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「政治の話をするな」???
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    日刊ゲンダイDIGITAL〈若者の間でも…「政治の話をするな」日本を覆う陰鬱な空気〉という記事を見つけた。要は「政治の話は重いからイヤだ」ということらしい。ではそういう人は何の話ならOKと言うのだろう?

     

    人には誰彼問わず人生があり将来があるはずだが、一体誰が自分が生きて行く上で敢えて「劣悪な環境」を望むというのか。それどころか大方の人は今より少しでも「生きやすく快適な環境」を望んでいるはずと思う。その意味で「政治(環境)の話」というのは自分にとってより身近な生活環境の話、即ち家庭環境、知人友人環境、学校職場環境、地域環境などの明らかに延長線上にあるに過ぎず、人間が生存権を主張し生きやすさを求める時に「政治の話は別」的な論理は存在しない。(具体的な関わり方には一定のルールがあるにせよ、少なくとも評価や問題意識を持つことは自由なはずだ。)

     

    逆に「政治の話は重い」と言う人に訊きたいのだが、では「家庭内や知人友人同士、或いは学校や職場や近隣住民」とはお互いの生活環境を整えるための話し合いが良く出来ているとでもいうのだろうか?たぶん無理だと思う。そういう人はおそらく「現状で自分が入り込めそうな隙間を見つけてそこに身を置くことで細やかな満足を得ようとする人」かも知れない。(そこで「しめしめ」と思うのも確かに一つの生き方かも知れない。)

    だが私が危惧するのは「もし入り込める隙間が無くなり、居場所が無くなってしまったらどうするのだ」ということで、それが既に現実化していることは様々な陰惨な事件や社会に蔓延する閉塞状況が証明している。

     

    どう生きようと自由かも知れないが、成り行き任せの無責任な生き方には相応の結果しかついて来ないものだ。そういうのを「自滅」という。

     

     

    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:09 | comments(0) | - |









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