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自己執着と自己中心の関係について
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    検索エンジンによって当ブログにアクセスされる方のキーワードで最も多いのが「自己執着」を含む言葉です。そこで今回は、その本質に迫って見たいと思います。

    まず「自己執着」と「自己中心」の違いですが、これは「原因と結果」の関係になっており、「自己執着の結果、自己中心に至る」ということです。これは「必ずそうなる」という100%の結果率ですが、その理由は、人間が自己に執着した瞬間から「自我」が主役を担うことになるからです。では、それ以前は何が主役だったかと言うと「良心」と呼ばれる霊界とのコネクションに他なりません。つまり「自我」とは、霊界とのコネクションを持たない「肉体上の存在」ということになります。

    ところで、私たちが通常イメージする「自己中心な人」というのは、如何にも身勝手で横暴で他人に対する配慮の著しく欠如した人ということだと思いますが、実は必ずしもそうではなく、中には礼節をわきまえ、気配りに長けた人もいます。しかし仮にそうであってもそれが「自己執着の結果」であるとすれば、やはり「自己中心な人」という評価は免れません。何故なら単純に「防衛本能や処世術」だけでも、そのような無意識的な所作は可能だからです。しかし、ある意味で抑圧された自我と社会的建前とのギャップは、全てストレスとして蓄積されて行く事となり、その点注意が必要です。
    つまり「自己中心」を技術的に克服しようというアプローチは、周囲の人たちの脅威が少なくなるというメリットはあるとしても、本人の根本的な問題解決には至らず、やはり「自己執着」という原因そのものを見直して行く必要があると思います。

    話は変わりますが、人間以外の動植物に於いては「自己執着」は一切有りません。従って自我と呼べるものも存在せず、増して「自己中心」であろうはずも有りません。あるのは「本能」という「全行動プログラム」のみということです。
    しかし人間の場合、事情はそれらとは大きく異なり、限られた本能により制約を受けるのは、行為、行動のごく一部に過ぎません。即ち、生きるための食欲本能、子孫を残すための色欲本能、そして好奇心や探究心など進歩、発展を促すための向上本能の三つが、ざっくりと大雑把に存在していますが、それとても(意思の方が優先されるという意味に於いて)人間を完全に制御出来るほどのものでは有りません。
    つまり、人間の場合は「人間性」に基づいて「理性」と「感情」を活用しながら、その都度必要な物を取り入れつつ人生を全うするという、他の動植物とは全く異次元の「プログラム」が与えられていると考えた方が良いでしょう。しかも、その「プログラム」を受け入れるか受け入れないかも決められるというオマケまで付いている訳です。
    ところで、もしこの「プログラム」に対して「ノー」と表明したら一体どういうことになるのでしょうか?もちろん、その瞬間に「自己執着」の発露を見ることになるでしょう。つまり、それが「自己執着の本質」という事です。
    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:29 | comments(0) | - |









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