青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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もし山本太郎が・・・
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    今回の参議院議員選挙で山本太郎氏を代表とする「れいわ新撰組」が躍進を遂げ、山本太郎氏は一躍「時の人」となりました。(実際には参院選前からかなり注目度が高かったのですが、NHKを筆頭に大手マスコミが(都合が悪いため)「完全無視」を決め込んでいただけです。)

     

    ところで当ブログの趣旨は「みんなで良くなる、みんなで良くする」という基本理念に基づいた社会を実現するための啓蒙活動にあります。(因みに過去記事はこちら)

    そこでもし、山本太郎氏がこの「みんなで良くなる、みんなで良くする」という社会理念の基に政治活動しているということであるなら、政治家として「唯一無二の希少な存在」と言って良いでしょう。何故なら他の多くの政治家は一言で表すなら「(それとなく)上手くやろう」と言っているに過ぎないからで、この両者の言には雲泥の差が有ります。(そもそもが上手くやろうなどという程度のボカシの掛かった発想や覚悟で上手く出来る筈も有りません。)

     

    ということで、最早当面の焦点は果たして「山本太郎氏が本物か否か」に尽きると思います。

    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:25 | comments(0) | - |
    大きいコトはイイことだ!!・・・???
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      その昔、日本がまだ経済成長の最中にあった頃「大きいコトはイイことだ!」という某菓子メーカーのコマーシャルが大々的にヒットしたのを覚えているが、今になって思えばこれは大間違いであって、そもそも「小さいコトは悪いことだ!」という印象を与えかねない危険な発想であり、近年のマイカーに見られる「車体の巨大化」など、種々の社会現象にも共通するものを感じざるを得ない。

      純粋に論理的選択をするのであれば「ちょうどイイのが一番いい」に決まっている。何故なら、それを逸脱する部分は「単なる欲」に過ぎないからだ。

       

      ※ 本文は、社会に於いて(競争力の一環として)いたずらに大きさを求める発想に対する警鐘を意図しており、決して「生まれつき身体の大きい人」等の尊厳を傷付けるものでは一切有りません。

      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 10:15 | comments(0) | - |
      巨大組織がことごとく「ダメ」な理由(ワケ)
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        以前に宗教団体について「巨大組織=圧力団体」であり、そもそも「巨大化自体が(他を圧倒し)社会的権力を得るための手段」である旨説明したが、それは言い換えれば「おごり(=やりたい放題)」を獲得するための手段と言って良い。つまり「巨大組織がたまたま驕(おご)る」のではなく、端(はな)から「それが目的」という事になる。となれば更には「巨大組織であること自体が(他者を圧迫するという意味に於いて)広義に於ける反社会性を有している」と言える。

        つまり極論を言えば「悪意が無ければ巨大組織など作らない」し、「善意であれば最低必要源の組織しか作らない」ということだ。(必要に応じて小組織が権力に依存しない「協同組合的な結び付き」を持てば良い。)

         

        故に「巨大政党のおごり」「巨大企業のおごり」「巨大宗教法人のおごり」など、全ては同根であり、その社会に対する有害性の指摘や批判からは当然免れるべくもなく、時と共に解体もしくは崩壊の憂き目を見ることになります。

        | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:05 | comments(0) | - |
        投票しない人は文句を言う権利や資格が無い!
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          これはもちろん、来たる7月21日(日)の参議院議員選挙に於ける投票行動に関する話で、(やむを得ない事情以外で)投票を行わないということは、あらゆる選挙結果に対してそれを100%容認し、その結果どのような社会になろうとも(一切文句や不満を漏らさず)、100%従属の意思を示したものと解釈されても仕方有りません。

          つまり「投票しない(=棄権)」とは、実際には「俺は関係ネエよ!」とはならず、「皆さんにお任せします!」「100%従います!」ということです。

           

          よく「投票したい人(=候補者)がいない」という話を耳にしますが、そういう場合は当然ですが自分の希望に対して「一番かけ離れた主張をしている候補者から順に外して行く」ことで、最後に残った「似たりよったりの人たち」の内、誰でもいいから名前(比例であれば政党、団体名、)を書けば良いのです。そうすれば以後、堂々と不満や文句を公然とぶち撒けられるようになるでしょう。社会で何か不都合な事が起きれば「それ見たことか!」「だから言ったろ!」「ふざけるな!」等々・・・好きなだけ言ったら良いのです。少なくともみんながそういう権利や資格が有る。それはある意味「健全な社会」です。そう思われませんか?

          | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 10:09 | comments(0) | - |
          「かんぽ生命」と「振り込め詐欺」・・・どこが違う?
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            高齢者や猜疑心の乏しいお人好しな人々を(故意に)騙してお金をむしり取る・・・手口はどこも変わらない。いや、振り込め詐欺と違って「信用度の高い本物の身分」を使って詐欺を働くところが更に「悪質」と言えるだろう。それが証拠には、そもそも被害件数の桁が違う。9万件超とは何事か!それを見ても、これらが(現場の人間の思い付きではなく)巨大企業による組織ぐるみの犯行であることは明白だ。つまり「かんぽ生命」とは、そういう「反社会的な性格を帯びた会社」であるということになる。

             

            このように今後も「まさか!」と耳を疑いたくなる様な(組織や個人の)不正や犯罪が、次々と白日の下に曝される事となるだろう。何故なら今年は「結果現象の年」であり、これらは紛れもなく反社会的な想念によってもたらされた行為、行動の「結果現象」に他ならないからだ。

             

            「いい大人が雁首揃えて何やってんだ。子どもの教育上悪いぞ!」と言ってやりたい気持ちだ。本当に情けない。(利益至上主義は必ず道を踏み誤る)

            | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 10:50 | comments(0) | - |
            自動運転や安全装置も結構だが・・・
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              高齢者による車の操作ミスが疑われる事故の頻発が社会問題化される中で、自動運転や安全装置に話題が集中するのも結構だが、個人的にはそれ以前に昨今の一般的なオートマ(チック)車の加速の良さとハンドルの軽さが非常に気になる。論理的には、操作に要する負荷が軽いということは、反応が良い反面、微妙なコントロールがし辛(づら)いということだと思われる。すなわちこのような車は、運動能力や反射神経、判断力の弱まった高齢者向きとは到底思えない。(喩えて言えば、素人がいきなりレーシングカーを操る様なものだ。)

               

              こうした事は、一重にメーカー側の販売戦略や設計思想(メーカーや車種によって差異有り)に起因するため、自ら自覚を持ってコントロール可能な車種を選ぶしかないのが現状だろう。(因みに私は、車が自らのコントロール能力の範疇を逸脱しない様、重めのハンドルを装備したマニュアル車を選択している。)

               

              教訓: 乗り心地がソフトで操作感が軽い方が安全とは限らない

              | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:52 | comments(0) | - |
              政府コケれば皆コケる!
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                もはや日本の現状は、政府、財界の中枢から国民の末端に至るまで、嘘とデタラメの公然とまかり通る史上最低、最悪の状況と言わざるを得ず、社会のありとあらゆるシーンで常軌を逸し、人道という唯一無二の軌道から逸脱した大量の人々が日々コケまくっている。もっともそうした人々には、自ら発する嘘やデタラメが自分自身を自滅の方向へ追い込んでいるという認識も無ければ、日本社会全体が危機的状況に陥っているという認識すらも無いだろうから、そもそも救いようが無い。

                これらの流れを劇的に変え得るには、もはや「オールリセット」しか無い。「備えあれば憂いなし」はもちろんだが、取り分け心の備えは常日頃より万全でありたいものだ。

                | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 08:44 | comments(0) | - |
                NHK西東京営業センターへ行ってきました。
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                  NHK籾井前会長の「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」という、謂わば政権への「忖度宣言発言」以来、年に2回のペースで(地域の受信料徴収業務を行う)NHK西東京営業センターの担当者(主任クラス)にアポを取って「意見、感想、評価を伝えるため」毎回こちらから出向いております。その上でこちらが納得出来れば「対価」として過去の受信料を払うという条件であって、近年のNHKの著しい劣化からしても当然先払いなど出来る状況ではなく、それが私なりの物事に対する「対峙」の有り方です。そのための下調べをしたり、根拠となる記事や記述のプリントアウトを持参したりと、はっきり言って面倒くさいですが、およそ「対峙」とは面倒くさいものであり、またそれ無くしては物事を先に進めることは出来ないと理解しています。ここで1つ重要な事は、対峙とは「争う」ことではなく、「身を以って説得に務める」ことだということです。

                   

                  今回、担当者に伝えた要点は以下の通りです。

                   

                   

                  ◎ NHKの元記者、相澤冬樹氏の告発に対する不誠実な対応。

                   

                  ◎ NHK番組「日曜討論」に於ける安倍総理の「あそこの珊瑚は移植した」発言への疑義に対する不誠実な対応。

                   

                  ◎ 岩屋防衛相の「脅威を感じるのはむしろ丸腰の哨戒機」報道の垂れ流し。(哨戒機は艦艇攻撃可能機種)

