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「霊主体従」を地で行くという事
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    今日になってようやく体温が37度代で推移している様ですが、まだまだ平常とは言い難く、だからと言ってその間、(責任上)ただの一日足りとも安静、安楽な過ごし方が許される訳でも無く、鎮痛、解熱、強壮薬の類で苦痛が緩和出来る訳でも有りません。それは既に40年以上にわたって私が貫徹してきた自分としては慣れ親しんだ生き方で有り、珍しくも何ともないのですが、20代、30代はまだしも60代に至っては、体が悲鳴を上げているのが(客観的には)良く解ります。しかし残念ながら、それが「霊主体従」という在り方を地で行くという事なのです。何故なら体というものは(例え論理的に正しい事でも)悲鳴を上げたり拒絶したりする事がしばしばあって、そのため霊的な停滞やダメージが生ずる事が良くあるのです。増して「老化」という要素は、私にとって新しい局面でも有り、それに対してより注意深く対応して行く必要があるものと考えています。それに私の場合、自分の経験値はすべてデータ化しており、それによる「原因結果の法則」の実証がひとつの目的ですから、思い付きや気分で安易に変える事が出来ないという事情も有ります。

     

    思うに私の体は、長年良く従ってくれていると思います。霊的な魂は永遠のものであるとしても、物理的な体にして見れば確かに「この世一代限りの存在」なので、その意味では本当はもっと「好きに生きたかった」のかも知れませんが、そうも行きません。「霊主体従」は法則であり掟なのですから。

    但し、誤解の無い様、一生を通じて私の様な「難行、苦行、荒行」を地で行くケースは特殊であって、特別な目的を持さない普通の人生に於いては、そこまで体を追い込む必要は生じないはずだとは申し上げておきます。ただいつも人間らしく「少しだけがんばって」もらえたら良いのだと思います。

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