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若さは馬鹿(ばか)さか?
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    久々に青少年の方向けに記事を書いてみたいと思います。元々はそのつもりで立ち上げたブログでしたが、「大人たちが何とかならない事には子どもを救う手立てが無い」ということで、しばらく大人を対象として記事を書いてきましたが、やっぱり子どもは良いものです。(ほっとします。)ぜひとも今のきれいな精神のまま大人になって欲しいと思います。

     

    ところで「若さは馬鹿さ」というダジャレのような言葉が有ります。しかしこの「馬鹿」はあながち捨てたものでも有りません。これはたぶん「分別がない」とか「加減がわからない」という意味だと思いますが、では「分別や加減」は知っておいた方が良いのかというと、自分の経験上必ずしもそうとは言えません。

     

    例えば自分は若いころ「不死身」だと思っていました。少なくともそう言って自分に良く言い聞かせていました。「オレは死ぬまでは不死身だ。」といった感じです。本当に馬鹿みたいな話ですが、これの良いところは「自分のことを守ったりかばったりする必要がない」というところです。「不死身」なので当たり前です。そしてそれには「物事を何でもギリギリのところまでチャレンジする事ができる」というメリットが有ります。また、それによって「自分の本当の力と本当の限界」を同時に知ることもできます。(ただし、自分が倒れた後にですが。)

     

    若者にこのような「暴挙(=乱暴なやり方)」が許されるとすれば、それは「倒れてもすぐに立ち直れる」だけの生命力(=回復力)に満ち満ちている時期だからです。同じことを大人がやれば倒れるだけでは済まず、体を壊してしまったり、本当に命取りになったりします。「年寄りの冷や水」とはそういう例えです。

    このように、せっかく人生の一時期にしかない「不死身の時期」を惜しみなく活用するかしないかで、その後の生き方が大きく方向付けられると考えられます。なぜなら「本当の限界を知ることは本当のバランスを知ること」だからです。本当のバランスとは「正しい分別や加減」のことですから、結局「若い時の馬鹿さが本物の分別や加減を知った大人を作る」と言えます。

     

    ところで若者が「馬鹿さ」を発揮しようとすると、迷惑がって知ったかぶりして上から目線でがたがた言う大人がいます。そうではなく、若い人の自発的なチャレンジは、その意味を理解しギリギリまでやらせてあげるのが大人の甲斐性というものです。仮に大人目線でやめさせたりすると、そのせいでその若者は「小粒で取るに足りないような大人」にしかなれないかも知れません。

    そうなるとやはり「ダメな大人の無理解が子どもや若者をダメにする」ということになってしまいますが、ぜひ若いみなさんにはめげずおくせずがんばっていただきたいと思います。

    | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:28 | comments(0) | - |









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