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「自己執着」と「自我」
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    昨日のテーマであった「自己執着の本質」について、少し補足をして見たいと思います。

    人間には、他の生物たちが一様に保有している「本能」と呼ばれる行動プログラムに代わるものとして「人間性」が与えられているということでしたが、生後間もない乳幼児に於いては、これはほぼ順調に機能していると見て間違い有りません。何故なら、その時点でつまづきが生じるといきなり「生命に関わる」ので、自我の発動を抑制する「保護プログラム」が働いているからです。
    しかし満2歳を過ぎる頃には、ある程度自力で行動可能となり、またコミュニケーションの基礎も習得するため、「保護プログラム」も解除される事となりますが、それは大人になるための基礎を築き上げるタイムリミットである満12歳までの10年間を有効に活用するために必要な措置と考えられます。

    ところで「自我」とは何かということですが、簡単に言えば「肉体レベルの主張と自負心」となりますが、その目的は「生きる事に専念する」に尽きると言って良いと思います。もし私たちの肉体にそのような独立した意志が無ければ、単純に「生きる意欲や活力」を保ち続ける事が難しいかも知れません。しかし反面、ただ「生きる」というだけならば、それが「自己本位」であっても良いという事となり、そこから社会性という発想は生まれません。
    そこで「人間性」の原点とも言える「みんなで良くなろう」を実現させるためにもたらされたプログラムが「霊主体従の法則」というもので、これは「人間性(=良心)」という霊界由来の心によって「自我」という肉体由来の意識を程よく制御する事を意味し、その理想的比率を7:3以上と定めたものです。これが6:4だと安定感に欠け、5:5では葛藤が増えてかなり生き辛くなります。

    つまり「自己執着」とは、本来「霊主体従」であるはずのバランスの逆転現象、即ち「体主霊従」のことなのです。

    ※当ブログに於ける「自我」とは「自意識」という意味では有りません。(念のため)
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