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公共の精神と自己執着
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    3月も今日で終わります。そこで今月、当ブログにアクセスされた方々の検索キーワードを調べてみると、相変わらず「公共の精神」に纏わるものがトップで、次に多かったのが「自己執着」という訳です。実はこの2つは「対極の関係」にあるもので、どちらのキーワードもアプローチの違いは有るものの、「求める答えは同じ」と言うことになります。つまりそれは「世界(=社会)の中の自分の(然るべき)立ち位置」という事です。それが判らないと人間は落ち着かないし、それを過てば上手く生きられないという思いさえ有ります。(少なくとも人間以外の全生物は、それを知っています。)

    しかし、何故そのような(あらゆる生物にとって)基本的な事に、人間だけが悩まなければならないのかという謎が残ります。それは人間だけが(厳密に言えば)9000通りもの基本思想から自由に選ぶ事が出来るからに他なりません。もちろん形の上ではそこまで自由な訳ではなく、権利や義務という社会的概念の下、個人と全体の程よいバランスとされる経験的規範が示されています。

    しかし、それはあくまで「そういう形を示せば良い」とされるものであって、「心の様」を問うものとは言えません。現実に「心を伴わない形」など、この世には幾らでも有ります。但し「心を求める人たち」にとって、それらのものは、「無味乾燥で空虚なもの」としか感じられないかも知れません。

    「公共の精神とは、個人と全体の利害得失を一つのものと感じる心」であって、全体の為と称し、個人に犠牲を強いる「全体主義」を指すものでは有りません。つまり「自分も含めたみんなにとって良い事を目指す」というものです。従って自価値相応の世界観を持つ事が、常に正しい立ち位置を知る上で重要となります。

    一方で「自己執着」とは、「自己満足の為にその他全てを利用するだけ」の生き方を指します。その場合、自分は常に「世界の中心」に位置し、その世界観は極めて主観的であって、仮に真実に程遠いもので有っても構わないことになります。しかし最も問題なのは、「その心が閉ざされている」という事実でしょう。
    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:53 | comments(0) | - |









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