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なぜ「人の命は何よりも尊い」のか?
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    これは宗教的(=神様的)には「人の命は神様が与えたものなので唯一無二の掛け替えのないもの」ということになると思います。しかし日本は憲法によって「神を信じるか信じないかはその人の自由」と定められているので、社会全体としては、これとは別の「理解の仕方」が不可欠となります。そしてもし、それがうまく出来なければ「人の命は必ずしも尊いとは言えない」という考え方すら受け入れざるを得なくなってしまいます。それ故、これはどうしてもクリアしなければならない問題なのです。

    まず、単純な問題から解決して行きたいと思います。
    「自分の命と他人の命は、どちらが尊いですか?」と問われて「自分の命の方が尊い」と答える人は殆どいないはずです。答えは多分そうではなく「どちらが尊いかは解らないが、自分の命は大事」ということになると思います。みなさん、実はこれはとても重要な事なのです。
    このように人は普段、無意識に自分や他人の「命の重さ」を量(はか)っているものです。大ざっぱに「自分と他人」と見れば、「自分の方が重い」と感じるのは当然とも言えますが、一口に「他人」と言っても、実はその中にいろいろ有るのが普通です。例えば親しい人や関わりの大きい人、身近な人たちの命は比較的重く、あまり知らない人、縁もゆかりも無い人たちの命はそれより軽い、といった具合です。
    これは謂わば「自分の命を頂点としたピラミッド型の命のランク付け」と言えます。そして、それは「かなり一般的」なのではないかと思われますが、「社会性」という観点に照らして見ると、実は「重大な欠陥」を含んでいます。

    まず、命を重さとして「量的にランク付けする」ということは、その重さが論理的には「限りなくゼロに近づく可能性」が有ります。
    次に、ランク付けの基準が「自分の都合(=利益)と決して無縁では無い」ことから、「極めて自己中心的な価値判断を伴う可能性」があります。
    これらは何れも社会的に好ましい事とは言えず、仮に「直接人の命に携(たずさ)わる立場」で有る無しに関わらず、「より良い社会の発展、形成」にとって大きなマイナス要素となります。(命の問題はそれだけ重要ということです。)
    そして「何よりも悲しいこと」は、もしアナタが「誰かの命を軽んじる」とすれば、他の誰かによって「アナタの命も軽んじられている」という事実です。何故なら、社会に於いては公平平等の下に「自分自身に容認していることは、他人に対してもそれを容認している」という意味になるからです。
    もしそのことを本気で悲しいと思うなら、「決して人の命を軽んじない」ことです。それだけで十分良い社会になります。

    たぶん、続きが有ります。

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