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「成長」とは何だ?
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    ※ 以下、私の別ブログからの転載記事です。途中パーセンテージ表記の証明不可のため、カテゴリーが「証明できない?」とされています。

     

     

    経済成長、成長戦略などと聞くと、それが我々にとって必要な事で何か良いことの様に思われるが、それは本当だろうか。

    まず「成長」という言葉には「子どもの成長、苗の成長」などに見られる様に「絶対的に必要で正しい事」という意味合いが含まれるが、社会ではほぼ「経済発展」の意味として使われている。

    一方で「成長」とはあくまでも「成熟までの過程」を示す言葉であるからには、永遠に成長し続けるというイメージではなく、「成熟」を以って完結すべきものと言えるはずである。にも関わらず、この「経済成長」という概念に限っては、何か未来永劫に必要なテーマとして扱われているのは何故だろう?

     

    それは「経済」というものがあらゆる意味で「利己的概念」として用いられているからに他ならない。例えば家庭に於いては「家族の利益」、国家で言えば「国益」という様に、話はすべて単位ごとの損益に集約される。だとすれば、家庭にあっては家族全員が社会的に(収益性の高い)優位な地位に付く事が経済発展の由縁となり、国家にあっては国際的に出来るだけ多くの(産業基盤としての)土地や人的、物的資源活用の権利を取得出来ることが望ましい事になる。その意味での象徴的な形が、過去の「大国による植民地政策」に他ならない。そこには他人の権利を尊重し、十分な配慮を行なうという基本姿勢は皆無で、単位ごとの「利己的目標」の達成のためのノウハウしか存在しない。しかもそれが「正しい」とされるのが「経済」という概念である。

     

    ここから解る様に「経済成長」とは自分以外の他人の所有物が存在する限りは終了しないものなのだ。何故なら、現在の他人の所有物は未来の自分の所有物となる余地が十分に考えられる、いわばそれ自体が格好の努力目標と見做されるからだ。そしてそのために必要なのは「冷酷で思いやりの欠片もない人柄」か、または「ある一面で信じられないほど欠如した想像力」ということになる。少なくとも「経済成長」の音頭を取る連中は全員そうでなければならないし、その下で働く人々は、上の連中がそういう人間であることにも気が付かないほど「ボケている」か、自分を「自己暗示に掛ける達人」または自分も「早くそうなりたい」と、そこに夢と希望を託せるゴリゴリの「利己主義者」以外に考えられない。これら、何れも人格の欠損が見られる人々をすべて合わせると、概ね日本人の75%に達するだろう。(症状の浅い人たちは一刻も早く抜けた方が良い。そうなれば比率は43%まで回復するはずだ。)

     

    そもそも何のための「経済成長」で、誰のための「成長戦略」なのか、少なくとも今様々な事情で困窮している多くの人たちには何の関係もなく、それよりも「富の再配分」「労働の適正評価」など直近の課題に対して真摯に取り組んでくれる様な人格に問題の無い議員を選挙で選ぶ事をもう少し真剣に考えるべきだと思う。もし選べるような候補者が思い当たらないなら、まず国民と国会をないがしろにする度重なる強行採決に加担した国会議員全員を落とす方向で検討して構わないだろう。

     

    今後は「経済成長」などという如何わしい言葉に騙されてはいけない。正しくは「経済膨張」であり「膨張戦略」だろう。

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:52 | comments(0) | - |









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