例えば中学校生活〜高校生活の6年間は「思春期」などと呼ばれ、希望と混沌が織り交ざる中で人間としての基礎固めに重要な時期との認識も誤りでは有りませんが、一方でこの先「どういう中学生、高校生になるのか」の概要がその有り様によって半ば決まりかねないのが小学校の6年間であるとすれば、保護者として子どもの成長や移り変わりにしっかりと注視し、必要に応じて惜しみないサポートを行わなければならないものと思います。
皮肉な話ですが、国民の間に「愛国教育」を広め浸透させようと考える人たちの悲願とも言えるべきものが、例の「森友学園の瑞穂の國記念小学校開校計画」に象徴される「小学校教育を中心とした愛国教育」だった事が、小学校教育6年間の重要性を暗に物語っています。つまりその時期に(学力とは別に)どういう思想教育が為されるか、或いはどのような「思想環境」の中で育まれるかは、その人間の将来の基礎として非常に重要な意味を持つということです。
誤解の無いように申し上げておきますが、少なくとも公立の小学校の場合では「特定の政治教育や特定の宗教教育を行なってはならない」とされていますが、それ自体が「中立性を保とう」という一つの思想的結論であり、その意味では当然「憲法」も「教育基本法」も思想的裏付けと共に在り、文科省と言えども「時々の思想的影響下」にあることは間違い有りません。
つまり「人間形成」と「思想的確立」は不可分のものと考えるのが妥当ということです。(人間が「無思想」などということは有り得ません。)
今現在、子どもたちの小学校生活に於いて最も不足しているものは、未来に対して子どもたちが自ずと肯定的になれるような「思想環境」と言わざるを得ません。それは「愛国心とか競争心」とは無縁の「他者を思いやりいたわり自然に認め合う平和で穏やかな気持ち」「自分も人も同じと自然に思える気持ち」の裏付けとなる「思想環境」が決定的に足りない様に私には思えてなりません。(それじゃそりゃ不幸にもなります!)
そういう心(=思想)の乏しい大人たちが寄ってたかって何をしても、残念ながら子どもたちの幸せな未来を作るお手伝いなんか出来っこ有りません。