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人間を「競走馬扱い」するな
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    世の中では盛んに「プロ・スポーツ」や「プロ・将棋」の世界でのプロたちの活躍を報じ、喧伝することで「競うこと=感動」などと善化、美化していますが、これらはみな「競うこと(=競争社会)」に対する抵抗感を減じさせ、「競争の場」に積極的に参加させるためのマインドコントロールとして用いられているに過ぎません。

    スポーツや将棋自体が悪いとは言いませんが、殊更に「競うことを推奨し、勝者を褒め称える」事は「振興」という本来の目的を逸脱し、「勝利にこそ価値が有り、敗北は価値が無い」という悪しき社会通念を蔓延させる事にしかなりません。何故それが悪いかと言うと、それは必ずや「結果を出す(=勝つ)ためには何でもやる」という考え方と結び付いて行くからです。

     

    これは「品格や良識」と真っ向から対立する考え方と言わざるを得ません。何故なら品格も良識も共に、物事の「経過や過程」の際にこそ発揮され、際立つものだからです。このように「何でもかんでも勝負事」のような物の見方、考え方は「人格の低下」を引き起こし、方や「負組だからしょうがない」などと、自ら「格差社会」を肯定するような自暴自棄の歪んだ方向へと人々を追い込んで行くに相違有りません。何故なら「勝つ」とは、基本的にピラミッド型の順列の頂点に立つという意味とすれば、大多数の人々は(相対的に)負組になるからです。

     

    例えば「勝利=栄光」の代表的なものに「競走馬」が有りますが、そこで私たちが知り得るのは文字通りピラミッドの頂点に立つことの出来たほんのひと握りの馬たちの辿る栄光の道のりに過ぎません。では「勝利に無縁」の九割近くの馬たちはどうなっているのでしょうか。

    以下に衝撃的な報告が有ります。特に2番めは生々しく、閲覧注意かも知れません。

     

    http://toyokeizai.net/articles/-/64607

    https://matome.naver.jp/odai/2141004220808662101

     

    これらの記事を見れば明らかな様に、勝てない(と断定された)競走馬は早期に「殺処分」が基本とのことです。何故なら「役立たずの馬に莫大な維持費を掛けるバカはいない」と考えられているからです。(およそ九割の馬がそれに該当します。)そのため「競走馬」という概念自体が動物虐待に当たるという指摘や批判が行われているとの事ですが、それはそれとして問題の本質はむしろ「競争社会」によって、その考え方がそのまま人間社会に当てはめられて行くことの怖ろしさに有ります。(つまりそれを食い止めない限り、馬の処遇も改善されないということです。)

     

    現代社会に於いては「勝つ」と「儲ける」は、ほぼ同じ意味で用いられており、そこには「儲けるためには何でもやるが、儲からない事は一切やらない」という明確な指標が有ります。何故なら「そのようにしないと勝てない」という現実があるからです。

    政治家の収賄、役人の忖度、企業の不正や改ざん、相撲の星の貸し借りなど、周りを見渡せばみんなやっていることで、それらはすべて「そのようにしないと勝てないから」という理屈の下に正当化されたものです。つまり「競争社会」とは、そのように「人が品格や良識を捨て去ることで成り立つおぞましい社会」ということです。だから競走馬の殺処分など当たり前で、その同じ心が「他人の事など知ったこっちゃない」と思わせている訳です。

     

    このような社会環境の中では「他人を相手取り、勝ちに行くこと」自体が問題を孕んでおり、(人として人格を歪めるという)大きなリスクを伴います。更にそんな思いまでしても最終的に「勝者」となれるのは(競走馬に例えるまでもなく)ごく一部の人々に過ぎず、殆どの人たちが「負けたんだからしょうがない」的な卑屈な生き方を余儀なくされるでしょう。それが今の世の中の紛れもない現状です。

    故に、このような社会の仕組みにはさっさと見切りを付けて人間本来の生き方、人との関わり方、馬との関わり方に戻しましょう。もし、そうした啓蒙活動を率先して行えないとしても、少ないながらも世の中でリーダーシップを発揮している人たちを陰ながら応援、支援することぐらいは出来るはずです。

     

    体(てい)の良い「殺処分」が存在する事は、最早「世の中の常識」となりつつ有り、自分たちがその対象と成り得る事をくれぐれも忘れないで下さい。(それは「人命及び人権軽視」という形となって表れるでしょう。)

    | 青少年の味方の人 | 人格・人間形成 | 07:59 | comments(0) | - |









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