青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

世の中や生き方についての疑問、質問など、何でも受け付けます。コメント欄(Comments)に書き込んでください。

ただ言いたいこと、書きたいことを書くだけでもOKです。(その場合は「コメント不要」と書き加えてください。)

当然ですが、法に触れるようなことは公表できません。また、他人の実名入りなども同様です。
そのような内容はメールでお願いいたします。(プロフィールにあります。)

なお、本名での書き込みはプライバシー保護のためお勧めしません。(ハンドルネームなどご利用ください。)

※当サイトは基本的にリンクフリーですが、貼り付け先等ご一報頂ければ幸いです。
「嘘をつかない人」へ投票すべし
0

    選挙となると各政党、候補者は「勝たなきゃ意味がない」ということで、それこそ「何でも有り」状態となっても不思議ではないが、公職選挙法という「縛り」があるので露骨な買収や選挙妨害をする訳にもいかない。

    そこで最も簡単に出来て効果てきめんなのが「嘘をつく」事だろう。何故なら「ついた嘘」は後日、「状況が変わった」「事態に柔軟に対応」などの大義名分の下、いくらでもひっくり返してウヤムヤにすることが出来るものだからだ。(少なくとも彼ら「常習者」はそう考える。)

    つまり、選挙に於ける「嘘」は、その人物が有権者に対する誠意や言葉の責任のカケラも持ち合わせていない事を物語っているということだ。

     

    その事を踏まえた上で、改めて(選挙の要とされる)「選挙公約」を見てみると良い。どの政党のそれも(色合いや趣きの差こそあれ)一様に「国民のため」とされている、その「主旨」に変わりはない。(強いて言うなら「直近の課題」に対する認識の違い程度の差だ。)

    であるとすれば、それこそ「どこでもいい」「政権の実績のある方が無難だ」などといった安易な有権者の態度もわからないではないが、事はそう簡単には終わらない。何故なら「選挙公約」そのものの中に、多分に「嘘」が混ぜ込まれており、実際には「国民のためにならない政策」を巧妙に覆い隠しているかも知れないからだ。

     

    となれば事はむしろ簡単で、選挙に於いて「嘘つき」を除外して行けば良いだけの事で、どの候補者が「嘘つき」か、或いはどの政党、党首が「(常習的)嘘つき」であるかは、過去の経緯を遡れば容易に判るはずだ。(そうすればほぼ絞り込めるはず。)

     

    という事で、今度の選挙の決め手は(政党の規模や実績に関係なく、消去法によって)「嘘つき(及びその政党)」を排除すること。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:36 | comments(0) | - |
    候補者の後ろの「敵意ムキ出し」の人々
    0

      現在衆院選の最中であるから、新聞やテレビ、ネットでは候補者たちの街頭演説の様子が頻繁に紹介されることになるが、以前から一つ、目について(気になって)しょうがない事がある。それは一部の候補者の取巻きに見られる「演説中の候補者の背後に立っている人たち」の顔だ。

       

      (ボディーガードのつもりか何か知らないが)如何にもコワモテの彼らの表情や目配り、物腰からは、目の前の聴衆に対する「明確な敵意」すら感じる。(事実、そうなのだろう。)しかも始末の悪いことには、そうした「敵意」は、(つい醸し出てしまったレベルのものではなく)むしろ積極的にアピールされている様子さえ感じ取れる。(つまり威嚇行動である。)

       

      これは集まった聴衆に対して「好印象」を与えたい候補者にとって、背後に「露骨な威嚇行動を行う者」を擁している事自体、明らかなマイナスであろうと思うのだが、もしそうであれば(印象操作に敏感ならざるを得ない)当の候補者自身から即座に「(如何に警備とは言え)もうちょっとその顔、何とかならんか?」という指摘があって然るべきだが、実際そうなっていないということは候補者自身が「それがプラス(=正解)」と考えている証拠だ。つまりその候補者は言わず語らず「聴衆を威嚇しておけ」と言っているも同然か、(こちらは候補者として有り得ない話だが)「どうしようもなく思慮の足りない人物」かのどちらかでしかない。

       

      仮に答えが前者であるとして、どうして候補者が聴衆の前で「睨みを利かせる」必要が有るのか?

