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自分を知りたければ沈黙せよ。
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    世の中で平均的と思われている人々の多くは、自分のことを余りにも知らなさ過ぎる。(そのようなレベルを「平均的」と信じて疑わないところに社会全体の劣化を見て取ることが出来る。)それが証拠に世の中の多くの人々にとって、己の運命は自らの思い描くそれとは違い、不平や不満、或いは後悔に満ちたものとなっている。(そのすべてをせいぜい他人や社会のせいに納得しているのがオチだ。)

     

    しかし残念ながらこうした理解がまったく事態の改善に役立たず、100%自滅の方向にしか向かわないことは明白で、何故ならそうした事態が「自分を知らない」が故に「自分のコントロールがまったく出来ていない」ことに起因しているからだ。

    ところが人間は少なくとも「目と耳が機能し、頭で考えている」という実感が有る限りは、自分が「完全にコントロールを失っている」という認識には、そう簡単に至れない(らしい)。

     

    では何故、先頃の下村元文部科学大臣のように「ある意味で犯罪だと思う」と公然と口にした言葉を、立ちどころに追求されて即座に謝罪、撤回するという自らにとって不名誉で自らをわざわざ貶めるような言動を持ち得るのか?簡単な話が「自分を知らない=コントロール出来ない」からではないのか?

    同じく、福田事務次官はコントロール出来ていたと言えるのか、佐川前国税庁長官は自分を知っていると言えるのか、もしそうなら「国民の大半を(未来永劫)敵に回す」ような言動はそもそも有り得ないだろう。

     

    取り分け近年に於いては多くの人々が勘違いしているが、人間は本来「無駄口を好まない」ものだ。それは決して好き嫌いのレベルの話ではなく、人格や人間性、或いは霊的な観点から見て「無駄口、おしゃべりの類は不利益をもたらす」からだ。それらの大半は主に自己宣伝、自己顕示、自己弁護、或いは不純な動機の下で他者を誘引し、また他者を嘲り貶める目的を持ち、到底人間的向上は望めず、むしろ人間的(霊的)価値を貶める場合が殆どと言える。(要はどのような思想の下で言葉を発しているかという事だが。)

     

    そういった意味では霊層段階が低い(=思想レベルが低い)状態に於いては、業務上、作業上必要なやり取り以外で思想的に発するに値する言葉など殆ど無いと言って良く、それは言い換えれば「無口」が相応の在り方と言える。

    それを確かめる上で良い方法が有る。それは一度「無口」を貫き通して見ることだ。そうすればやがて「言いたくて言いたくて堪らなくなってくる」に違いないが、その時同時に「言いたくて堪らない主が自分自身ではなく別物」ということに気が付けば大したもので、その人にはまだ改善の余地が残されているかも知れない。

     

    お察しの通り、それは自分ではなく、正確には過去の自分(の分身)、つまり「腹の虫」であり、であるとすれば、当然憎むべき対象ではなく「詫びるべき対象」という理解が論理的に正しいだろう。

    つまり「知りたければ沈黙し、知ったら詫びる」ということだ。

     

     

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 10:08 | comments(0) | - |









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