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世の中には二通りの人がいる
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    世の中には二通りの人がいて、それは逆に言えば「二通りの人しかいない」ということになります。

    まず一つには「(鬱蒼とした藪の中に)道を切り拓く」人がいて、その後に続いて「道を拡げ踏み固める」人がいます。

    これは「分業」が良いと思います。何故なら「道を切り拓く」ためには相応の知見とエネルギー、そして何よりも相当の勇気が必要となり、誰もがその要件を満たせる訳ではないからです。

    一方で「道を拡げ踏み固める」作業では、危険度は低いものの、地道で丹念な仕事振りが求められ,微に入り細にわたる心配りが無ければ安全安心が確保出来ず、せっかくの道を「活かし切る」ことが出来ません。

    この事は見方によっては、私たちの社会を理想に向かわせる力として「智慧と勇気」と「愛と情け」の合力が望ましいことを表している様に思われます。

     

    この事を私たちの現状に当てはめて見るならば(昨日も記事にしたように)、確かに「社会の閉塞感」を打ち破り、切り拓こうとの「真っ当な動き」が随所に感じられるのは事実ですが、惜しむらくは「後に続こうとの動き」「道を拡げ踏み固める動き」と、それに伴うパワーがまだまだ不足しているように思えてなりません。

    実際に「道が道である」ためには、後に続く私たちがそれらを「本物の(使える)道」に自らの意思でして行く必要が有る様に思います。それが誰のためかと問われるなら、真っ先に「私たち自身のため」に違い有りません。何故なら(その道とは)私たち自身が利用する道に他ならないからです。

     

    このように「切り拓く人」と「踏み固める人」が同じ目的のために「同等」であり、お互いに感謝し合える(至極当たり前な)社会が、私の望む社会像でもあります。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:44 | comments(0) | - |









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