      それは候補者自身少なからず、聴衆の中に「敵」が多いとの自覚があるからに他ならない。更に何故そう感じるのかと言えば、それはこれまでに「自分自身が(聴衆から)敵視されるような事をやってきた」からに他ならない。そしてその結果として、自身がにこやかに演説する一方で、背後に「お前らナメんなよ」と言わんばかりのコワモテを立たせておくという、まるで一人二役ならぬ「二人一役」とでもいった異様な絵面(えづら)となり、それ自体が「候補者の建前(笑顔)と本音(威嚇)」の様相を呈している。

       

      故に結論として、(如何に美辞麗句、甘事を並べ立てられようとも)テレビや街頭でこんな絵面を見かけたら、「その候補者に投票すべきではない」と思う次第だ。何故なら「安易に聴衆を敵視するような人物」に相違ないだからだ。

       

      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:28 | comments(0) | - |
      仮想世界=「子どもにだって裏があるのに」
      0

        「仮想世界」というと、映画の「マトリックス」のような非現実的イメージに聞こえるが、そうでは有りません。

         

        例えば人間は子どもであっても、成長するに従って「何でもかんでも親に話したりしなくなる」のが普通ですし、それ以前にすでに「友だち関係」などでは「相手に知って欲しいこと」と「相手に知られたくないこと」の区別を付けているはずです。

        つまり(理由はともかくとして)「他人に積極的に知らせたくない部分」がその人間の「裏」ということになり、他人から見ればそれは「存在しないはずのもの」なのですが、にも関わらず実際には「裏として実在」しているものということです。

         

        このように人間の謂わば「希望的観測」をよそに、私たちの現実は「私たちが認識し切れない部分をも含めた実在」を元に成り立っていて、私たちはまさしくそうした「表裏一体の実在」の影響下で生きている、というのが正しい認識だと思います。にも関わらず、(たまたま)知り得た「表の部分」のみを以って安易に「世界観」を構築してしまうとすれば、そのイメージは「現実とは程遠い誤ったイメージ(=仮想世界)である」と言わざるを得ません。

         

        もちろん、人間誰しも実在する全てを100%把握出来ている訳では有りませんが、そうであれば尚更「わからないものはわからない」「なぜ?どうして?」或いは「これは変だ!これはおかしい!」という気持ちを持ち続けることで、観察力、洞察力、思考力(=論理性)を少しでも高め、(人や事象に対する)より真実に近いイメージを求める努力を怠るべきではないと思います。

         

        そうした意味合いに於いて、人やその言動、それに伴う事象が「真実と異なる」のは半ば常識です。取り分け「自己中心思想」がもたらす他者や社会に対する「悪意」の類が、可能な限り隠蔽されるのは当然ですが、それが仮に「善意」であるとしても、あたかも「手柄」の如くいたずらに吹聴して、安易に表面化させて良いというものでも有りません。(妬み、そねみ、やっかみの対象になる場合が有ります。)

         

        このように人間というものは「悪意」は尚更の事、「(善意ある)人格者」であってさえ、自らを100%表面化している訳ではないということで、(良きに付け悪しきに付け)そうした「隠された部分」に関心を払わず、上っ面だけで物事を判断出来たつもりになることは、非常に大きなリスクを伴う生き方と言わざるを得ません。何故なら、そもそもが「誤認」を伴う判断自体がすでに「誤った判断(=選択)」と言え、それ即ち「結果(=失敗)」と直結するからです。(失敗によって苦しむのは自分自身に他なりません。)

         

        因みに「子どもが親に隠し事をする」こと自体は必ずしも悪い兆候とは言えず、普通に考えればそれは「自立」のための一過程に過ぎません。(例えば「隠し事」には「心配を掛けたくない」という動機も有ります。)

        それより何より肝心なのは(その子の)「思想の質と方向性」で、それを理解するためには親の側にこそ、形に表れない「雰囲気」や挙動、言動の端々に表れる「傾向」などを察知し、総合的に判断出来るだけの冷静さと能力が求められる事になります。

         

        ですから、もし「こどもが隠し事をする」或いは「子どもが嘘をつく」など、それだけで感情的になる親がいるとすれば全くの論外であって、それが本質的問題ではなく、逆にそのことを以って「親が子どもから全幅の信頼を置かれていない」事実に気付き、問題意識を持つべきではないでしょうか。

        何故なら、(身内である)自分の子どもから理解されず、従って信頼もされない人間が、どうやって社会の中にあって(他人である)人々から理解され、信頼される事が出来るのか、私には皆目見当も付かないからです。(但し、信頼を得ずとも取引関係であれば可能ですが。)

         

        こうした「仮想世界」に基づく場当たり的な生き方は、必ず破綻します。それは「家庭レベル」で言うなら「育て方をまちがえた!」と嗚咽を漏らす瞬間を迎える事かも知れません。

