青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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「世の中(概ね)これでいいんだ」という安易な考え方
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    誰しも「安定」を望むのは当然で、身近な事では「安定的な収入や生活」、政治的には「安定的な外交政策や経済政策」などが求められる事となる訳ですが、何れにしても肝心なことは、個々の人々に「現状がどのように映っているか」ということだと思います。

    何故なら、基本的に現状維持を望む「保守的な人々」にあっては、(100%満足とは言わないまでも)「安定している」または「安定の道筋は付いている」のように映っているに違いなく、一方で大幅な改革を望む「革新的な人々」にとっては、現状は「容認し難い不安定要素に満ちている」或いは「そうなりつつある」と、強く感じているに違いないからです。

    しかし困ったことに、双方共に望んでいるものは同じ「個人の安定、社会の安定、世界の安定」に他ならないとすれば、いわば「論点は同じ」訳で、それがどうして「変えろ/変えるな」「やめろ/やめるな」などと、真っ向から対立しなければならないのでしょうか。

     

    人によって「現状認識」が異なるのは、一つには「置かれた立場の違い」によるものが大きいと思います。

    例えば、政府が「金持ち優遇」の政策を行えば、お金持ちはその政権を支持し、片や貧しい人々は大いに反発するでしょうが、それではその中間的な立場の人々はどうかと言えば、自分たちにとっては「可もなく不可もなく」ということで、結局「黙認」の形となるでしょう。何故なら「争うリスク」よりも「曲りなりの安定」の方がより「安定的」と言えるからです。(こうした選択の極端なものに「泣き寝入り」がありますが・・・。)

    つまり人は自分が「先行き有利」と感じれば、社会は「安定的で肯定的」に映り、反対に「先行き不利」となれば「不安定で否定的」としか感じられず、何れも「置かれた立場の安定性」に基づいた認識でしか有りません。

     

    しかしこの「置かれた立場」という自己認識自体が絶対的な意味を持つものではなく、極めて主観的でまた、外部から(教育や洗脳によって)どうにでも変える事が可能となる、非常に不確かなものと言わざるを得ません。

    例えば格差社会の元となる「能力偏重主義」の下では、「(他者より求められる)期待値の有無=社会人としての優劣」に直結し、また「全体主義教育」の下では、「他者との違い(=個性)」そのものを「有害物」として排除され兼ねません。反面「温情に乏しく戦略に長けた人間」を「有能」と評価することも決して稀ではないでしょう。

     

    このように自ら「自分はダメだ」とか「自分はせいぜい中くらい」など、自己評価と言えども(暗に)他人の評価の影響を受けている場合も少なからずあるはずです。そしてそれらの教育や洗脳の類は教育現場に留まらず、日常的にテレビや新聞、ネットなどによって、「耳寄りな情報」という形で送られ続けていると見た方が良いと思われます。

    何故なら近年、政府が(半ば公然と)テレビや新聞の内容に対して介入していることが、しばしば伝えられるようになったからです。(即ち「偏向報道の強要=洗脳の意図有り」ということです。)

     

    何れにしても、「自分の損得のみ」で世の中の是非を語って良いわけはなく、またそれが許される時代でも有りません。世界であれ国であれ地域であれ、様々な人々の様々な立場を熟知し、最終的に「みんな(=全員)に良い」方向を目指そうとしない限り、そもそも論ずる資格すらないと思います。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:42 | comments(0) | - |
    日野氏に対するリテラの正論出ました。
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      以下に今回の一件に関する「リテラ」の記事のリンクを貼って置きますので、ご一読をお勧めします。

      記事はこちら→ http://lite-ra.com/2017/09/post-3434.html

       

      この場合の「正論」とは、主観に捕らわれず、目的に対する論理性によって物事の是非を判断しようとする在り方と言って良いと思います。

      そうした観点で言えば、ここでの目的は「ジャズ演奏の指導(=音楽教育)を通じて子どもたちの健全な育成を目指す」ということになるはずです。となれば論点は当然、今回の日野氏の指導が先ずは「子どもたちの健全な育成」という観点からどうなのか、ということが最大の焦点となり、百歩譲っても「演奏の出来栄え」がそのことよりも優先されるという事態があってはならないと思います。

       

      それに加えてリテラの文中で引用されている八幡氏の説明にもあるように、ジャズ(の基本的な精神性と重要な構成要素)は<逸脱>と<回復>であって、これは平たく言えば「現場主義」ということとなり、具体的には「現場で何があろうとモアベターな対応で切り抜ける」として、そのために多くのスキルとエネルギーが投入される事で「ジャズをジャズたらしめている」訳ですから、そもそもがクラシカルな「予定調和」の世界と同様に語れるものでは有りません。(但し出来栄えを気にする余り、近年は一見現場主義風な予定調和も数多く見受けられますが、そのような構成物を純粋に「ジャズ」として評価して良いのかどうか、甚だ疑問の残るところではあります。)

