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「霊層=人格」と思って下さい。
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    このところ何回かに分けて「霊層」について記事にしました。その結果明らかとなったのは「世の中には様々な霊層の人が混在している」という当たり前のことでしか有りませんが、そこでの理解のポイントは、これは「世の中には様々な考え方の人がいる」と(いう一般的理解と)同義ではないということです。

    と言うのも、一般的には「色々なものの見方、考え方、感じ方」は並列的に存在すると考えられ、信じられている節があるからです。もっと言えばそれらは「優劣の差」ではなく、どちらかと言えば経験、体験や立場の違いを反映しているものと受け止められることが多いと思います。

    確かに「考え方の違い」には、そういった側面があるのも事実ですが、果たしてそれが「白と黒、右と左」の如く決裂や断絶を伴う様な「決定的な差異」を生じさせる程のものか否かと言えば、甚だ疑問と言わざるを得ません。(はっきり言って、そんなハズは有りません。)何故なら人々の根底に「(最終的な)目的の共通性」が見られる限り、解決不能な差異を生ずるはずが無いからです。

    つまり人々の考え方の「決定的な差異」とは、言い換えれば「決定的な基本思想(=目的)の違い」であり、それは一重に「霊層の違い」に他ならないということです。であるとすれば、そういった考え方の違い自体を(前述の)「並列関係」として捉えても、決して解決の糸口は見えて来ません。何故ならそれは「上下の階層構造に基づく優劣の関係」であるからです。

     

    「霊層」とは縦(=上下)の階層構造ですから霊的には自ずと「階級、等級」の意味を持つものです。故にそれはそのまま「個々の霊魂の基本思想や能力」を表わすことになります。そして更には(その霊魂を有する)人間個々の(潜在的)価値、能力をも表わすことになります。(つまり人間には事実上、霊的な階級や等級が存在することになります。)

    しかし現実の人間社会に於いては、そういった「霊的実相に基づく真実」は全て不問に付され、あたかも存在しないかの如く理解の外に置かれて来ました。何故ならそれは「ある意味正しい」からです。と言うのも、霊界では確かに「上位の力のあるものが指揮、指導する」という体制が整えられていますが、それは「肩書」によって保たれるものではなく、実質的な「包容力、責任能力」によって成り立っているということです。ただ現界(=物質界)と違い、全てが見透せる100%クリアな世界ゆえに、能力と肩書に些かのズレも生じないため、結果的に肩書(=階級)が作用している様に見えるに過ぎません。

    ですからもちろん、霊界では(慢心などによって)下落すれば、一瞬にしてその立場と肩書を同時に失うハメに陥ることは言うまでも有りません。

     

    一方で現界は物質的な制約により、元々100%クリアな環境ではなく、それを前提として構成されている世界ですが、逆に見えにくいことで「奥ゆかしさ」や「そこはかとなく」などの捨てがたい美的感覚が生まれ、そもそも「神様が目に見えない」ということ自体がそれらと同根とも思えるほどです。むしろそのように(何でもあからさまにせず)「表によって裏を感じる」ことこそが、この世がこの世である由縁であり、醍醐味と言って良いでしょう。

    ですから現界に於いて「霊層があからさまに語られない」のもそれはそれで正しいのですが、その代わりに人間社会には昔から「人格や品格」という基準が有ります。これらは生存競争や取り引きごとなどの生々しい用途に利用されることのない、その意味で極めて「霊的」な側面を持った人間的特質と言えます。

    では「霊的向上=人格の向上」または「霊層=人格」という図式が100%成り立つかというと、ほとんど重なり合う部分が多いことは間違い有りませんが、敢えて言うなら「霊的な固有の使命を果たす」ことを優先させることで霊的向上が果たしやすくなり、それが人格に反映するという順序がより望ましいと思います。(何故なら、人格の追求が必ず霊的向上に結び付くとは限らないからです。)

    つまり「霊的向上→人格の向上」という図式であれば100%成り立つということです。

     

    最後に思想的な一例を挙げて見たいと思います。

    日本の安全保障を考える際に「戦力を高める事で抑止力を持つ」或いは「戦う意思を示さない事で相手に理解を求める」という大別すると二通りの選択肢があると考えられているようですが、この二つが互いに相容れず平行線をたどるのには理由が有ります。それはそもそも「目的」が異なっているからです。

    前者は「言うことを聞かせよう」であり、後者は「仲良くなろう」となり、それぞれに目的に沿った立案であることは間違い有りません。

    では、どちらの選択肢の「霊層」がより高いかと言えば、当然(目的からして)後者の「戦う意思を示さない事で相手に理解を求める」ということになります。(それを主張する人の邪念等はまた別問題です。)

    よく「理想論」などの批判が有りますが、少なくとも目的が「仲良くなろう」ということであれば、それはそれで十分現実的な選択だと、私には思えます。

     

    目的を明確化すれば、議論は自ずと整理されます。逆に言えばそれをやりたがらないのが今の社会の風潮です。何かやましいところでもあるのでしょうか?

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 08:28 | comments(0) | - |









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