         

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:39 | comments(0) | - |
        新聞、テレビの「情報操作」の見本
        0

          衆院選公示から僅か2日にして、早速新聞、テレビ各社が「当落予想」なるものをタレ流しているようですが、これぞマインドコントロール、大衆煽動の見本と言って良いでしょう。何故ならその「根拠」とされるものについて、受け止める側が(情報の信憑性を含め)真偽の確認のしようがないからです。

          ただ新聞はイザ知らず、テレビに於いてはそれを報じた後の、キャスターの一瞬の「表情のこわばり」によって、そうした情報が「理不尽で不適切なもの」である事を感じ取ることが出来ます。

           

          例えば「当落予想」で「自公圧勝」などと報じられれば、賛成派は勢い付き、逆に反対派は気持ちを削がれて「意気消沈」とまではいかないにしても、心理的にダメージを受けることは間違いなく、その結果「(行く、行かないを含めた)投票行動」そのものに影響を及ぼすことになるかも知れませんが、そうなるとこれはかなり悪質な「選挙妨害」ということになります。

           

          「悪質」というのは、メディアが大衆に対してあくまでも「公平、平等を装っている」点に集約されます。しかしメディア自体が「営利目的を持つ企業」である限り、各メディアにはそれなり「希望する選挙結果」が存在し、それが必ずしも大衆の期待する結果と結び付くものとは限りません。であれば、そうした自社の立場を明確に打ち出せば良いだけの話に思えますが、それでは逆に「マスメディア」としての地位が危うくなります。

           

          そのため結果的に「表向きは大衆(=視聴者)のための公平、平等」を装い、その実「自社にとって有利な方向へ視聴者を誘導」せざるを得なくなりますが、これはハッキリ言って「騙し」であり、事と次第では視聴者に対する明確な「背信行為」となるでしょう。

           

          このような不条理を解消するには、メディア自身が自社の企業体質や経営理念を抜本的に見直す以外になく、現状ではどうなるものでは有りませんが、少なくとも私たちには「新聞、テレビには大衆煽動の意図が有る」という認識を持ってニュースを見聞きする必要が有るということです。

           

          つまり「新聞、テレビの当落予想に食いつくな、信用するな」ということです。それは単なる「情報操作」に過ぎません。

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:31 | comments(0) | - |
          貧しいコトは恥ずかしい?
          0

            よく裕福な人々の言い回しとして「貧乏人は怠け者だから」というものが有ります。これは暗に「裕福な人々は(それなり能力が高く)効率的に無駄なく働いて、それなりの成果を得ているものだ(=働き者)」という認識の裏返しかも知れません。つまり「貧乏=怠け者(低能力)=恥ずかしい」という図式ということでしょうか。

            だとして、これは果たして本当と言えるのでしょうか。

             

            例えば、ある人が普通に一日の平均的労働時間をこなし、且つ毎月平均的労働日数を満たしているにも関わらず、結果的に「貧しさを禁じ得ない」といった場合、単純に「時給に換算した労働対価が安すぎる」か「収入に対する(ムダな)浪費が多すぎる」か、或いは「その双方が同時に起きている」ということが考えられますが、実際には3番めの「低賃金と浪費が同時に起きている」というケースが多いのではないかと思われます。何故なら、それは「企業の内部留保の増大」「過労死や残業代未払いの問題」、方や「メディアを通じた過剰な消費煽動傾向」など、企業を中心とした社会の動静から容易に想像出来るからです。

             

            しかも「貧乏」とされている労働者を評価し、賃金(という労働対価)を(買い手市場の論理で)一方的に決めているのは「裕福な人々」であり、ことさら近年はそれさえもAIに取って代わられる話までチラつかされるとなれば、それこそ言い値で働かされるしか選択肢がないのが現状であって、少なくとも前述のような「貧乏=怠け者(低能力)=恥ずかしい」という話とは全く無関係であることは明らかです。(騙されてはいけません。)

             

            となれば、不当に低賃金を強いられている人々がその場に何とか踏みとどまるためには「ムダな支出を極力避ける」しかなく、その結果(世間的に)「貧乏」と見做され、それによって(どうでもいい)何らかのランク付けが為される事があったとしても、それ自体「何ら恥じる必要はない」ということです。いや、むしろ状況に「論理的に対応している」として「大いに誇りを持つべき」だと思います。

             