       

      ただ、前回の記事でも書いた通り、私自身当日行われた演奏の流れを把握していないので、演奏に関する具体的なコメントが出来ないという立場に変わりは有りませんが、「ジャズ的にモアベターな着地点」を見つけることで「ジャズの指導と健全な育成」を両立させることは少なからず可能だったように思います。

      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:50 | comments(0) | - |
      物事を「従来の延長線上」で考えてはいけない時代
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        当たり前のことですが、物事を「暫定的かつ限定的」に従来を継承し、その「延長線上」で考え、進めて行くことは有り得るでしょう。しかしそれはあくまでも「物事が行き詰まる前までの話」に過ぎません。

        明らかに「行き詰まり、手詰まり」の状態であるにも関わらず、なおもその延長線上に留まり続け、もがいたりあがいたり、或いはその状況を耐え忍び続ける事に何の意味もないばかりか、むしろ自己破壊的な病的行為とすら思えてなりません。

         

        例えば近年「死ぬほど辛いなら絶対に学校へ行くな」とか「そんな会社は今すぐ辞めろ」などと言われる様になってきたのもその一貫で、それはその通りだと思います。何故なら「学校へ行くことは子どもの権利」であり、会社(仕事)を選ぶことも国民の権利であって、断じて「続けることが義務ではない」からです。

        このように「行き詰まったら物事の論理的原点に立ち返って思考し行動する」ことが求められ、それが自分にとっても社会全体にとっても「後日良い結果」をもたらすと信じて構いません。何故なら、それ以上に「論理的で正しい方法」を思い浮かばないからです。

         

        その昔、一般的な自由主義経済の理論が「人間の際限の無い欲望という前提の上に成り立っている」と知って愕然となった覚えが有ります。つまり世界経済や複雑な経済システムが「人間の強欲」によって動かされているという話ですから、それでいったいどうやって世界平和、平等で公平な社会を目指そうと言うのでしょうか?少なくともその「延長線上」でものを考え続ける限り、無理難題(=非論理的)と言わざるを得ません。

        政治、経済に限らず、今やそういった「馬鹿げた話」は科学、産業、医療、教育など、社会のいたるところで蔓延っていますが、何れどこかの時点でリセットされる事となるでしょう。

         

        即ち、私たちの喫緊の課題は、今の内にそうした事態に対応可能な認識と心構えを養っておくことだと思います。

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:55 | comments(0) | - |
        「日野皓正氏中学生に往復ビンタ報道」について
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          この件の詳細についてはテレビなどでも繰り返し報道され、既に多様な記事がネット上にも溢れていると思われますので、ここでは特に説明したりリンクを貼ったりは致しません。(私心を含まない客観的な記事が少ないためもあります。)

           

          プロフィールにもある通り、私も音楽、それも演奏(アンサンブル)を生業としてきた者の一人として、この件に無関心ではいられませんし、そもそも「青少年の健全な育成」を目的とした当サイトでスルーして良い問題とは思えませんので、自分なりの見解を明らかにする必要が有ると思っています。

           

          ところが困ったことに、この件の一報を見て最初に感じたことが(第三者が判断するには)「情報が(余りにも)足りない!」だったのです。

          例えば事件の発端とされる「ドラムの子のソロが長すぎて」という状況説明にしても、具体的に「何分何秒」と示してもらわなければ客観的な判断の指針には成り得ませんし、本質的にはコンサート全体、それが無理なら少なくとも問題の「アンコール曲の全体像」を見てみなければ「該当部分の客観的判断は不可能」というのが偽らざる気持ちです。

          ※ 週刊文春デジタルが有料会員限定で「動画の完全版」を公開しているようですが、そうした報道姿勢は少し残念です。

           

          但し上記は「これは音楽的に(或いはジャズ的に)どうなの?」と問われた場合の話です。そうではなく、単純に「中学生に対する教育的見地、指導的見地としてどうなの?」ということであれば、それは「イジメや万引きをした生徒に鉄拳制裁、体罰はアリか?」という話と同様で、現時点では「社会通念上それはアウト」とされているものと私は認識しています。

          つまり要約すれば(客観的に見て)「音楽的是非の判断は出来ない」「教育法、指導法としてはアウト」ということです。

           

