※本日の記事は完全に「証明不可」に付き、理詰めで事の真偽を見極めようとのスタンスをお持ちの方には閲覧お薦め出来ません。
少し前に『物事の価値観が180度変わる』という記事を書きました。しかしそこでは「何故それが起こるのか」という疑問には答えていませんでした。そこで今回は少しその点に触れてみようと思います。
振り返れば、私たちの有する「価値観」の大半は「相対的な関係性」に基づいている様に思えます。例えば親子は相対的な関係性と言えます。課長と部下もそうですし、店員と顧客もそうです。また環境と人間も「有益、無益、有害」などの概念に代表されるような相対的関係にあると言えます。それからよく「あいにくの雨」などと表現しますが、これも気象と人間の相対的関係の最たるものでしょう。
こうして一つ一つ例に照らして考えてみると、あらゆるものと自分との「相対的関係性」が判ります。つまり私たちは日々その中に埋もれるような形で生きているのですが、その一つ一つの関係性そのものは決して固定的なものではなく、むしろ「日々変化する」と考える方が自然なものです。そう考えると、私たちは気の休まる暇も無くなるというのも解ります。何故ならそれは「有るものが突然無くなったり、無害なものが急に有害になったり」するかも知れないことを意味するからです。相対的な関係とは「相手の状態に依存する」部分が大きいので、その影響を避けられないのが真実です。
そこで、では私たちにとって「絶対的な関係性」とは何なのか、また、例えば「相対的な関係性」から逸脱して「絶対的な関係性」を主軸とした価値観を構成した上、それを以って生きる事が可能か否かという問いが生じます。
その答えを得るためには、正に「霊界の在り方」が参考になります。結論から言えば、「霊界には相対的な関係性に基づく価値観は無く、従ってそこには揺るぎない絶対的な価値観しか存在しない」という事になります。
答えのヒントは「物的特徴にばかり心を奪われていると、(人を含む)事物の本質を見誤る」ということだと思います。例えば「子どもを子どもとしか思えない限りは、その子との相対的な関係性しか見えて来ない」ということであって、(霊的には)「子どもは子どもでは無い(少なくともその事に余り意味は無い)」ということです。
人間性の豊かな人は、総じて相手の姿形には余り重きを置きません。