「巨悪」とは、継続的に社会の広範囲に害悪を及ぼし、その健全な維持、発展を著しく阻害する人、組織、存在のことを指します。その影響力は大変なもので、場合によっては国全体を荒廃させ、時として破壊、滅亡に追い込むことがあるかも知れません。それらは一般的には「政治力」そのものであったり、或いは「政治力との深い結びつきを持つもの」であったりします。
こうした「巨悪」の根底にあるものは何かと言えば、実は究極の「自己中心思想」に他なりません。即ち「巨悪」とは単なるゴリゴリの利己主義者の集まりで、その目的は「私利私欲」を満たすことに尽きると言え、そこにあるキレイ事やお題目は、保身のため、社会の目を偽るための単なるカモフラージュに過ぎません。
ところで社会に「巨悪」が台頭し、幅を利かせるためには一つの条件が有ります。それは社会全体に「思想の紊乱(びんらん)、道義の廃退(はいたい)」が蔓延していることです。それは分かりやすく言えば、社会に於いて「多くの人たちが自己中心思想に染まっている」状況が有り、すでに所謂「エゴイズム」がまかり通っている状態であるということです。
どうすれば社会がそうなってしまうのか、それは「自己主張、自己顕示は必要だ」或いは「物欲や金欲を持つのは決して悪いことではない」など、あえて人々の誤解を招き、誘発させるような方法で(マスメディアを使って)マインドコントロールし続けることで、簡単に実現出来るでしょう。何故それらの主張が正しいとは言えないかというと、それでは社会の構成に必須である「個々の繋がり」が希薄になるのは明白であるばかりか、人々が敵対し合い分断されてしまうからです。(日本の現状は既にそうなっています。)それを仕掛けるのはもちろん「巨悪」です。
これらの事を逆説的に言えば、社会の人々が「自己中心思想」に陥ることなく、己の利益追求に汲々とすることさえなくなれば、「巨悪」が台頭することもないということになります。要は私たちの社会に蔓延する「思想の紊乱、道義の廃退」が(好き好んで)巨悪を招き入れたと言えなくもないということです。
ですから、ここで私たちは改めて「自己中心思想=反社会的思想」であり、結果的に如何なる意味合いに於いても(人間という社会的な生き物である)自分自身を苦しめ、自滅の方向へ向かわせて行くものでしかないことを再確認する必要があると思います。
つまり「巨悪」とは徹底した「自己中心思想」、対して「小悪」は中途半端な「自己中心思想」であって、何れも「自己破壊(=自滅)」の論理から逃れられるところのものではない、ということです。