          ところで今回の報道を受けて、巷では「中学生が悪い」を基調とした「日野氏擁護論」が多数派となりつつある様ですが、その根拠として(音楽的には)「世界の日野vs金髪中学生」という(凡そ勝負に成り得ないという)対立的構図が有り、そこには「世界の日野を怒らせたんだから、中学生が(音楽的に)よっぽど悪いコトをしたに違いない」という納得の仕方もあろうかと思われます。

           

          しかしそうなると(意識の有無に関わらず)「教育法、指導法」よりも「音楽的見栄え、出来栄え」の方が優先順位として「上位」ということになってしまいますが、それでは常々問題にされる「一般的な成果主義に基づく教師の体罰、暴言」とどこが違うのか判りません。

          もしかすると「世界の○○」と付くと許されるといった「権威主義」ということなのでしょうか。

          余談では有りますが、この件についてはミュージシャンなど「業界に近い人々」ほど同情的で、また「忖度」も働き、「擁護論」に傾くことが多いと思われます。

           

          しかしそのような中、知り合いの優秀なトランペッターで日野皓正氏と古くから面識を持つ或る人物が語ってくれました。

          「ボクは日野さん大好きだけど、(動画を見て)アレ〜って思いました。だって日野さんああいう(コトする)人じゃないもの。」

          「すっごく優しい人だから、(ああいうコトは)しない、しない。絶対おかしい。あれ変ですよ。」

          この方曰く、「日野さんは昔からとても分別のある人」とのことです。

           

          この話を聞いて「それが今更何故?」というところにこの問題の本質と奥深さがあるように思いました。

           

           

           

           

           

           

           

           

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 13:10 | comments(0) | - |
          「思想の良し悪し」と「頭の良し悪し」は全く別物
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            通常「頭が良い」と言えば即、「論理的思考に長けている」と思われがちですが、決してそうではなく、実は「より論理的思考に長けている」のは、むしろ「思想が良い」人の方です。何故ならその人は常に「自分の良心」に基づく良識によって物事を判断出来るからです。

             

            思想が良い証しである「良心に従う」ことがどうして「論理的思考」と呼べるのかについてですが、それはそもそも「良心」の実体が「高度な論理の集積」であり、私たちの内面で「理性」を司る役割を担うものに他ならないからです。

             

            そして「理性」が物事の構造的理解を促す働きを持つものであるとするなら、その力(=論理性)は「良心」から引き出されたものと考えるのが自然です。更にはその「良心」を活用する由縁となるのが「良い思想」ということになり、結果として「思想が良い=論理的思考に長けている」という図式が成り立ちます。

             

            但し、ここでいう「論理的思考」とは、単純に「数学や物理学の勉強が得意」という意味ではなく、万事に於いて「物の道理に沿った理解や判断が(無意識、無感覚に)出来る」状態を示します。(例えば優れた音楽作品なども「論理的構造物」と言えますが、通常そのことを私たちが意識することは殆どありません。)

             

            では最後に「単に頭が良い」とはどういう状態を指すのかと言うと、「高度で本質的なレベルの論理を疎かにして、ともするとそれが欠落したまま、より下位の技術的理解に終始する状態」と言い表すことが出来ます。

            無論「思想が良く、頭も良い」のであれば「鬼に金棒」に違い有りませんが、重要なことは「優先すべきは何か」ということです。

             

            ※ 「思想が良い」とは、自分や身内と他人を(少なくとも)同列に思え、扱える人。「思想が悪い」とは自分や身内と他人を(明らかに)同列に思えず、扱えない人。もっと言えば「人の痛みがわからない人」。

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 17:12 | comments(0) | - |
            日本軍の「毒ガス兵器」について
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              日本は8月15日に72回目の終戦記念日を迎えたが、それに先立ってNHKが13日にNHKスペシャル『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』を放送、また15日にはTBSが『NEWS23』の中の特集番組として「綾瀬はるか「戦争」を聞く〜地図から消された秘密の島〜」を放送した。何れも旧日本軍の細菌兵器や毒ガス兵器といったいわゆる「非人道的」とされる兵器の製造や使用の実態に迫るものとなった。

              (リテラの記事は以下のリンクをクリック)

              『731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜』について

              「綾瀬はるか「戦争」を聞く〜地図から消された秘密の島〜」について

               

              戦後72年を経てこうした報道が為される一方で、日本は長い間「731部隊の存在や毒ガス兵器の使用」などを国内外に対して表立って表明する事を避け、どちらかと言うと「曖昧模糊とした状態」にさせたがっているのを、私自身肌で感じてきたものだ。

              しかし残念ながら、少なくともこのうち「毒ガス兵器の使用」に関しては(十数年前に)それを使用した元兵士から直接話を聞かされたので、それ以来個人的にはほぼ間違いないと思っている。

