人間が嘘をつく理由のほとんどが「自己保身」のためだとすれば、それは裏を返せば「相手がどうなろうと構わない」という意味になり、それを更に突き詰めれば「仮に(自分のついた嘘のために)相手が死んでも構わない」ということになります。
もちろん「つく嘘の程度にも依る」ということでもありましょうが、少なくとも「国政を担う政治家が国民に嘘をつく」という事は、そういうレベルの話と受け止めて良いでしょう。
ですから「政治家の話の内容がコロコロ変わる」ということを余り軽く見るべきではありません。それ自体が「自己保身」の明確な表れであり、その意味は「自ら負うべきリスクを他人に転嫁する」となり、その人間が「(自分の嘘に依って)他人が受ける(死をも含む)理不尽な苦しみ」に対しても全く意に介さない「冷酷非情な心の持ち主」である事は明白です。(そう言われたくないのなら「嘘をつかなければ良い」だけのことです。)
どんな「大嘘つき」でも、最初は「小さな嘘」からスタートしますが、一旦それに味をしめると(慣れも生じて)だんだん嘘がレベルアップすることになり、最終的には嘘に「罪悪感」を感じなくなって、それこそどんな嘘でも平然とつき通せるようになりますが、その時点ではもはや単なる「自己保身の権化」「究極の自己中心主義者」「冷酷非情の輩」でしかなく、故に(当然ながら)そのような人を政治家として選出し、政治を任せて良い訳もありません。(それこそ幼稚園レベルの常識です。)
つまり「嘘つきであることが露呈した時点で、その政治家は終わり」ということです。
捕捉:人間性の観点から見ても「大義のために嘘をつく」などと言うことは有り得ない。その場合はただ「黙して語らない」だけか、或いは「主旨に沿った方便を用いる」だけのことで、嘘などつく必要は全く無い。