思えば昨年(平成17年)3月6日の国会答弁で、安倍総理自らがあの有名な言葉によって「虚構の存在」を世に知らしめ、それ以来まるでパンドラの箱を開けてしまったかの如く、これまで隠蔽し続けられてきたあらゆる陰謀、策謀の類が一気に「社会の実体」として認知されるに至ったと言える。
その「有名な言葉」がこれだ。
「さらにですね、私も妻も、(財務省)理財局長等々に(国有地売却に絡む話を)言っていないのに、名誉校長に「安倍昭恵」という名前があれば、印籠みたいに「恐れ入りました」と、なるはずがないんですよ。
かつてそんなことあったんですか?あったんだったら、一つでもいいから例を出していただきたいと思います。
私の妻が名誉何々になっていて、それを忖度した事実がないのに、あるかのことを言うのは、典型的な印象操作なんですよ。」
ここで重要なのは下線で示した2箇所「なるはずがない」「忖度した事実がない」という部分で、ここは「虚構そのものの根幹に関わる」ために(そこに触れさせないため根拠が明らかでないにも関わらず)一方的に断言口調となったに相違ない。
それは裏を返せば「印籠みたいに「恐れ入りました」となり、忖度した事実があった」ということで、それこそが「虚構」の裏で隠蔽され続けてきた紛れもない「社会の実像」ということだ。
つまり安倍総理が国民に信じさせたいのはこういうことだ。それは「総理や総理婦人が悪いことを考え行なうはずがない」を筆頭に、まだまだ幾らでも有る。即ち「日本政府と官僚が、与党議員が、アメリカ政府と米軍が、民主主義が、警察が、検察が、裁判所が、自衛隊が、経団連が、大手企業と大手銀行が、NHKと大手メディアが、巨大宗教法人が、医者が、大学教授等々が、日本国民にとって悪いことを考え行なうはずがない」というもの。
だがそれは違う。人間は社会的地位や立場と「良いの悪いの」は全く無関係で、誰であろうと「その気になりさえすれば」いつだって悪人になれるのだ。
だから地位や立場をチラつかせての、その手の印象操作だけは見苦しいのでやめて頂きたい。(やっても最早逆効果にしかなりませんが。)