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「発想、発案」の質と正当性について
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    これらは脳ミソの出来不出来や知識や情報の集積度には(残念ながら)関係有りません。つまり如何に頭が良くて物識りであっても、発想が貧弱で誤った選択しか出来ない「愚か者」はこの世にゴマンといるということです。

    何故なら、そもそも「質が高く正当性のある豊かな発想、発案(=アイデア)」というものは「霊的に担保」されていない限り持ち得ないものだからです。つまりその時点で「頭の回転速度や引き出しの多さ」は殆ど関係ないものと言え、強いて云うなら(それを他者に伝達する際に不自由を感じない程度の)国語力があれば尚良いという事でしょう。

    更に言えば、それら上質の発想の本体は元々が「イメージ(=絵図)」であって、故に一瞬で認識、把握出来る特性を持つものであるからして、尚更「頭の回転力」など及ぶべくも無いということになります。

     

    では人間に「頭の良さ」や「知識や情報(またはその収集能力)」などは不要で、それらは単なる「無用の長物」に過ぎないのかと言うと、決してそんな事を云うつもりは有りません。ただ「使いどころ」を間違えてはならないと言いたいのです。

    それら「実務的要素」は、イメージとして得られた発想や発案(=アイデア)を「具体化」する際には必ず必要とされるものであり、それは現社会でも当然そうなのですが、但しその部分がことさら他の実務的要素としての「技能、技術、労働形態など」に対して突出して価値が勝(まさ)っているという評価には疑問を呈さざるを得ません。

    この不当とも思える「ランク付け」は、おそらく現社会に蔓延している大きな誤解と、現実にまかり通っている大きな誤用によってもたらされていると思われます。

     

    それは「世の中は(その能力と権利と資格を有する)頭の良い人間たちの発想、発案によって形作られ成り立っているという誤解と誤用」が実際に為されているという現実に有ります。そしてこの件については、もはや論じる意味すら無く、国際社会や日本社会の歴史的経緯と現状を見ればそのまま「(学歴偏重主義による)頭が良い(だけの)人たち」には、権利や資格以前に「その能力に欠けている」事は明らかで、まさしく「貧弱な発想と浅はかな選択」の結果として現代社会に恒常的な混乱と閉塞感をもたらしています。

     

    その理由は冒頭でも説明した通り「霊的価値」、言い換えれば「人間的価値」が余りにも低い事によって「私たちの社会にとって必要十分となるイメージの持ち合わせが無い」からです。

    しかも残念ながら私たちには、そのような人たちの「霊的向上」を指を咥えて待っているだけの時間的ゆとりは有りません。

    そうなると私たちに出来る事は限られて来ます。即ち(そうした役回りを)「アイデアに優れた別の人とさっさと交代してもらう」ことです。

    当然です。(違いますか?)

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:05 | comments(0) | - |









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