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「悩み、苦しみ、迷い」について
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    生きることに関して「悩み、苦しみ、迷い」を持つのは、自分の「間違いや力不足」を教わるからです。これらは自分にとって「正しい状態」とは言えず、即刻改善の必要のある問題ですが、しかし「悩み、苦しみ、迷い」を全く感じないで生きるよりは、数段良い状態とも言えます。何故ならそれは「向上の意思」の表れでもあるからです。
    人間が悩み、苦しみ、迷うのは、色々な意味で「痛み」を感じるが故だと思います。痛い思いを避けたいと思えばこそ、無造作に分け入ったり踏み入ったり、増して何でもなぎ倒して進めば良いなどとは到底思えないという事ですが、逆に言えば「痛み」さえ感じなければ、そういう生き方も平気で出来てしまう訳です。
    そういった謂わば「ブルドーザーのような生き方」は、たいへんパワフルと感じられて羨ましがられる向きも有りますが、「他人の痛みや辛さ」が存在する事を理解出来ないまま、それらを踏みにじって進んでしまう恐れが多分に有り、それでは「自他共に良い」という結果は望むべくも有りません。

    自分が「痛み」を感じる事のメリットとして、自分の身の安全を確保出来る事と同時に、「他人の痛み」も理解出来る事が大きいと思います。例えば「料理の味」に敏感な人は、他人に対しても「おいしい料理」を振る舞うことが出来るのと同じで、このように物事は「痛み」であろうと「味」であろうと「感じることが出来る分だけ可能性が広がる」ことは間違い有りません。
    その際、自分は「美味しいもの」を食べるが、他人には「平気で不味いものを出す」という人は滅多にいないと思いますが、もしそういう人がいたとすれば、その人は自分の感性を「人生に於いて全く生かすことが出来ていない人」ということになります。何故なら、能力の使い道の優先順位として(感覚的には)「1に他人、2に自分」とすることで、実質的に「五分五分」となるよう出来ているからであって、そうでなければ「みんなで良くなる」という「人生の王道」は全う出来ません。

    このように「本質的」に物事を理解することは重要です。何故なら「悩み、苦しみ、迷い」などは何れも「努力の矛先」が定まらない、或いは「中途半端」であるということを示しているからです。例えば「生きる目的」や「人生の目標」が定まらなければ、何をやっても「虚しい」ということにしかならないはずです。その場合「虚しさ」自体が即ち「悩み」であり「苦しみ」であり「迷い」であることは間違いなく、もっと具体的に言うなら「自分の感性や能力の生かし方が解らない」ということになります。
    人間は「生きる目的や目標」がしっかりと定まりさえすれば、「必要な苦労」はあっても「悩み、苦しみ、迷い」は持たないものです。
    | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:57 | comments(0) | - |









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