               

              その元兵士は当時戦闘機パイロットとして中国戦線で戦っていたそうで、その折「自分は飛行機から毒ガス入りの爆弾を投下した。」と、はっきりと言っていた。

              何故私がその事を鮮明に覚えているかと言えば、ひとつは「そんなことを人前で堂々と言って良いのだろうか」という気持ちと、もうひとつには当時「毒ガスを爆弾に詰めて使用する」という知識の持ち合わせが無く、逆に「そうだったのか」という思いが強かったがためだ。

              参考までに「毒ガス爆弾」の実物→ https://www.env.go.jp/chemi/gas_inform/pamph2/1-1.pdf#search=%27%E6%AF%92%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%88%86%E5%BC%BE%27

               

              ということで、中国人に対する毒ガス兵器使用の信憑性は高く、その流れで言えば細菌兵器の使用も十分有り得たということになる。(どちらも同じ精神構造で使用出来るものだからだ。)

               

              何れにせよ、この際当時を知る当事者、関係者たちは洗いざらい証言した後、天寿を全うするのが誰のためにも良いと思う。

              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 15:08 | comments(0) | - |
              警察「不祥事」の実態→リテラの記事を読むべし!
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                先日「高井戸警察署」が中学生に対して行なった「不当な取り調べ」(「不適切な取り調べ」ではない。何故なら取り調べの目的から完全に逸脱しており、取り調べと呼ぶに全く当たらないからだ。)について記事にしたが、昨日「リテラ」が大々的に記事にしてくれた事は喜ばしい限りであり、そこでは更に「警察の過去の不祥事の数々」までも列挙する形で、社会に対する問題提起がしっかりと為されている。

                 

                リテラの記事はこちら→http://lite-ra.com/2017/08/post-3383.html

                 

                こうした「警察不祥事の実態」を識るに付け、「ごく一部の心ない警察官(或いは警察官僚)が存在する」と考えるとしたら、それは「全く当たらない」と言って良い。そればかりかむしろ「半分以上はそうなのだろう」と思っても決して間違いではなかろうと思う。

                何故なら、大多数の警察官や警察官僚がそんなに「真っ当」なら、警察自体が当然の如く、とっくの昔に「不祥事の起こり得ない組織」となっていなければ辻褄が合わないからだ。(そうしなければ居心地が悪くて仕方ないはずだ。)

                 

                上記の理由から、現状の警察は「国民の信頼を得るに値しない」と見られても致し方ないだろう。それに口惜しさを感じるなら、心ある警察官、警察官僚は内部から「命がけで組織改革」を断行すれば良い。そんなことは容易いはずだ。(元々命がけで取り組むべき職種だからだ。)

                 

                ※ 因みに私個人としても生涯を通じて警察とは関わりの濃い方で、小学生の時には「誤認による不適切な取り調べ」の実体験すら持っており、決して客観的な情報だけで判断している訳では有りません。

                | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:42 | comments(0) | - |
                高井戸警察署の「不当な取り調べ」事件について
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                  警察への信頼を根底から覆し兼ねない、余りにもくだらなすぎる(口にするのも憚る)内容に付き詳細は差し控えるが、当時の署長の監督責任、署内の管理不行き届きは明白であるにも関わらず、左遷、更迭、処分されたという報道が為されないのはどういう訳だ。警察に限らず組織というものはそういうものだろう。それとも事の重大さが解っていないのか?だとすればこの際徹底した「指導、再教育」が必要なのは、むしろ上の連中に違いない。とにかく、そうした問題の本質をぼかすような「トカゲの尻尾切り」でお茶を濁そうとするのは止めた方が良い。(自分たちがクズであることを自ら告白するようなものだ。)

                   

                  外部リンクによる報道の詳細はこちら→https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170810-00000065-jnn-soci

                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:24 | comments(0) | - |
                  安倍政権の功績
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                    これは皮肉でも何でもなく、安倍政権のおかげで今や世の中には「正論」が溢れかえる様になった。政権丸ごとが国民にとっての、いわゆる100%完璧な「反面教師」と化したためと思われる。もっと解りやすく言えば「反安倍」を唱えるだけで、その対極にある「正論」が自ずと導き出される仕組みとなっていて、アンパンマンや水戸黄門など「勧善懲悪」の子ども向けアニメやドラマの世界ならそれも有りだろうが、これは「現実」であるが故に、一刻も早く「正論」を形にして行かなくてはならない。何故なら「現実の世界」に於ける「間違い」の意味するものは「犠牲者」に他ならないからだ。(逆に言えば、その事に思いが及ばない、またはそれに心を傷めることがないからこそ、平然と「道理」を踏み外し、間違い続けることが出来ると言える。)

