青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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「○○は必要!」という勘違い(=誤認、錯覚)
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    これは近年に於いてはもっぱらスマホ、SNS、インスタ、ラインなどを始めとする、主にネット上で主流とされている種々の会員サービスなどの大半に当てはまる事と言え、古くはテレビ、新聞などの慣習的な視聴、購読にも遡る。それらの共通する最大の特長は「便利」であることもさることながら、むしろ「それをしないと取り残される的な強迫観念」にあると言え、これはちょうどファッションに敏感な人が流行のファッションに乗り遅れた格好で街を歩く時に受ける「疎外感や劣等感」と同等か、より深刻なものと思われる。サービスへの依存度は人によって様々だろうが、場合によっては「無くてはならないもの」「無いと生きられない」ぐらいの感覚かも知れない。しかし現実にそれで生きられなくなるとは考え難く、その時点で既に物事や状況に対する誤認、錯覚が起きていると思われる。

     

    人が利便性の高いものや主流と言われるものに飛び付く気持ちも解らないではないが、その一方では同時にそうした新たな土壌や環境が様々な悪意の温床ともなり、詐欺や成りすまし、イジメ、ストーカー行為、誹謗中傷、フェイクニュース、不適切な煽動や勧誘、個人情報の漏洩などの被害が跡を絶たないのも事実だ。

    現在の環境が「自分にとって本当に(正しい意味で)必要な環境」ならまだしも、必ずしもそうでないならわざわざ「荒れた環境、危険を伴う環境」に(ちょっとぐらい便利だからといって)身を投じる必要はないし、少しでも不安や違和感を感じたら可能な限り速やかに撤退すべきだと思う。そうしたからといって後々困る事など殆ど無い。

     

    因みに自分の場合、現時点で主流とされているサービスの殆どに未加入、もしくは撤退していますしスマホも持っていませんが、社会生活上も何ら不便は感じておりません。パソコンもLinuxで十分。(スタンドアローンの作業用Windowsは有りますが)

    所詮、個人的環境に於ける便利とか不便とか必要とか不要とかは自分で感じて決めることだと思っています。

    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:32 | comments(0) | - |
    せっかちな人には判らないかも知れないが、
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      世の中は嘗て無いほど猛烈なスピードで「従来的価値感の崩壊及び再構築」が起きています。それは端的に言えば「行き詰まりの結果による当然の帰結」としてもたらされていると考えられます。それは国際社会然り、日本社会然り、また個々人の内面に於いても然りであって、何れも「無理を重ね続けた結果の表れ」と見ることができます。何故なら「無理は理に無いこと」であって、一旦は押し切ったとしてもそれは極めて不自然、不安定な状態に過ぎず、土台保つ事自体が不可能な代物だからです。

       

      物事は(人人の思惑はいざ知らず)全体としては必ずや現状をより自然でより安定的な状態に移行させようという方向性と力が働くもので、それをいち早く感じて流れに沿った生き方を選択することが重要かつ正しいと言えるでしょう。何故なら(物の道理として)個々の繁栄や発展も当然その先にしか無いと考えられるからです。

       

      一方で、そうした自然の摂理に準じた流れを無視、或いは感じることすら出来ずに、相変わらず「従来的価値観に固執した生き方から脱却出来ない人々(例えば金と権力、弱肉強食etc...)」もいますが、前述の理由によって既に「一寸先も闇」のリスクが迫っていると考えて良いでしょう。というより現状の「固定観念自体が既に何も見えていない状態」というのが正しい認識です。(ハッキリ言って危険です!)

      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:36 | comments(0) | - |
      私たちの社会は確実に進展しています。
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        ふつう「社会の進展」というと、テクノロジーの進歩や居住環境の改善、安心、安全性の向上など、明らかな形となって実感できることを指すと思いますが、この場合の「進展」はそういう意味ではなく、単に「おかしいもの、変なもの」に対して「おかしい、変だ」といった認識が進みつつあることを指します。

         

        そうした認識が初めのうちは「何かおかしい」といった疑惑や疑念に留まっていたものが、やがて「明らかにおかしい」となれば、これはもう物事が大きく動く(変わる)前兆と言って良いでしょう。そして現在は最早そうした段階ですから、程なくそうなると思われます。それは文字通り、形としての社会の「変動、変化」であり、或いは「瓦解、崩壊」を指しますが、その過程を経なければ私たちが真っ当な社会を迎えることは決してできないと思われます。

