青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

世の中や生き方についての疑問、質問など、何でも受け付けます。コメント欄(Comments)に書き込んでください。

ただ言いたいこと、書きたいことを書くだけでもOKです。(その場合は「コメント不要」と書き加えてください。)

当然ですが、法に触れるようなことは公表できません。また、他人の実名入りなども同様です。
そのような内容はメールでお願いいたします。(プロフィールにあります。)

なお、本名での書き込みはプライバシー保護のためお勧めしません。(ハンドルネームなどご利用ください。)

※当サイトは基本的にリンクフリーですが、貼り付け先等ご一報頂ければ幸いです。
<< 毎日がクリスマス! | main | 「共有」は自然の摂理です。 >>
再び「自己執着」の話
0
    このところ、当サイトにアクセスして下さった方の中で「自己執着」というキーワードをお持ちの方が多かったので、再び取り上げてみます。

    凡そ地球上の全ての生き物の中で「自己執着」を持っているのは「人間」だけです。そのように聞くと、あたかも「高等生物」の証しの様に聞こえるかも知れませんが、そうではありません。
    「自己執着」とは「勘違い、思い違い」から生じる「慢心」の結果による、「自己が中心に位置付けられた世界観」を指します。これは他の生物が有する「防衛本能」とは全く異質のもので、人間のみが持つ、本来健全な進歩向上に欠かせない「論理的思考能力」が「負」の作用を及ぼしたものと考えて良いかと思います。

    人間は本来「共有」することによって得るものを「糧とし、喜びとし、生きがい」とするような仕組みに出来ています。
    例えば、「自分の身内に限った共有」であるのか、それとも「世界中の多くの人々との共有」であるのかによって、得られるものの「質や量」は全く変わってきます。
    また、共有するものは物質的な恵みは元より、精神的環境、有益な情報など、人間の暮らしや文化をより一層高めるためのあらゆるものと言って良いでしょう。

    この「共有の喜び」に真っ向から対決しようとするのが「自己執着による満足の追求」となりますが、実はこれには大きな「論理的欠陥」が有ります。それは「自分が死んだらどうするの?」というものです。そこには如何なる答えも有りません。
    | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 09:11 | comments(0) | - |









     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    28293031   
    << July 2019 >>