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霊界に於ける「白黒」とは
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    ※本日の記事は「この世に神が存在する」事を前提に話を進めますので、懐疑的な方にはお勧め出来ないかも知れません。

     

    昨日も記事にした様に、この世に於いて「白黒付ける事」は決して好ましいものではなく、ただ便宜上「関係性のバランスを保つため」の基準や目安が存在するに過ぎませんが、その一方で「霊界」に於いては明確な「白黒」が存在します。それを簡潔に表すなら「神が白」で、それ以外が「黒」となりますが、そう言われても「全知全能である神の意思や思いを具体性を以って実感すること」自体が(多分)困難と思われます。

    もちろん霊界に籍を置く「霊魂」のレベルでは、この事は熟知されていますが、人間としての私たちが「感性」のレベルでその事を実感出来ない限り、思想や行動に反映させる事は出来ません。そのために人間には「人間性」という思想化された体系的な意識があるのです。この「人間性」こそが、私たち人間が「神が白」という霊界の実相を具体性を以って実感するためのツールと考えて良いでしょう。

    何故なら「人間性」とは、人間が(他の動植物などとは異なり)この世で唯一「神が自らの分霊として作り出した存在」を証明するものに他ならないからです。(分霊とは正確には「人の霊魂」を指します。)それはつまり(スケールの違いを除けば)元々は「神の心」と「人の心」が「相似形」である事を意味しています。

     

    そこでこの「人間性」について少し考えて見ると、その実体が「みんなが良い」「みんなに良い」という思いに集約される事が解ると思います。その「みんな」とは(もちろんそこには自分自身も含まれますが)、決して家族や一族だけのことではなく、国家や民族だけに留まるものでもなく、更には他の動植物や自然環境全体にまで拡がるおおらかな思いであることが判ります。

    つまりそれは「垣根のない、別け隔てのない心」ですが、ただそれだけではなく、同時に「縦横の構造的理解を伴う責任の心」でもあることが判ると思います。それらは全体として「みんなに良い世界(社会)を実現するための意識と力」を形成するものと言って良いでしょう。であるとすればそこには当然ながら「白とか黒とかといった偏狭な思い」が介在する余地すらも無いことになります。

     

    つまり「白黒」とは元々、自分自身の内部の「人間性」が、自分自身を精査、調整するための判断基準であったということです。(それを他人に向けるからおかしい事になるのです。)

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 11:43 | comments(0) | - |









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