         

        何故なら、私たちが違和感を禁じ得ない社会は偶発的に生じた結果などではなく、むしろ意図的に構築されたものだからです。しかもその意図にこれまで無意識的に賛同してきたのが私たち自身なのですから、謂わば「自分の首を自分で絞めてきた」ようなものですが、それを直ちに止めましょう。自分のポジションに於いて一人ひとりがそうするだけで世の中は確実に変わります。(既に多くの人々がそれを始めています。)

        | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:56 | comments(0) | - |
        現政権のもたらしたもの
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          日本には現政権と同様の「汚いやり方」が浸透してしまったようで言葉もない。

          | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:37 | comments(0) | - |
          近況報告
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            ここ一ヶ月余りは現在各自治体によって実施されている「小・中学校に於ける学校選択制」の下での論理的不整合と決定的な矛盾点がなおざりにされ、それによって一部の子どもたちの登下校の安全が不当に脅かされている実態の早急な是正、改善を促すための「対峙と提案」に終始しておりました。

            それらの詳細はまた別の機会にするとしても、「おれはおかしい!」と思って実際に動いて見ると、実に色々なことが判ってきます。故にやはり「おかしいものはおかしい」として(面倒がらずに)事に対峙し行動することは非常に意味が有り、重要であると再認識致しました。

            (ヒント:学校側は強迫観念の下、時として保護者側の想像を絶する様な考えに固執することが有ります。)

             

            一方で国際情勢は日々大きく変動し、日本社会もそれにつれて様々な対応を余儀なくされています。

            現政権に関してはもはや論ずる段階はとうに過ぎ、膿を出し切ると言うよりむしろ「悪性腫瘍をどうするか」に近い話と考えるべきでしょう。(無論放っておけば早晩日本全体が機能不全に陥ります。)

             

            道徳教育などは物の役にも立たないばかりか、逆に日本中に「虚無」を蔓延させることに成り兼ねません。何故なら「競争原理」を基本とした社会システムの下では「矛盾や葛藤の元」にしか成り得ないからです。即ち人間性を破壊したのは「競争原理」であって、それは人の道(=道徳)と100%競合するもの故に、私たちが真っ先に為すべきは「道徳云々」ではなく、まず「競争原理の全否定」からです。

             

            道徳教育とは本来「競争原理」を社会から根絶させる目的を持つものであって、間違っても「競争原理」のお茶を濁すためのものでは有りません。

            | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:12 | comments(0) | - |
            「政治の話をするな」???
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              日刊ゲンダイDIGITAL〈若者の間でも…「政治の話をするな」日本を覆う陰鬱な空気〉という記事を見つけた。要は「政治の話は重いからイヤだ」ということらしい。ではそういう人は何の話ならOKと言うのだろう?

               

              人には誰彼問わず人生があり将来があるはずだが、一体誰が自分が生きて行く上で敢えて「劣悪な環境」を望むというのか。それどころか大方の人は今より少しでも「生きやすく快適な環境」を望んでいるはずと思う。その意味で「政治(環境)の話」というのは自分にとってより身近な生活環境の話、即ち家庭環境、知人友人環境、学校職場環境、地域環境などの明らかに延長線上にあるに過ぎず、人間が生存権を主張し生きやすさを求める時に「政治の話は別」的な論理は存在しない。(具体的な関わり方には一定のルールがあるにせよ、少なくとも評価や問題意識を持つことは自由なはずだ。)

               

              逆に「政治の話は重い」と言う人に訊きたいのだが、では「家庭内や知人友人同士、或いは学校や職場や近隣住民」とはお互いの生活環境を整えるための話し合いが良く出来ているとでもいうのだろうか?たぶん無理だと思う。そういう人はおそらく「現状で自分が入り込めそうな隙間を見つけてそこに身を置くことで細やかな満足を得ようとする人」かも知れない。(そこで「しめしめ」と思うのも確かに一つの生き方かも知れない。)

              だが私が危惧するのは「もし入り込める隙間が無くなり、居場所が無くなってしまったらどうするのだ」ということで、それが既に現実化していることは様々な陰惨な事件や社会に蔓延する閉塞状況が証明している。

               

              どう生きようと自由かも知れないが、成り行き任せの無責任な生き方には相応の結果しかついて来ないものだ。そういうのを「自滅」という。

               

