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「相対」と「絶対」の意味
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    ※本日の記事は、昨日の話の捕捉になります。従って「物証による理解」をお求めの方々にはお薦め出来ません。

     

    私たちの(現在日常的に)有する「相対的価値観」とは、自らの生存権、自らの正当性、そして自らの現状を前提とした上で、様々な価値観の中から取捨選択が行われた結果のものと思われます。これは言い換えれば(無意識に)「自分を世界の中心」に置くことで実現されたものです。

     

    例えば「この世は弱肉強食だ!」という価値観も、前述の理由によって選択されたものであって、そういう「宇宙の法則」が存在する訳では有りません。

    また、身近なところでは「医療や健康」に対する価値観も然りで、(良くも悪くも)前述の「自己中心的なスタンス」が反映された相対的な意味合いの強いものと言えます。

    例えば一般的に「長寿は良いことだ」とされていますが、「長寿でなければならない理由」となると、定かでは有りません。

     

    一方で「絶対的価値観」となると、すぐに思い浮かぶのが日本では戦前、戦中の或る時期に於ける「天皇崇拝」に基づく価値観の集約だと思います。海外では国王であったり法王、教皇などですが、これらは何れも「神に任ぜられた存在」または「神そのもの」であるので、言い換えれば「絶対的価値観とは神を世界の中心と見做すことにより実現される」という事になります。

     

    確かに、そうであれば私たちは自らを「世界の中心に据える」必要が無くなるかも知れません。しかしこれには重大な問題が有ります。それは単純化すれば「現実に姿かたちが人間であるものを如何にして絶対と認めるか」という話になります。そして結果的には、これらの試みは(真実がどうであるかはさておき)弊害が多く、上手く行かなかったというのが偽らざるところだと思います。そればかりか「絶対的価値観は危険だ」という概念さえもたらしました。そうなると当然(消去法的に)選択肢は「相対的価値観」しかなくなってしまうのも頷けます。

     

    ここで一つ面白い提案をして見たいと思います。それは「縦社会に於いては上に行けば上に行くほど損をする仕組み」を作るということです。(正確には、精神的には得をするが物理的には損をするという話です。)少なくとも「霊界」ではそうなっているのですから、「現界」に於いてそれに異を唱える理由は見当たりません。

    無論、これは現況誰もが受け入れられる話ではないかも知れませんが、しかし「人間性の豊かな人」であれば喜んで受け入れるに違い有りません。(今後はそういう世の中になるでしょう。)

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 08:36 | comments(0) | - |









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