                     

                    例えば、他国や他人と「敵対」する事が本当に幸せなのか、あるいは自分たちだけ富み栄えて「物欲にまみれる」事が本当に幸せなのか、私たちが今一度「正論」に照らして自分のイメージを整理整頓してみる、これは良い機会だと思います。

                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:11 | comments(0) | - |
                    万事、対立軸に騙されるなかれ
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                      このブログは元より、次世代を担う若者や子どもたちにとっての不幸(=それは殆どの場合、大人たちによって与えられる受動的なものですが)を除去、軽減していくために必要な提言を行ない、また可能な限りの対策を講じる事を目的としています。

                      巷では「老害」などという言葉も時折り耳にしますが、大人が子どもたちの足を引っ張り、子どもたちの将来を破壊するなど言語道断で、まさしく自然の摂理に反する行為と言って良いでしょう。(凡そ自然界でそんなことが平然と出来るのは人間だけです。)

                      これは殊更子どもをターゲットとしてその破壊を目論むと言うより、大人自身が自己中心主義を高らかと掲げ、子どもたちの前で(臆面もなく)自己主張を展開することで容易に実現出来るため、ほとんどの場合「無意識、無感覚」で行われています。しかし繰り返しますが、自然界でそんなことをするのは「人間だけ」なのです。

                       

                      ところで安倍政権が発足以来強力に推進してきた「愛国教育、全体主義教育」の流れは、森友学園問題がクローズアップされた事で多くの国民が強い違和感を感じ、一定の歯止めが掛けられた様で何よりです。これを契機として今後は更に、明らかな改悪と言える「教育基本法」、胡散臭さ全開の「教育振興基本計画」など、早急に見直す必要があると思われます。何故なら、これらは何れも前述の「愛国教育、全体主義教育」の布石としての意味合いが強く感じられるものだからです。

                       

                      しかし何故、安倍政権が比較的短期間で私たちが強い危機感を覚えるまでに教育環境を変容させる事が出来たのか、という問題が有ります。そのキーワードが「対立軸」です。

                      つまり「ゆとり、(個人の)自由」がダメなら「強制、全体主義(=愛国)」という対立軸がいきなり持ち出されますが、思えば安倍政権は一貫してこの手法でこれまで突き進んできたと言えます。

                      そもそも「決められない政治→決められる政治」から始まって「対話路線→強硬路線」「官僚主導→政治主導(支配)」「歴史的教訓→歴史修正主義」「平和主義→軍国主義」「プライバシーの尊重→監視(管理)社会」となり、遂には行き着くところ「民主制→強権支配(絶対君主制?)」しかなくなってしまいます。

                       

                      このような政権の振る舞いには「忍耐」とか「調和」といった、人としての美徳の要素がまったく有りません。これらは特に人の上に立ち、リーダーシップをとる人間には「絶対不可欠」の要素です。何故なら「対立軸」とは課題や問題を明確にするための謂わば「極論」として無意味とは言わないまでも、それ自体を「答え」として用いるべき代物とは言えないものだからです。(そもそも対立するのはそれらが「極論」だからです。)

                      ですから物事の「調和」を図り、多くの人たちにとってバランスの良い納得の行く答えを導き出すためには、それなりの時間と手間暇が掛かり、その作業に「忍耐」が求められるのは当然ですが、結果はその努力を補って余り有るものとなるはずです。因みに「調和」には、相手の身になって物事を感じたり考えたりする心や能力が求められますが、まさに政治家にはそれが絶対に必要と言えるでしょう。

                       

                      つまり「対立軸」で表されるところの「(わかりやすい)極論」に安易に跳び付くと、為政者も国民もとんでもない目に遭い、痛い思いをするということを安倍政権によって私たちは学びました。もちろんその中には学校へ通っている多くの子どもたちも含まれています。それ故、私たちはいち早く「日本国」として進路を修正する必要に迫られているのです。

                      その手掛かりとして、私たちは常に「中庸」「中道」を目指すべきだと思います。しかし世の中の形や構成要素、そこに集う人々の状況や、そもそも自身の状態さえも日々変化するものですから、それに連れて「何を以って中庸(中道)とするか」も日々変化するでしょう。

                      ですから「完璧」を求めるではなく、何よりそうした心を持つことが大切であるということだと思います。

                       

                      例えば「自分に厳しく、人には優しく」という在り方も、非常に上手い心のバランスの取り方と言えるのです。

                      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:29 | comments(0) | - |
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