※本日の記事は極めて霊的性格の強い内容に付き、霊的に疑念をお持ちの方、影響を受けたくない方々にはお薦め出来ません。その旨あらかじめお断り申し上げます。
この数字は平均的な人間のそれを示したものではなく、霊界の見立てに拠れば、人間が1日の内で冷静(=理性が先行、主導する在り方)と言える時間が3%も有れば「上出来の部類に入る」と言っているのです。つまり大方の人間は1日の内、冷静さが保たれている時間など「無きに等しい」という意味になります。
私は今を遡ること40年前にこの話を聞いた、というか知った時、愕然としショックを受けたのを覚えています。1日24時間の3%と言えばたかだか43分12秒、並の人間にとって「人間らしい振る舞い」をすることは、その僅かな時間さえも難しいということですから当然です。
私はこの話を瞬時に「真実」と認識し、そこから私の(自分自身に対する)挑戦が始まりました。
この衝撃的な話には、更に衝撃的な続きが有ります。それは「人間はある程度の霊層に到達しなければ、自分の言葉(=自力)で話せない」というものです。これはどういうことかと言うと、世の中のいわゆる平均的な人間が日常的に話している言葉のほとんど全ては「自力で発している言葉ではない」という意味です。果たしてどれだけの人がそれを「事実」と受け止める事が出来るでしょうか。また、自分の言葉を自分が発していないとすると、いったい誰が発しているのでしょうか。
それらは人間自身がこれまで自我(=自己中心)思想を発動させるたび、無意識無感覚のまま内部に作り続けてきた無数の「自我霊、想像霊と呼ばれる潜在自縛霊」によるものとされています。その特徴は一つひとつの思想、一件ごとの状況に対してそれぞれ「一体の霊」が作られ、以後同様の状況が訪れるたびに「人間に代わって言葉や行動を制御する」というもので、普段は腹部付近に位置し、要請が有ると延髄付近まで上昇して言語中枢を操ります。
つまり、その状況を客観的に見れば、人間が「過去の自分に操られている」という意味を持つことになり、ただ過去と同じことを繰り返すばかりで、少なくとも目の前の現状には何ら対応出来ていない事になります。即ちそれが内部霊による「霊憑(がか)り」の特徴ということです。
ですから、そういう状態にある人の話を聞いていると、その特徴がよく表れているものです。そういう人は過去と似たような状況になると、毎回判で押したように同じ言い回しで同じことを言います。その主張は前回と(気持ち悪いぐらい)同じもので、まったく何の進歩も進展も見られません。そして必ず同じ失敗をします。
それは人間が「過去の自分(の過ち)に支配された姿」に他ならず、ただ霊層が低いため言葉が使えない本人に成り代わって「自我霊や想像霊」にそれを代行してもらっているに過ぎません。(逆に「彼ら」の働きが無ければ、この時点で人間は「人間らしい体裁」さえも保てていないはずですので、むしろ感謝すべきです。)
この状況は一見すると「無限サイクル」のように思えますが、唯一ここから脱出して霊層を上げ、自らの言葉を取り戻す方法が有ります。それは「無駄口を慎むべし」と心に誓い、それを(文字通り)黙々と実行することです。それは言い換えれば「不言実行」を自らの信条(ライフスタイル)とすることです。それは「必要な期間」継続する必要が有ります。それはもちろん「安全圏まで霊層を上げる期間」という意味です。
何故そうする事が必要か?それは実際に行なって見れば「すぐに解る」ことです。
因みに幼少期に於ける「ナンで?どうして?」などの言葉は概ね本人の発するものです。ですから「言葉を取り戻す」という表現となります。