それは言葉を換えれば「人が人たる由縁を失うこと」と言っても良いかも知れない。言って置くが(霊的には)「人」とは「人の形をした生き物」の事では無く、正しくは「人の心を有し、それが機能する状態の者」と言える。「人の心が機能する」とは「人らしい心が通い合える状態」を指し、当然のことながらそこには知的障害や発育障害、(昏睡状態を含む)物理的な機能障害を有した人々も含まれるので誤解、曲解のの余地はないと思う。
もっとも霊的にはこのような煩雑な説明は不要で、それは単に「霊魂が肉体を制御する能力を失った状態」に過ぎず、そうなればその肉体は「内部の自我霊、想像霊、或いは外部からの憑依霊」などの意のままに翻弄されるしかなく、その事自体が「人としての(霊的な)存在意義の喪失」を意味し、従ってその人間の向かう先は「自滅」でしか有り得ないということになる。
因みに世の中には「様々な価値観や考え方が(横並びに)在って然るべき」という人間観、社会観も存在するが、霊魂の世界(=霊界)ではこの「価値観や考え方」は全て上下方向の「縦並び」に配置されており、事実上「優劣判定の対象」でしかない。何故なら、それ自体が「霊魂の肉体制御能力に直結」するものだからだ。
例えば世の中では「自己中心」な物の考え方を持っているからと言って、それが露骨に他人に迷惑を及ぼさない限り、必ずしも「劣っている」という評価とはならないが、霊的には「肉体制御能力に著しく悪影響が生じるもの」として、そうしたいわゆる「内面的な不備」さえも厳しい評価の対象とならざるを得ない。何故なら前述した通り、霊魂にとって「肉体を制御する能力を失う」ことは、文字通り「致命的」であり、それは「人が人でなくなる」ことを意味するからだ。
直近のニュースでは「男性に対してストーカー行為を繰り返した女が逮捕された」との事だが、伝えられた供述の内容を信じる限り「妄想(=架空のイメージ)」に支配されていることが判る。これでは「霊魂が肉体を制御出来ている」とは到底言えず、むしろ「何ものかに操られている」という」イメージの方がはるかに受け入れやすいのではないか。
もっと顕著な例では「岩泉町の町長が早朝に女性記者の宿泊先へ押しかけ、無理やり抱きつきキスをした」とされる事件で、町長自身が「わいせつ目的ではなく、女性を助けなければという幻聴や幻覚によるもの」と説明しているが、もし救助目的ならばまずホテル側に協力を要請するのが合理的で、単独行動自体が常軌を逸していると言わざるを得ず、すでにまともな人間の体を為していない。
世の中ではこうした「人間の異常性」に対し、様々な理由付けが為されるのが常かも知れないが、霊界では単なる「制御能力の喪失」と見做され、相応の結果(=自滅行為)がもたらされる事となる。もしそれが何らかの「組織」という規模で頻発するようであれば結果的に「組織の崩壊」がもたらされるだけの事だ。よく「組織が腐っている」などと表現することがあるが、その意味は「相当数の構成員が自滅行為を行っている組織」ということに他ならず、構成員の人間的崩壊→組織の崩壊という図式となる。(自浄力が働かないとはそういうことだ。)
今後も場所を選ばず、そうした人々の「自滅の光景」を目にすることが益々多くなり、やがては珍しくも無くなるに違いないが、そうした中では逆に「本物」が輝きを増すのかも知れない。ならばそれを見逃さないようにしたいものだ。それこそが今のこの時代の「宝物」に相違ない。