               

              | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:09 | comments(0) | - |
              「勝利至上主義」からの離脱
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                以前に「あらゆる事件は全て繋がっている?」というタイトルの記事で「競争社会が如何に人と社会を破壊しているか」について申し述べたが、改めてその事を強調しておきたい。というのも昨今次々に露見する政界、財界に於ける数々の(隠蔽、改ざん、捏造等の)不祥事から大学のアメリカンフットボール部に於ける「有り得ない反則行為」までに至る全てが、競争社会に於ける「(身勝手極まりない)勝利至上主義」に基づいている事は異論の余地が無いからだ。

                 

                その根底には最早「勝つためには何でもやる(=何をしても良い)」「勝ちたいならそっちもやれば良い」という無味乾燥なお定まりの話しかない。いわゆる「弱肉強食」と言いたいのだろうが、何度も言うように自然界には「全体のバランスを無視」するような弱肉強食は存在し得ない。何故ならそれをすれば自然界自体が崩壊をきたし、自身も生存出来なくなることは自明の理だからだ。

                つまりそんな愚かな事を望んだり行なったりするのは人間だけであり、案の定それ故「人間性の失墜=社会の崩壊という破滅の危機」に瀕している。

                 

                話は変わるが、最近小学5年生70人を対象に「この格言を知っているか」というアンケート調査する機会を得た。結果は以下の通りだ。

                 

                「出る杭は打たれる」=全員知らない

                「能ある鷹は爪を隠す」=七割以上が知っている

                「実るほど頭を垂れる稲穂かな」=ほとんどが知らない

                 

                つまり多くの子どもたちが競争社会の中で「出る杭(=突出)」することを望んでおり、戦略的には「爪(=手の内)を隠す」必要性も理解しているが、本質的に自らの能力や功績を社会に還元していく思いは乏しい(=独り占め)という事とも読み取れる。

                 

                こうした教育上の弊害をも含めて「勝利至上主義」から即刻離脱すべきだ。

                | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:44 | comments(0) | - |
                もはや「実力組織」が国民の障壁
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                  原発行政、格差社会、愛国教育、憲法改悪、バラマキ外交・・・等々、どれ一つとして国民のためにならないばかりか、まるで国民を窮地に追い込もうとするかの如く悪政に対し、「退陣」を求めて立ち上がる良識有る国民の前に立ちはだかるものと言えば、公的な実力組織である警察、検察、裁判所、それに政権の息のかかったNHKや民間のメディアも含まれよう。

                  これら国民にとっての「障壁」の共通点は、官民問わず何れも「実力組織(=暴力装置)」であるということだ。(「暴力」とは一方的に物理的、精神的ダメージを与え得る状況を指す。)無論政権側としてもそんなことは百も承知故に、この期に及んでもそれら「障壁」をフルに活用してくることは想像に難くない。(具体的にはデモの過剰警備、政治家や官僚の不起訴、政府に有利な判決、報道の忖度などに表れている。)

                   

                  百歩譲って公務員の場合、公務員法によって「国に逆らえない」のはわかるが、だからと言って国民に対する排除や妨害を「嬉々として行う」メンタリティがもし存在するとすれば、国民主権下の公務員としては大いに問題が有るとしか言いようがなく、本来公務員としての資格がない。せめて前川氏のように「面従腹背」で取り敢えず悪政にも当面従わざるを得ないというのが妥当なところだろう。

                  しかしメディア連中に至ってはその限りではなく、国民の声に呼応した良識有る行動を取らない時点で「アウト」であることは言うまでもない。

                   

                  その意味では公立学校の教職員も同様で、ある意味「実力組織の一員」であることは間違いない。何故なら教育基本法と、それを骨子とした地域ごとの教育振興基本計画に定められた教育を子ども(と親)たちに「強要」する以外の選択肢が基本的に与えられておらず、もしそういった「教育の主旨」自体に誤りがあっても逆らうことは許されていないからだ。(無論「辞職する」ことは可能だが。)

                  これは子どもたちの未来を左右する重大な局面であることを思えば、非常に罪深いことだと思う。(事実、戦前戦中は軍国教育が強要された。)

                  良きにつけ悪しきにつけ小中学校で行われる教育活動の実態を甘く見てはいけない。(文字通りここで「国の質」が決定されてしまう。)

                   

