日本には現在「日本国憲法」という基本理念が存在し、それに基づいて「国の体裁」を整え「国の運用」を行なう事が正しいとされています。
更には「日本国憲法を遵守する個々の日本国民の人物像」としては、それらが「相応の人格や品位を備えた人々」である事が前提とされています。(その証しとして憲法と連動する位置付けの「教育基本法」には「人格の完成を目指す」と明確に謳われています。)
そしてこの「人格の完成」とは言い換えれば「一定の人間性を確立し維持する」事に他なりません。つまり、そうでなければ「良い国、まともな国、ひいては平和で安定的な世界」は実現出来ないとされているという事です。
このように憲法という「国家の基本理念」と不可分であり、不可欠のものとして「人間性」を捉える事によって、現社会の問題の本質が改めて浮き彫りにされてくる様に思います。それは当ブログでも何度も指摘してきたように、私たち国民の間に蔓延する「思想の紊乱、道義の廃頽」であり、それを言い換えれば「人間性の著しい欠如」となり、それが全ての問題の本質であり、核心部分と断言して良いと思います。
例えば憲法では、仮に「人間性が著しく欠如」しているからと言って、その事で「人権が損なわれたり差別を受けたりする事は無い」旨明記されています。また「人間性の著しい欠如」を以ってしても「思想や信条、表現の自由」などは保障されています。
しかし第十三条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 」と有るように、自由や権利と同時に他人や社会に対して実質的な損害や迷惑の及ばない事が求められています。
「人間性の欠如」とは言い換えれば「自己中心思想」の事ですから、憲法上は(人権擁護の観点から)「それを持つなとは言えないが、周囲に実害が及ばない様配慮されたし」といったところでしょうか、何れにしてもそれを推奨したり、特に容認している訳でないのは確かです。
にも関わらず「思想は個人の自由、憲法で認められているから」とばかりに、「憲法の本来の主旨」にそぐわない思想と行ないを全快にしている人たちが多数を占めるようになった為に、あらゆる分野での社会システム自体がその論理的矛盾から「機能不全」を起こしているというのが、現状と思われます。
従って今後、「社会の改革」を目指す人々の論調は(言葉は違えど)主旨として「人間性の回復、復権」に集約されて行くでしょう。何故なら「そこにエネルギーを投入しなければ、社会に蔓延する病巣の根本治癒は不可能」だからです。(憲法を読み解く上でもそれが正論なのです。)