今回の公文書改ざん問題、自衛隊PKO日報隠蔽問題などによる国会紛糾によって広く国民の知ることとなった事と言えば、社会を健全且つ円滑に運営していくための社会システムが肝心なところに限って「形骸化」しており、全く機能していないという紛れもない事実であろう。
それは何も国政レベルに限った話ではなく、国政がそうであるなら県政、市政、町政共にそうと考えざるを得ない。取り分け社会システムの健全性を保つ役割を担うべき司法や検察、警察の偏向や劣化が如実であるとすれば、それは憲法の精神すらも踏みにじられ、社会システムが実質崩壊している事を意味する。(法の番人が機能不全に陥れば当然そうなる。)
そうなれば世の中では(建前上の)強弁やどうしようもない屁理屈が堂々とまかり通るようになり、実際「何が正しいか」が問題にされるのではなく「(当面)何に(誰に)従属するのが損か得か」という低次元の発想が最大の関心事となることは、火を見るよりも明らかだ。(既に八割方そうなっている。)
但し「当面」の損得は決して(未来永劫はおろか)一寸先をも保証しない。何故ならその選択は「論理的に間違っている」からだ。論理的に練り考えられた社会システムを「形骸化」させるということは「論理に背く」ことに他ならず、それは滅びの道でしか有り得ない。だから「低次元の発想」と言わざるを得ない。
故に今更「社会システムをどうこうしましょう」という論議も教育も不毛で意味が無いと断言出来る。何故なら問題は「システムの不備」から発しているのではなく、明らかに「人間性や社会性の欠如」そのものだからだ。(但し愛国心云々には関係ない。)
強いて言うなら価値観の最上位に「人間性」を持ってくれば良いだけの話だ。そうすれば「人間性の乏しい人間に立派な肩書を与えるような愚」を犯すような事は根絶出来るはずだ。
そして更に言うなら、今後世の中は必ずそうした方向へ向かう。それは当ブログでも以前より「価値観が180度変わる」と言い続けてきた通りだ。何故なら私たちが「突き付けられた真実」に対する答えはそれしかないからだ。