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売られたケンカは買わない
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    シリアで「アサド政権によって化学兵器が使用された」とされ、それに対する報復措置として「アメリカ軍によるミサイル攻撃が行われた」とされる件では、罪のない赤ん坊までが無惨にも犠牲になった事が許せないという論調が(その映像と共に)人々の想像力を刺激し、情緒的反応に訴え掛けているようです。

     

    しかし、こと想像力に関して言えば、大昔の様に「戦争は限定された合戦の場にて軍隊同士が決するもの」であるならまだしも、(内戦であれ国家間であれ)近代の戦争に於いては、子どもを含む一般市民を巻き込まない事自体考え難い状況で、ただそこにはそれらの被害の実態が「映像化され公表されるかされないか」の違いしか有りません。

     

    要は一旦戦争となれば、砲爆撃であれ地雷であれ飢餓や感染症であれ、「赤ん坊が死ぬ」事は間違い有りませんし、それが「真っ当な想像力」だと思います。(この期に及んでまさか「いや、死に方が問題なのだ」という人はいないと思います。)

     

    しかし不思議なことに今回の件では、問題の「赤ん坊の死」が新たな攻撃の火種になっています。もしまともな感覚であれば、これは「一刻も早い停戦合意」に向けた動きとなって当然と思われますが、いったいどういう思考回路の下にそれが戦争拡大の方向に向かうのでしょうか。

     

    世の中には「やられたらやり返す」事で、相手を牽制したり抑制出来るという考え方の人が多い様です。しかしそれでは「力の均衡を保つ」ことにはなっても、接点に圧力(=ストレス)が掛かり続けた状態であり、そもそもエネルギーの無駄ばかりが生じる上、何の解決にも至りません。(軍産ビジネスには好都合ですが。)

     

    本当に平和な世界、穏やかな社会を望む気持ちがあるのなら、決して「売られたケンカを買わない」ことです。そう心に決める時、人は今の自分に「何が必要で何が足りないのか」が、初めて判るものです。

    人々が本気でそれを行わない限り、「赤ん坊の死」は止まらないでしょう。

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 17:59 | comments(0) | - |









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