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「繋ぎや当て馬」で何が悪い
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    11月27日に「霊界のキャスティング」という記事を書きましたが、その中で自分が(社会や世の中に対して)「本命、繋ぎ、当て馬」または「主役、脇役、端役」である事のいわゆる「キャスティング」の意味は殆ど無い旨を強調致しました。そして同時にその時々の「自分の思い(=想念)」こそが最も重要で「霊的評価」の対象である事も申しました。

    何故今、敢えてそれを話題にするのかと言うことですが、多くの人が「功績(=出来高)のみ」で人を判断しようとすることが、他人に対する評価の誤り、ひいては社会の現状の読み違いなどをもたらし、都度の適切な対応に遅れや悪影響を及ぼす恐れがあるからです。

     

    例えば私たちが「あの人が本命だ」と思う裏には、その人間の「完成度の高さ」を暗に示している場合がまま有ります。つまり固定観念として「能力が高く完成度が高い人が(リーダーとしての)本命」と判断する向きが有ります。

    しかし、そのような先入観には「落とし穴」が有ります。即ち評価を受ける側からすれば「他人からそう見える様に演出すれば良い」というだけの事で、それでは実体とは無関係に「演出力の高い方が本命視される」というだけの話となります。(より深い部分の見極めはメディアを媒体とする限り困難でしょう。)

     

    ところで実際には「本命」と覚しき人間が、必ずしも「完成度の高い人間」と他人の目に映るとは限りませんし、「繋ぎや当て馬っぽい」ことが、即「除外」の対象とされて良い訳でも有りません。つまりこの時点で(イメージ的に)「完全無欠、オールマイティ」を求めている事自体が土台「欲張りで虫のいい話」だということです。

    私たちにとっては本来「喫緊の課題」に最も相応しい人物であれば良いはずですが、「せっかくだからアレもコレも」と欲張る事で物事を見誤り、挙句騙されるハメに陥ります。

     

    自他共に、その役割が「本命であれ、繋ぎであれ、当て馬であれ」ニーズに見合っていればそれで良いのです。因みにもし、私が「当て馬」であったなら懸命にその役割を果たしたいと思います。何故ならそれが唯一無二の私の立場に相違ないからです。そしてそれが「みんなで良くなること」と確信出来るからです。

     

     

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