                   

                  ◎ NHK上田会長のステルス性が「NHKの変質」に拍車を掛けている。(籾井氏の方が見える分まだまし)

                   

                  ◎ 結果、NHKは恣意的、意図的に報道を歪めているか、もしくは天然ボケの集団かの2つに1つだが、後者は考え難い。

                   

                   

                  しかしながら今年はすでに「対峙の年」ではなく「結果現象の年」なわけですから、巨大組織NHKとて予断を許さない状況に陥りかねません。

                  今後は、自分の人生を自分でプロデュースする気概の無い人は(たとえNHK職員と言えども)非常に厳しい局面に追い込まれるに違いありません。

                  | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:33 | comments(0) | - |
                  「悪は悪を以って制する」とは?
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                    本年2019年は「結果現象の年」という当方の見立てについて、もう少し説明を加えて見たいと思います。

                    2018年に巻き起こった「対峙」の流れによってより鮮明となった人間社会に於ける「(価値観の)二分化」の後に来るものは、決して相容れない価値観によってもたらされる離脱、分離、独立などの「双方の関係性の実質的な希薄化」と言っても過言ではなく、これは単純に「いたたまれない所にはいない」という、謂わば「物理的な二分化(=住み分け)」という動きに発展するかも知れません。

                     

                    こうした際の押さえておくべきポイントが2つ有ります。

                    1つには、現状の社会構造、組織、枠組みにあくまで居座り続けようとするのは、より既存の利権や物的な執着の強い側であるということ。

                    今1つは、敢えて対峙することを避けた謂わば「沈黙する人々」に対する捉え方や処遇の問題ですが、こうしたケースに於いては(結果的に)成り行き任せ=長いものに巻かれる=(社会的)責任感の欠如とみなされても致し方なく、そうした意味で(無意識に)「二分化」の一翼を担っていることになります。

                     

                    また「対峙」が本格的な戦いの前哨戦の如きイメージも、明らかな誤りです。何故なら現社会に於ける対峙の構図の殆どには、何がしかの「倫理的、道義的是非」を問う意図が含まれており、それは究極的には物事の解決手段としての実力行使(=戦争)の是非をめぐる二分化とも言えるからです。ですから、もし対峙から武力衝突が起きたというのであれば、それは(暴力団同士の抗争と同様に)同じ価値観を持った者同士の単なる覇権、勢力争いに過ぎません。

                     

                    さて、仮に今まで善意と悪意が入り混じって混沌としていた社会が、まるで遠心分離器に掛けられた如くに善と悪、或いは正義と不正義に二分化(=住み分け)されてしまったとしたら、その後いったい何が起こるのでしょうか?

                    やはり特筆すべきは(善意というターゲットを失った)悪意同士の凄惨な潰し合いでしょう。何故なら善意との関わりの断たれたそのような社会では、もはや倫理や道義という概念すら存在しないであろうからで、それ即ち「自滅」を意味します。

                    つまり「結果現象」には「離脱と自滅」の2つのキーワードがついて回るとも言えるでしょう。

                    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:53 | comments(0) | - |
                    2019年は「結果現象の年」です。
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                      これまでも当ブログでは年頭(或いは前年12月)に「今年(来年)はどういう年?」という主旨の記事を掲載してまいりました。例えば2016年は「変動、変化の年」2017年は「瓦解、崩壊の年」2018年は「対峙の年」といった具合です。

                      その意味では今年2019年についても、昨年12月4日と29日の記事で「結果現象の年」とさせて頂いております。これは文字通り「原因に対する結果が形となって現れる」という意味でしか無く、良い原因であれば良い結果が、悪い原因であれば悪い結果がそれぞれ生ずる(=現れる、起きる、見舞われる)ということです。

                      この場合、重要なポイントは「良い、悪いの基準があくまでも論理的な正誤によるもの」ということで、必ずしも「一生懸命やった、頑張った」からといって単純に努力の分だけ結果が付いてくるとは限りません。その意味では今年は正に私たち全員にとっての正念場とも言え、自らの価値観の正誤(=白黒)が明らかとなる年と言えるかも知れません。(但し、それを認めるか認めないかは当人次第でしょうが・・・。)

                       

                      「無理」という言葉を思い起こして下さい。これは「理に無いこと」という意味であって、理に無いこと(=論理的誤り)を以ってして最終的な結果を導き出すことは(ナンピトタリトモ)不可能であることを言い表しています。

                       

                      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:34 | comments(0) | - |
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