よく裕福な人々の言い回しとして「貧乏人は怠け者だから」というものが有ります。これは暗に「裕福な人々は(それなり能力が高く)効率的に無駄なく働いて、それなりの成果を得ているものだ(=働き者)」という認識の裏返しかも知れません。つまり「貧乏=怠け者(低能力)=恥ずかしい」という図式ということでしょうか。
だとして、これは果たして本当と言えるのでしょうか。
例えば、ある人が普通に一日の平均的労働時間をこなし、且つ毎月平均的労働日数を満たしているにも関わらず、結果的に「貧しさを禁じ得ない」といった場合、単純に「時給に換算した労働対価が安すぎる」か「収入に対する(ムダな)浪費が多すぎる」か、或いは「その双方が同時に起きている」ということが考えられますが、実際には3番めの「低賃金と浪費が同時に起きている」というケースが多いのではないかと思われます。何故なら、それは「企業の内部留保の増大」「過労死や残業代未払いの問題」、方や「メディアを通じた過剰な消費煽動傾向」など、企業を中心とした社会の動静から容易に想像出来るからです。
しかも「貧乏」とされている労働者を評価し、賃金(という労働対価)を(買い手市場の論理で)一方的に決めているのは「裕福な人々」であり、ことさら近年はそれさえもAIに取って代わられる話までチラつかされるとなれば、それこそ言い値で働かされるしか選択肢がないのが現状であって、少なくとも前述のような「貧乏=怠け者(低能力)=恥ずかしい」という話とは全く無関係であることは明らかです。(騙されてはいけません。)
となれば、不当に低賃金を強いられている人々がその場に何とか踏みとどまるためには「ムダな支出を極力避ける」しかなく、その結果(世間的に)「貧乏」と見做され、それによって(どうでもいい)何らかのランク付けが為される事があったとしても、それ自体「何ら恥じる必要はない」ということです。いや、むしろ状況に「論理的に対応している」として「大いに誇りを持つべき」だと思います。
私は何も「貧しい方が良い」と言っている訳では有りません。しかし一方的に低賃金を強いられる中にあって、無理に物の豊かさを追求しようとすれば、返って(過重労働などの)自殺行為に陥ったり、或いは(犯罪的とは言わないまでも)人間的な資質や品格を犠牲にするような行為や考え方の中に身を置かざるを得なくなることが「如何にも残念」だと言っているだけです。(増して「カッコ悪い」「みっともない」がその理由というのであれば、なおさらです。)
昔から「清貧」という言葉が有る如く、是非この時期を(貧しくとも)豊かな心を以って乗り切って頂きたいと思います。