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「自己執着」という検索キーワード
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    このところ、「自己執着」というキーワードで検索エンジンを利用して当サイトにお越し頂いた方々が多かったので、改めて少しご説明させて頂こうと思います。

    「自己執着が強い人」の場合「世界の中心に自分がいる」ことは間違い有りませんが、いわゆる「自己中心な人」とは限りません。(もちろん、そういう人もいますが。)
    一般的に「自己中心」というと、自分の権利や満足ばかりをあからさまに主張するため、強調性に欠け、はなから社会性を疑われることになりますが、単に「自己執着」が強くとも、表面上の社会性、協調性を取り繕う事は大いに可能です。むしろ自らの野心、野望のために相当の努力や忍耐、我慢を見せるのが普通なので、そのような場合、どこから見ても社会的に有能で良い人に見えることが多いようです。

    しかし、いくらそれらしく振舞って見ても、「自己執着の強い人」が本気で社会全体の幸せを考える事は有り得ません。ただ「自己中心的」な目的のために体裁良く「社会や他人を利用」しているに過ぎないのです。そして多くの場合、そのための極めて緻密で整備された「論理」を持っています。いわゆる筋金入りの処世術です。その特徴として、悪い意味で「本音と建前」は常に大きなギャップが有りますが、不幸にも本人がそのことに違和感を覚えることは一切有りません。何故なら、それもその人なりの人生観の一部だからです。

    「自己執着の強い人」のもうひとつの特徴は、いざ、事あるごとに「たいへん冷酷で薄情な側面を見せる場合がある」ということです。それは当人に取って見れば、「自己の論理性の一環」でしかないのですが、周囲に対しては当然「やむを得ない苦渋の選択」である事をアピールするでしょうが、自己執着の裏返しは「他人はどうでもいい」ということで、それが「本音」です。
    このような生き方の問題点は、一見「社会のため、人のため」を装って、その実本音では「社会や他人をないがしろにしている」ということです。これは露呈した時に、社会の側からは「信頼を裏切られた」という感が強く、強い憤りを買う結果となるでしょう。そして、それは必ず露呈するものです。(取り分け政治家の方々など、影響力が大きいだけに注意が必要です。)

    一方で、「自己執着」が強い故に社会との軋轢や摩擦が生じやすくなり、うまく関わることが出来ずに何かと「埋もれ気味の人生」を余儀なくされてしまう場合もあるでしょう。そのような場合であっても「自己執着に基づいた論理性」だけは健在なので、非常に鬱屈した日々を重ねることとなり、「悪いのは社会だ」という思いを募らせる結果、反社会的な思想や行動に結びついて行く場合もあるでしょう。決して社会に異議を唱えたりアピールする事が悪いという訳ではありませんが、「自己執着」を原点とする限り、良い結果を得ることは出来ません。何故なら「自己執着」自体が「反社会的」だからです。

    最後に「諸悪の根源」であり「不幸の根源」とも言える「自己執着」を解決するための提案として、いわゆる「かたくな」「意固地」「頑固」を慎み減らし、「柔軟性」「即応性」「臨機応変」など増やすことをお勧めします。
    そして何より自分から「言いたがらず」、他人の話を「聞きたがる」習慣を持つことが一番です。
    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:09 | comments(0) | - |









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