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2018年 二分の一成人式の実態
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    ある小学校の当日の校長先生の言葉の中に「儀式とする事はバラバラの状態にある知識や経験や認識が一本化する良い機会」などとして、小学校のカリキュラムとしての二分の一成人式を正当化するくだりがあったが、果たしてそう上手く行くものだろうか。

     

    とにかく、歌有り、演奏有り、唱和有り、一人ずつのコーナー有りと、まるで学芸会並みの力の入れようだが、その中の4〜5人ずつのグループに分かれて順番に唱和していく「こんなに(色々)出来るようになりました」のコーナーで、非常に残念且つ心苦しく感じられたことがあった。

     

    というのも、例えば「おうちではお風呂掃除や洗濯や食事の準備など、色々なお手伝いが出来るようになりました!」「算数や国語のテストでは100点も取れるようになりました!」などという予め決められたセリフを4〜5人の子どもたちがすくっと立ち上がって一斉に言うくだりでは、如何にも「それは自分だ!」とばかり溌剌とした表情の子もいる反面、暗い表情・・・と言うより、腑の抜けたような面持ちで口だけ動かしているような、明らかに「身に覚えの無いこと」を無理やり言わされている感の子どもも少なからずいた事に心が痛んだ。

     

    それは別に「お手伝いが出来ていない」ことや「100点が取れない」ことが悪いとか残念とかいう意味では決してなく、まだ年端もいかない子どもたちが(しかも晴れの舞台で)「心にも無いことを無理やり言わされている(=嘘を付かされている)」ことに対する心苦しさ、気の毒さに尽きる。同時にそういう心なさ、配慮のなさが子どもたちの心の成長に如何に悪影響を及ぼすかを思えば当然のことだ。

     

    二分の一成人式の意味については以前のブログにも書いた通り、私自身はその価値をまったく認めていない。そもそも人間の心身の成長自体が「20÷2=10でちょうど半分だね」と安易に考えて良いものであろうはずもなく、強いて言うなら12歳を節目とすべきだろう。

     

    また余談ではあるが、小学校教育に於けるイベント関係は思い切って縮小すべきだと思う。理由は時間とエネルギーが膨大なイベントの体裁を取り繕うことばかりに費やされ、児童と教職員の消耗が激しいからだ。

    基本的に子どもはイベントで育てるものではなく、地道な学習と日常的な学校生活によって育つもの故に、そこに十分な時間とエネルギーが注がれて然るべきと考える。要はゆとり云々の話ではなく、本当に必要なところに十分な時間とエネルギーを確保しろということだ。

    | 青少年の味方の人 | 子育て・教育 | 14:46 | comments(0) | - |









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