も「人格・識見・学問・経験などのすぐれた人を、とうとびうやまうこと」であるからには、これも「スポーツや芸能」に限った事では有りません。

            増して「社会に明るい希望を」と言うのであれば、それこそノーベル賞の選考対象のように、政治、経済、科学、文化、芸術など様々な分野の人々が候補に上げられて当然でしょう。

             

            私がここで懸念しているのは、選考基準の内の「広く国民に敬愛され」の部分が「並外れて強い」「並外れて人気がある」「並外れて売れる」の如く解釈されていないかということであって、そうでもなければ受賞者が「スポーツ、芸能」に偏る理由が思いつかないからです。

            しかし残念ながら、これらは何れも「敬愛」とは別物と判断され、両者を混同する事は好ましく有りません。何故なら「殊更に強者を称える価値観というものは、潜在的に敗者を見下す価値観」でもあるからです。にも関わらず国が一方的に「強者」であるが故に褒め称えるというのであれば、何れはそれを「愛国者」と「非国民」を分け隔てる基準とするためのマインドコントロールと疑われても仕方ないでしょう。

             

            何れにせよ「国民の尊敬対象」が「弱肉強食思想の持ち主」であったりすることだけは避けなければなりません。何故なら、それでは国民自ら「強いものに食われる」ことを容認する事になってしまうからです。その際、どうかご自身が社会に於いて「(常に)強者の側に立っている」という幻想を持たないで下さい。強者、弱者は単なる相対的関係でしかなく、切り分けや括り方次第ではたちまち「明日は我が身」というのが正しい認識です。

             

            ただでさえ「時の総理大臣の人気取り」に利用されがちな国民栄誉賞が、今後も競争社会の弱肉強食思想を加速させるツールとして使われないことを願って止みません。

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:45 | comments(0) | - |
            大林組(リニア)、PEZY(スパコン)と国民生活
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              国のトップを始めとする政治家や役人が私腹を肥やすために結託する相手と言えば「大企業」と相場が決まっている。そしてその「大企業の不正の実態」が次々と明らかになっている。取り分け公共工事、公共プロジェクトをめぐる不正では本来「国民に還元されるべき税金」が不当に関連企業に持ち去られ、それを可能とするためには(裏で)それに加担した政治家や役人個人の懐を潤す(キックバックという)仕組みが必ず存在すると見て間違いない。(タダでリスクを負う者などいない。)

               

              つまり「国民全体の暮らしを底上げして豊かにするためのお金が、そういう使われ方をされずに(全体から見れば)ごく一部の特権的な人々に掠め取られることが常態化している」のが実態であって、それが(大企業優遇の税制と相俟って)「いつまで経っても国民生活が豊かにならない」大きな要因であるにも関わらず、何故国民が怒りを感じて声を上げないのか?それには2つの理由があると思われる。

               

              ○ テレビや新聞がたとえ「血税」という言葉は用いても、被害を矮小化して「(被害者である)国民生活への影響」を明確に伝えようとしないため。何故なら所詮は大手マスコミも「大企業」の側だから。

              ○ 政治家や役人、大企業を引っくるめて「勝組」と認識するように多くの国民がマインドコントロールされているから。子供の頃から「悔しかったら勝組になれ!」の如く善悪を超越?した刷り込みが行われることで、全て「勝ち負け」でしか物事を測れなくなっている。

               

              つまり「競争に勝つこと」をことさら善化、美化するのは、権力者(=勝者)が特権を大手を振って行使しするための地ならし的な意味でしか無く、事実上「善悪の判断力」が鈍化する。本当に善であり美しいのは「自分のずるさに勝つ」こと以外に有り得ない。(奇しくも「社会の不正」がそれを証明している。)

               

               

              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:26 | comments(0) | - |
              「嘘をつかない人」へ投票すべし
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                選挙となると各政党、候補者は「勝たなきゃ意味がない」ということで、それこそ「何でも有り」状態となっても不思議ではないが、公職選挙法という「縛り」があるので露骨な買収や選挙妨害をする訳にもいかない。

                そこで最も簡単に出来て効果てきめんなのが「嘘をつく」事だろう。何故なら「ついた嘘」は後日、「状況が変わった」「事態に柔軟に対応」などの大義名分の下、いくらでもひっくり返してウヤムヤにすることが出来るものだからだ。(少なくとも彼ら「常習者」はそう考える。)

                つまり、選挙に於ける「嘘」は、その人物が有権者に対する誠意や言葉の責任のカケラも持ち合わせていない事を物語っているということだ。

                 

                その事を踏まえた上で、改めて(選挙の要とされる)「選挙公約」を見てみると良い。どの政党のそれも(色合いや趣きの差こそあれ)一様に「国民のため」とされている、その「主旨」に変わりはない。(強いて言うなら「直近の課題」に対する認識の違い程度の差だ。)

                であるとすれば、それこそ「どこでもいい」「政権の実績のある方が無難だ」などといった安易な有権者の態度もわからないではないが、事はそう簡単には終わらない。何故なら「選挙公約」そのものの中に、多分に「嘘」が混ぜ込まれており、実際には「国民のためにならない政策」を巧妙に覆い隠しているかも知れないからだ。

                 

                となれば事はむしろ簡単で、選挙に於いて「嘘つき」を除外して行けば良いだけの事で、どの候補者が「嘘つき」か、或いはどの政党、党首が「(常習的)嘘つき」であるかは、過去の経緯を遡れば容易に判るはずだ。(そうすればほぼ絞り込めるはず。)

                 