            私は何も「貧しい方が良い」と言っている訳では有りません。しかし一方的に低賃金を強いられる中にあって、無理に物の豊かさを追求しようとすれば、返って(過重労働などの)自殺行為に陥ったり、或いは(犯罪的とは言わないまでも)人間的な資質や品格を犠牲にするような行為や考え方の中に身を置かざるを得なくなることが「如何にも残念」だと言っているだけです。(増して「カッコ悪い」「みっともない」がその理由というのであれば、なおさらです。)

             

            昔から「清貧」という言葉が有る如く、是非この時期を(貧しくとも)豊かな心を以って乗り切って頂きたいと思います。

             

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 12:11 | comments(0) | - |
            「見かけ」で人を判断すべし?
            0

              私たちは日頃「見かけ(だけ)で人を判断してはならない」などと自分自身に言い聞かせることによって、相手方や他人に対する誤った見方に陥らないよう、或いは他者をより深く理解するため自らを戒めて来ましたが、これは「人間の内面と外面は必ずしも一致しない」という認識に基づいたものと言え、それはそれで間違いとは言えません。

               

              しかし本当のところ、人間というものは(当人の“隠したい”という意思に反して)程度の差こそあれ、概ね「内面と外面が一致」していると見て間違い有りません。但しそれは詐欺師などの例を取るなら、あくまでも(それと)「判る人には判るが、判らない人には判らない」といったレベルの話であって、「見る目、聞く耳」を持たない限りは判り難い、というのが実情かも知れません。

               

              本来人間は「完全な自己暗示(=別人格の形成)」に成功でもしない限り、如何に小細工を施そうとも内面の重要な要素は(雰囲気や色合いとして)外面に反映するものですし、他力による暗示(=マインドコントロール)の影響下にある場合であっても、これまた「自分のものではない、操られている」というカラーの反映は免れず、やはりそれと識られる事となります。

               

              因みにこれらの話は「読心術」や「テレパシー」など、所謂オカルティックな話には何ら関係なく、ただ「人間とは本来如何なるものか」を識り得る上での延長線上にあるものという認識が正しいと言え、その意味では本来「誰でも出来ること」「誰でも解ること」と言えるのですが、但しそれには一定の条件が必要となります。

              それは「人は何故(外見で)人を見誤るのか」ということに関係があります。

               

              「他人を見誤る」その正体は私たち自身が持つ「我欲」或いは「執着」に他なりません。

              例えば(詐欺師に限らず)人には「声色(こわいろ)」というものがあり、声色は(単に先天的、生理的な要素だけではなく)その人が日々培ってきた様々なメンタリティが複雑にからみ合って構成される様々な要素によって(波形、周波数、抑揚、速度などが)決定、固定化されたもので、その人格固有のものと言って良いでしょう。であれば当然(猫なで声など)演出上の「自然、不自然」の差異なども含め、声色一つ取ってみても、それを「意識的に完全にコントロールする」など、並大抵のことでは有りません。

              それが可能なのは唯一「役者が役になり切る時(=短期集中の完全な自己暗示)」ぐらいと言えますが、もしそれを四六時中行おうとしても、今度はそのために生じるストレスの影響を受けざるを得なくなり、結局は破綻して何れにせよ継続は不可能でしょう。(強いストレス下では、必ずボロが出ます。)

               

              話が長くなりましたが、とどのつまり私たちが(自身の我欲や執着という制約によって)他人を見誤らない(または騙されない)ためには、何より「豊かな人間性」を育むことに尽きると言えます。「豊かな人間性」は「みんなで良くなろう、みんなで良くしよう」という気持ちを持つことで確実に育まれます。

              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 08:44 | comments(0) | - |
              「嘘つきは泥棒の始まり」どころか・・・
              0

                人間が嘘をつく理由のほとんどが「自己保身」のためだとすれば、それは裏を返せば「相手がどうなろうと構わない」という意味になり、それを更に突き詰めれば「仮に(自分のついた嘘のために)相手が死んでも構わない」ということになります。

                もちろん「つく嘘の程度にも依る」ということでもありましょうが、少なくとも「国政を担う政治家が国民に嘘をつく」という事は、そういうレベルの話と受け止めて良いでしょう。

                 

                ですから「政治家の話の内容がコロコロ変わる」ということを余り軽く見るべきではありません。それ自体が「自己保身」の明確な表れであり、その意味は「自ら負うべきリスクを他人に転嫁する」となり、その人間が「(自分の嘘に依って)他人が受ける(死をも含む)理不尽な苦しみ」に対しても全く意に介さない「冷酷非情な心の持ち主」である事は明白です。(そう言われたくないのなら「嘘をつかなければ良い」だけのことです。)

