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話せる事と話せない事が在ることについて
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    不特定多数の方々に向けて話せる事には、自ずと限界が在ると考えています。それは論拠を「目に見える形」で提示する必要があるからです。つまり、それが出来ないものは、自分の中で如何に「重要且つ正しい」との認識があっても、「情報として発信出来ない」ということです。
    即ち、このルールを無視して思いや考えを全て発信することは、それを受け取る側から見れば、「空想家」や「誇大妄想」との区別が不明瞭で、ともすると「危険思想」の持ち主という評価を受けることとなり兼ねません。

    ところでこの、証明が困難で「目に見えない部分」とは、実際何を意味するのかということですが、一言で云うと「裏側」の通常目視出来ない部分のことです。
    例えば電子部品の基盤が「二層構造」になっている場合、ひっくり返して見る手立てが無い限り、表だけをいくら見ても基盤全体の構造や働きを推測することすら適いません。(但し、基盤を作った人、良く識る人はその限りでは有りません。)

    つまり、自然現象に始まり、社会現象、個々人に関わる現象までの全てを包括する意味での「現象」を理解しようと試みる際に、それが「一層構造」なのか、それとも(少なくとも)「二層構造」なのかを最初に見極めることが重要と考えますが、それとて、そのための「決定的な方策」は在りません。唯一「一層構造」として引き出された答えが「如何にも不十分」と感じる時にのみ、「構造的理解の不備」を疑うことになるのだと思います。

    もし仮に物事の全てが「裏」という目に見えない部分を伴っているとすれば、唯物的に私たちが導き出す答えの全ては、最大でも50%の意味でしかないことになります。当然そこには「報われない努力」や「抗い切れない理不尽さ」が存在する可能性が有ります。しかし「公共」という土俵の上では、それで勝負するしかないという現実も、先に述べた通りであります。
    従って、「行間にて裏を感じ取って頂く」事の難しさを痛感しつつも、今後もその努力を続けて行こうと思う今日この頃です。
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