                という事で、今度の選挙の決め手は(政党の規模や実績に関係なく、消去法によって)「嘘つき(及びその政党)」を排除すること。

                | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:36 | comments(0) | - |
                年の瀬に残念な締めくくり
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                  アメリカのオバマは、任期満了まであと僅かというこの時期に、イタチの最後っ屁よろしくロシア政府に対して関係の悪化を目的とする「根拠無き挑発行為」を連発しています。もちろんロシア政府は相手にもしていませんが、問題はオバマ当人の「人相」です。とても人間のそれとは思えず、まるで○○ビの様です。人間、心に大きな闇を持つとこうなるという見本の様です。その意味では、この人は「自分で自分を騙す事の出来ない正直者」と言えないことも有りませんが、「色々と知り過ぎた失敗者」という側面を考えれば、最早自分の身が危なくなっているのかも知れません。であるとすれば、それも無理からぬ事と言えます。ここで一花咲かせて挽回などと考えても、更に醜態を晒すだけですので、そろそろ覚悟を決めた方が良いと思います。自分で選んだ生き様なのですから。

                   

                  その意味では、日本のアベも似たようなものです。アメリカ追従と戦前回帰の両建てをスローガンに「心此処に在らず」「国民不在」「あからさまな売国行為」に終始した一年で、平気で嘘をつきながらメディア操作を繰り返し、日本を不健全極まりない方向へと引きずりこんだ張本人です。その「人相」には「全部うそ」と書いてあります。オバマもそうですが、こういう人相の人とは心底関わりたく有りません。(よく皆さん寄って行けますね。)

                   

                  この手の人々に表舞台から去って頂くには「取り合わない、相手にしない」のが一番です。逆に言えば今、オバマがいてアベがいる状況は、多くの人々が「取り合い、相手にした」結果と言えます。もっと言えば「欲に釣られて受け入れてしまった」という事です。

                  もちろん一旦招き入れてしまうと、出て行ってもらうのは大変なのですが、目先の欲得に引っかかった自分たちも悪いのですから、そのリスクは自ずとありますが、そうであれば尚更「二度と取り合わない、二度と相手にしない」という決意が必要です。

                   

                  人の「人相」がよく判らないという人は、取りあえず話しっぷりを聞いて「強そうな事、エラそうな事」を言う人、または「猫なで声」の人は極力避けた方が良いでしょう。何故なら「誠実な人」は、決してそうはならないものだからです。

                   

                  来年は「瓦解、崩壊」の年ですが、同時に「確かな芽生え」の年でも有ります様に。

                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:27 | comments(0) | - |
                  みんなで「より良い働き方」を考える
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                    昨日、佐川急便の「荷物ブン投げ」について「アマゾン」の過剰配送サービスについて触れましたが、折よくそれに関連する記事を見つけました。それによると、アマゾンの配送を一括して請け負っているのは「クロネコ」の方でしたが、やはり末端の配送員の方々は、その皺寄せを受けて悲鳴を上げている様です。

                    記事はこちら→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00005530-bengocom-soci

                     

                    今、折しも電通の企業体質による過労死問題がクローズアップされていて、それはそれで良いことなのかも知れませんが、昔から「誰かが死なないと物事をまとも(まじめ?)に考えられない」という日本固有の「国民病」を、本当に何とかしなければならないと心底思います。それは「先見の明」などという大げさな話ではなく、ほんの少しの真っ当な思いやり(=心の共有)さえあれば出来るはずの事です。

                    因みに何故、思いやりが持てないのか。「我先に!」の如く、欲に目が眩んでいるからですよ。

                    それに「サービス」とは「奴隷制度」の事ではなく、「対価に気持ちを通わせる」という意味合いで十分なはずのものだと思います。余り欲深に振舞っていると、必ずしっぺ返しを受けます。

                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:15 | comments(0) | - |
                    心に有ること、心に無いこと。
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                      佐川急便の配達員が、客の荷物や台車を叩きつけて鬱憤晴らしをしていた事が朝のトップニュース扱いというのもどうかと思いますが、これは謂わば「心に有ること」をダイレクトに行なっている姿です。「とんでもないヤツだ!」と思うかも知れませんが、しかしその原因は「もっと早く、もっと便利に」という過剰な配達競争の結果が招いたものです。例えばアマゾンで昼間に注文したものが夕方には届く・・・そんなことを会社が請け負い、それを配達員に求めればこうなることは必定です。

                      従来の感覚では「都内で翌日、関西からは2日、九州からなら3日」それで十分ではないでしょうか。もっと無駄を省いてって・・・無駄なんか最初から有りませんよ。継続的なサービスのために必要なマージンが有るに過ぎません。その部分を次々に働く人々から奪い取って行けば最後にはどういう事になるのか。これは何も佐川急便だけの話では無く、コンビニ業界だろうとなんだろうとみな同じで、「過剰サービス、過剰競争」が、そこで働く人々を破壊して行くのです。みんなで声を上げて「ノー!そんなサービスいらない」と言うべきです。

                       

                      一方でわざわざハワイの真珠湾まで出向いて朝から「心にも無いスピーチ」を行なったのが安倍総理です。その目的は単なる自己保身に過ぎませんから、本人は何の気持ちも入っておりませんし、神妙な振りは演じていても、その言葉には何の重みも説得力も有りません。これで「感動した」などと言う人がいたら、その人自体が嘘を付いているか、さもなくば(安倍総理同様に)「感動」の意味すらもわからないほど中身がスカスカの人としか思えません。

                      安倍総理の自己保身と言えば、このところの「トランプ詣で」や「プーチン大統領との会談」も正にそうであって、何れも中身はスカスカでした。つまりそうでもしなければ政権が持たないという事かも知れませんが、それをしたからといって政権は持ちません。単なる血税の無駄遣いです。パフォーマンスをやりたいのなら、本当にせめて「自腹」でやって欲しいものです。

                      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 08:16 | comments(0) | - |
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