古(いにしえ)より現代に至る人類の真実の歴史を顧みるならば、愚かで目先の欲に心を奪われやすい人々を、同じく愚かではあるが更に強欲で狡猾な人々が、時には暴力的に、時には奸計を用いるなど、あの手この手を駆使して支配し、強大な権力の下に服従させてきたという愚かし過ぎる歴史の本流に行き当たる。
ちょっと待って!何故人間はかくも愚かなのか。それも大半の人間が・・・。その理由は過去数千年も続いた「夜の時代」にあると言わざるを得ない。しかもそれは霊界が一方的に決めたことで始まり、定められた期間継続され、そしてやはり一方的に終了され、そこに人間の都合など微塵も介在しない。
つまりこれは「霊界」に拠る壮大な罠だ。(本当は霊界との繋がりを故意に弱める事で人間の自主性、自律性、自発性を問われたものであっても、その意思を持たない者にとっては罠に違いない。)
これだけ見ても「人間は霊界の完全な管理下にある」という事ぐらい解りそうなものだが、ここまで言っても解らない人にはどうしようもないし、もうその件でこれ以上は言いたくない。(人間には向上と下向の自由が保証されているので)
過去から現在に至る日本社会や国際社会の問題の全ては(霊層が至って低く人格の覚束ない)「愚かな人々が実権を握っている」ことにあり、それを差し置いて世の中の事をいくら考えても全く意味がないし、逆に言えばそれと相応しい人間を中心とした社会が構築されるならば、民主主義であろうが無かろうが(仮に一党独裁であろうが専制君主制であろうが)人々の幸福度に於いて大差はないに違いない。何故なら「みんなで良くなる。みんなで良くする。」という基本思想が社会の隅々まで行き渡り繁栄をもたらすことに変わりはないからである。
この「愚かな人々が実権を握る」という現状は、明らかに「夜の時代の残渣」でしかなく、次第に然るべき形へと移行せざるを得ないが、それがどういう経過を辿るかについては、執着の度合い次第と言えよう。
何れにせよ新しい時代への流れは既に決まっており、流れに逆らうほどに苦痛を伴うことは言うまでもない。
当サイトはそもそもが来たる新しい時代の流れを主に人々の「心の構え」に焦点を当てて明示し、日々の努力の方向性を示唆する目的で立ち上げられたものだ。また必要に応じ「霊的考察」に踏み込んでもいるが、不必要な知識の羅列などは厳に慎んで来たつもりだ。(それらは「百害有って一利無し」であるし、そうまでして関心を引こうとは毛頭思わない。)
こうして書き溜めた1000件を優に越える記事は、目的に対しほぼ必要十分な質と量に達したものと考えている。
追記:
本日も数人の方々によって300件を超える過去記事を閲覧頂いたようですが、当サイトは便宜上ブログ形式となっているだけであって、私自身としてはそのように過去記事の活用を頂けることを本意としており、喜ばしい限りです。故に今後は更新もさることながら「過去記事の活用しやすさ」を重点として工夫をしてみたいと思っています。(尚、当ブログの継続(掲載)期間は当初より2020年をリミットと考え、それ以降は完全消滅の予定)