ニューヨークでの暴落に端を発した今般の株式市場の混乱的状況に対し、テレビのコメンテーターたちは口を揃えて「調整時期に入った」と言い、ニュースはしきりと「コンピューター(のアルゴリズム)を利用する投資家が多いため激しい乱高下が生じている」などと伝えている。だから一過性のもので心配ないと言いたいのかも知れないが、そのまま受け止めれば「コンピューター取引によって(経済の実体を伴わない)異常な状況が作り出されてしまい、今度は(その同じアルゴリズムによって)調整という名目で株価が乱高下させられている」ということであるとすれば、問題の本質はそもそも投資家の身勝手な蓄財のためには「異常な状況をも許容する市場の体質とシステム」にあるとしか言い様がない。しかもそんな一部の人間たちの「マネーゲーム」の煽りを食って社会経済全体が不安定な状況に晒されるなどまっぴら御免だ。
暴騰、暴落などと言葉にするのは簡単だが、それは今まで存在しなかったお金が突然湧いて出たり、目の前に積み上げられていた札束が一瞬にして消えて失くなるのと同じ現象だ。何故なら暴騰、暴落の前後で「物理的状況」は何ひとつ変わっていないからだ。となれば唯一の合理的判断として「(物理的価値と乖離した)バブル経済を絶対に容認しない」ということでしかない。そうすれば暴騰や暴落を見越して(或いは演出して)大儲けしようなどという浅ましい人々の出番もなくなるだろう。(そういう人々はおそらく他人の命などどうでも良い極めて反社会的な思想の持ち主に違いない。)
人間というものはお金に卑しく、浅ましくても余り罪悪感を持ち得ないらしい。おそらくそれが「他人を殺傷する」という感覚と結び付きにくいせいもあろう。だが「経済制裁」が戦争に発展する例が(日本もそうだったように)数限りなく在ることを見ても、借金を苦にして自殺する事例を見ても、お金に対する心ない振る舞いが他人を死に追いやるなど常識だ。
そう言えば昨今、国会でも「アベノミクスの失敗」が取り沙汰されているようだが、意外にも金融崩壊が政権の命取りになるかも知れない。