                  まもなくすべての価値観が逆転するだろうが、そうなれば公務員もメディアも実力組織へったくれもなくなるはずだ。そうなってから慌てても遅い。(過去は消えない。)

                  | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:41 | comments(0) | - |
                  問題は「警察、検察、裁判所」の恣意的運用?
                  0

                    この度、自衛隊三佐による小西洋之民進党参議院議員への暴言を通じて、我が国の実力組織(=暴力装置)内部の人間たちが何を使命、役割とわきまえて仕事に服しているのか(の一端が)が明らかにされた。即ち政府(時の政権)を批判、追求する姿勢そのものを「国賊」呼ばわりすることから、彼らの任務の主眼が主権者である国民を守ることではなく、時の政治権力を守ることに置かれているということだ。しかもその詳述を耳にする限り、一時の個人的感情というより、組織の内部でそのように教育され、そうした気風が醸成されている可能性が高い。これは単純に政府に抗う国民を敵と見做し、銃口が向けられる可能性を示唆するものだ。

                     

                    一方で自衛隊以上に我々国民の日常に深い関わりを有する実力組織(=暴力装置)と言えば、警察、検察、裁判所だが、果たしてここでは「国民主権」が徹底されているかと言えば、おそらくそんなことはなく、むしろ自衛隊以上に(憲法の主旨に反して)政権におもねる姿勢が浮き彫りにされているように感じられる。(政権絡みの疑惑追求に対して腰砕けの印象は否めない。)これは国民の目線で見れば、場合によっては「職務怠慢」と映ることさえある。

                     

                    昨今は内部告発によって様々な不祥事や不備が明らかにされているが、この肝心の「暴力装置群」からは未だそういう「改革の狼煙(のろし)」が上がってこない。いわば日本で最も意識改革の立ち遅れた部分と言える。やはり「暴力」が横行するコワい体質が災いしてなかなか横槍が入れられないのかと訝しんでしまうが、だとすると余計に始末が悪い。

                    だとしても何れは外圧によるトップダウン方式で、こうした実力組織も180度の変革を余儀なくされるに違いない。

                    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:28 | comments(0) | - |
                    突き付けられた真実
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                      今回の公文書改ざん問題、自衛隊PKO日報隠蔽問題などによる国会紛糾によって広く国民の知ることとなった事と言えば、社会を健全且つ円滑に運営していくための社会システムが肝心なところに限って「形骸化」しており、全く機能していないという紛れもない事実であろう。

                       

                      それは何も国政レベルに限った話ではなく、国政がそうであるなら県政、市政、町政共にそうと考えざるを得ない。取り分け社会システムの健全性を保つ役割を担うべき司法や検察、警察の偏向や劣化が如実であるとすれば、それは憲法の精神すらも踏みにじられ、社会システムが実質崩壊している事を意味する。(法の番人が機能不全に陥れば当然そうなる。)

                       

                      そうなれば世の中では(建前上の)強弁やどうしようもない屁理屈が堂々とまかり通るようになり、実際「何が正しいか」が問題にされるのではなく「(当面)何に(誰に)従属するのが損か得か」という低次元の発想が最大の関心事となることは、火を見るよりも明らかだ。(既に八割方そうなっている。)

                       

                      但し「当面」の損得は決して(未来永劫はおろか)一寸先をも保証しない。何故ならその選択は「論理的に間違っている」からだ。論理的に練り考えられた社会システムを「形骸化」させるということは「論理に背く」ことに他ならず、それは滅びの道でしか有り得ない。だから「低次元の発想」と言わざるを得ない。

                       

                      故に今更「社会システムをどうこうしましょう」という論議も教育も不毛で意味が無いと断言出来る。何故なら問題は「システムの不備」から発しているのではなく、明らかに「人間性や社会性の欠如」そのものだからだ。(但し愛国心云々には関係ない。)

                      強いて言うなら価値観の最上位に「人間性」を持ってくれば良いだけの話だ。そうすれば「人間性の乏しい人間に立派な肩書を与えるような愚」を犯すような事は根絶出来るはずだ。

                       

                      そして更に言うなら、今後世の中は必ずそうした方向へ向かう。それは当ブログでも以前より「価値観が180度変わる」と言い続けてきた通りだ。何故なら私たちが「突き付けられた真実」に対する答えはそれしかないからだ。

                      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:55 | comments(0) | - |
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