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不幸の根源は「自己執着」です。 その2
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    人間が「自己」に執着するとどういう事になるかと言うと、「自分を中心とした世界観」を持つことになります。これは「世界の中心に自分がいて周囲を見渡している」という感覚です。
    自分の周囲にはもちろん「別の人」がいる訳ですから、その人たちの事がどのように見えるかというと、「自分が必要な時に使える人たち」か、または「いる必要もないのにいる人たち」となります。つまり「他人」とは、この2つのうちのどちらかでしかありません。
    これは一見合理的に思われるかも知れませんが、完全に欠落しているものが1つ有ります。「愛」が全く有りません。なので当然「思いやる」気持ちも「いたわる」気持ちも有りませんし、「絆(きずな)」など作り様も有りません。大変恐ろしい話ではありますが、それが「真実」です。

    しかし、そのような人であっても「愛が在るように見せかける」事は出来ます。それはどんな場合かというと、そうする事で何らかの「得をする」と考えた時です。
    これは「損得勘定(そんとくかんじょう)」の末の完全な「取引行為」であって、心に「愛」が微塵も無くても可能です。つまり「ビジネス」の形態さえ取れれば「何でも有り」ということです。
    因みに世の中の人間同士の関わり合いの大半は、実際の商取引であろうと無かろうと、この「ビジネス形態」に準じたものとなっており、その事に違和感を感じる人の方が、むしろ稀であろかと思われます。

    ところで「自己を中心とした人」同士の関わり合いでは、その成り立ちからして取引のための「一時的な関係」という事でもあり、至って脆(もろ)く壊(こわ)れ易いモノと考えて良いでしょう。また「関係修復機能」なども無く、関係を維持するために不本意なリスクを負わなければならない事も多々あります。「常に悩みが尽きない」などというのは、そういう事かも知れません。

    一方で、少なくともどちらか片方でも「自己執着を強く持たない人」がいる場合、その場に「思いやり」や「いたわり」や「絆」の介在があるため、関係性に何かトラブルが起こってもすぐに「修復機能」が働き、その後の関係をより確かなものへと改善してくれるはずです。「愛」があるために関係が悪くなったなどという話は、60年間生きていて実際聞いた事が有りません。

    最後に(念のため)申しますが「自己執着」に、親だから、子だから、先生だから、博士だから、公職だから、何だからかんだからの区別は有りません。「愛」が平等なら、「自己執着」もまた平等に存在します。
    | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:32 | comments(0) | - |









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