                 

                どんな「大嘘つき」でも、最初は「小さな嘘」からスタートしますが、一旦それに味をしめると(慣れも生じて)だんだん嘘がレベルアップすることになり、最終的には嘘に「罪悪感」を感じなくなって、それこそどんな嘘でも平然とつき通せるようになりますが、その時点ではもはや単なる「自己保身の権化」「究極の自己中心主義者」「冷酷非情の輩」でしかなく、故に(当然ながら)そのような人を政治家として選出し、政治を任せて良い訳もありません。(それこそ幼稚園レベルの常識です。)

                 

                つまり「嘘つきであることが露呈した時点で、その政治家は終わり」ということです。

                 

                 

                捕捉:人間性の観点から見ても「大義のために嘘をつく」などと言うことは有り得ない。その場合はただ「黙して語らない」だけか、或いは「主旨に沿った方便を用いる」だけのことで、嘘などつく必要は全く無い。

                | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:13 | comments(0) | - |
                人にはそれぞれ「役回り」がある。
                0

                  前回のブログで指摘させて頂いた「(割り込み)土俵入り」の件、もしこの人が「賢い選択」の出来る人であれば「社会にインパクトを提供する」という最大の目的を達成した後は、徐々に「地道で誠実な立ち居振る舞い」に移行して行く事となるでしょう。何故なら、そうすることが自らの「品格」を証明する唯一の手段、方法であることを理解できるはずだからです。また、そうでなければ今後顕著となっていく「大規模な価値の転換」について行けなくなるでしょう。

                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:48 | comments(0) | - |
                  他人のフンドシならぬ「他人の土俵」で・・・
                  0

                    他人が苦労に苦労を重ねて作った真新しい土俵にいきなり割り込みをかけてきてそこで相撲を取ろうなんてする人は、(誰とは言わないが)そもそも信用に値しないだろう。もちろん「選挙戦」の話だ。

                     

                    しかも此の期に及んでなお「希望」だの「改革」だのと(耳触りは良いが)具体的な中身の全くわからない「抽象的な言葉や表現」に終始し、挙句の果ては英語やドイツ語をキーワードのごとく持ちだして他人を煙に巻く。いや、実際そうやってケムに巻こうとしているとしか思えない。(選挙ポスターを見る限り、それは安倍自民党の十八番だ。)

                     

                    もしこのような人が「自民党の補間勢力」あるいは「野党つぶし」の汚名を着せられないようにしたいなら、自ら人としての「地道で誠実な立ち居振る舞い」を示さなければならない。にもかかわらず、あたかも隙を突いて「トンビが油揚げをかっさらう」ような印象を他人に与えておいて、どうして人々の信頼を得ることが出来るのだろう。

                     

                    もしかして、この人はわかっていないのかも知れない。まさに今、安倍晋三氏が国民に問われているのはその「人間性」であるということが。

                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 15:29 | comments(0) | - |
                    そもそも安倍晋三を当選させてはいけない
                    0

                      先日も申し上げた通り、安倍晋三氏の精神性、論理性はとっくに「瓦解、崩壊」しており、(昨日の会見を含めて)その言動は既に常軌を逸したものとなっている。(あらたな音声データなど)森友・加計問題などで追い詰められた結果、もはや彼の脳裏には「自己保身」しか思いよらず、それこそ「逮捕か解散かという究極の二者択一」の結果としての衆議院解散であることは想像に難くない。(少なくとも論理的にはそうなり「大義なき解散」と言われる所以である。)

                      昨日の記者会見については「リテラ」が「大嘘解散会見」と題して詳細な分析を行っているので、そちらを参考にして頂ければと思う。

                      「リテラ」の記事はこちら→ http://lite-ra.com/2017/09/post-3475.html

                       

                      このまま予定通り28日の臨時国会冒頭に於いて衆議院解散が行われ総選挙となった場合、すべての政治家にとって「出方を間違える」ことがあれば、それは文字通り「致命的(命取り)」となろうと思う。(それは投票行動を担う私たちすべての国民にとっても同様の事が言える。)

                      もはや従来型の「利権がらみですべての物事が片付く」という「悪しきマインドコントロールによる認識」がまったく通用しない時代に突入しており、そういった意識の切り替えが出来ないものは、生き残る術さえないのではないかと思えてならない。つまりはここが「正念場」ということだ。

                       

                      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 08:58 | comments(0) | - |
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      293031    
                      << October 2017 >>