2018.02.08 Thursday
オリンピックを政治利用して何が悪い?
平昌オリンピックが韓国と北朝鮮によって、南北融和路線を目的に「政治利用」されているとの批判的な報道が為されているようだが、そうした論調はあたかも「オリンピックを政治利用してはならない」と言っているようにしか聞こえない。しかし果たして今まで「まったく政治利用されなかったオリンピック」など行われた試しがあったのだろうか?
例えばその昔「オリンピックは(勝ち負けではなく)参加することに意義が有る」と言われた時代があったが、既にそのこと自体が「参加することによる政治的意義が有った」のだろうし、それ以外にも「国として参加、不参加の意思を示すことで政治的アピールを掲げるケース」は過去にもあった。(モスクワ大会、ロサンゼルス大会など)
またオリンピックが商業主義に転じてからは、経済効果への期待から国や開催都市による「経済政策」に積極的に「政治利用」されているのではないだろうか。(そうでなければ誘致に賄賂が飛び交うわけもない。)
つまりオリンピックは昔からしっかりと各国の国策や思惑が絡んで「政治利用」されて来ており、そのことを以って批判するのは当たらないばかりか、曲がりなりにも「平和の祭典」などと呼ばれているのであれば「南北の融和や緊張緩和」は、むしろオリンピックの主旨に沿うものという見方さえ出来よう。
となればそうした批判の裏側には「南北が勝手に融和、統一路線に舵を切るのはけしからん」といった「南北の緊張関係を存続させたい輩」の理不尽な言いがかりが見え隠れしているように思えてならない。
これは日本が今の朝鮮と同じように「70年余りも東西に分断されている状態」を想像して見れば一発で解るはずだ。
余計なお世話だ!