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真っ当な人々は「希望的観測」をしていない
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    一昨日もまた「今村復興相の激昂問題」で、「自主避難者は自己責任」などのトンデモ発言が飛び出すなど、現政権及び現役閣僚に対する国民の不信感は募る一方と思われる。

    関連記事の外部リンク→ http://lite-ra.com/2017/04/post-3051.html

     

    これらの真実が露呈するのは、一重に(昨日の記事にもあるように)真っ当な人々の地道な活動有っての賜物と思う次第だが、それではその「真っ当な人々」は希望的観測のもとに明るい展望を描いているのかと言うと、必ずしもそうとは言えない様だ。中には(冷静に分析した上で)「現状は既に末期的様相を呈しており、社会の致命的崩壊は避けられない」と判断する向きもある。つまり平たく言えば「もうだめだ、間に合わない!」という話である。

     

    例えば「声を大にして正論を唱えたからと言って、必ず(望んだ)結果が付いてくるとも限らない」という事は、確かにあるだろうし、そればかりか(現状の如く客観的には)「もはや手遅れか」と思いつつも、結果的に終始一貫した行動を取り続ける場合もある。それはどうしてだろう。そして何のためだろうか。

     

    そこには何の理屈も無い、単に「自らの人間性に従う」という行動原理が在るのみである。それは本当に「損とか得とか」「上手く行くとか行かないとか」といった話とは無縁で、ただ「人間性を貶(おとし)めてはならない」という一念に尽きる。故に行動自体が「結果に左右されない」のだ。

     

    「何故そんなことをする?」「何故それがいいのだ?」

    答えは簡単だ。「人間性に従うこと」こそが、この世で唯一「間違いなく自分にも良い、人にも良い選択肢」であることを知っているからだ。

     

    そう思えない人は「物の見方を知らない人」と、敢えて断言出来ます。

    | 青少年の味方の人 | 人格・人間形成 | 15:35 | comments(0) | - |









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