青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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自分の立場は他人が作るということ
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    今回は大人の方に向けたお話ですが、もちろん子どもの方も大丈夫です。(ただ、字や言葉が少しむずかしいかも知れません)

    青少年のうちはまだそれほどでもありませんが、大人になると「立場を得る」「立場に拘(こだわ)る」傾向が強くなって行きます。何故なら、「立場」こそが全ての利益をもたらす根源というイメージがあるからです。

    「利益」というのはこの場合、ほとんど「金品」の事を指します。他に「権力」「名声」「人脈」「安全保障」など様々な要素が絡んでくるとしても、立場に執着する限り「金品の豊かさがもたらす安心」に集約されるといっても過言ではないでしょう。

     

    しかし、そこでひとつ疑問があります。

    「立場」というものは複数の人間がいてこそ成立するもので、たった一人の環境では「立場」という概念自体存在しません。

    つまり初めから「社会的概念」である「立場」が、何故あたかも一個人のためのものの様に考えられ、扱われているのでしょうか?これは何か考え違いか、勘違いとしか言い様が有りません。

     

    「立場=社会的ポジション」は、当然ながら社会の有益性、有用性のために作られ存在しています。それは本来ならば社会的な目的に照らして、最もふさわしいと「社会が認めるところの人が収まるべきもの」で、間違っても「闘争心が強く、自己の利益を追求して止まない」人間が「勝ち取る」性質のものではありません。

    また、「立場の運用によって得られた利益」は、元々広く社会に還元されるべきものであり、それのみが「社会的ポジション」の存在意義と言って良いと思います。

     

    つまり「立場」は社会(=みんな)が必要とするものであり、的確な人材が社会(=みんな)によって決められ、社会(=みんな)のために運用され、その利益は社会(=みんな)に還元されるべきものなのです。

    「それじゃ、つまらない。誰もやる奴いないよ。」という声が聞こえてきそうですが・・・それが私たちの社会のレベルです。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:03 | comments(0) | - |
    他人の良いところを盗(ぬす)もう!
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      「金品を盗もう」と言っているのではありません。(=念のため)他人の良いところを見習おうという意味です。
      人は誰しも持って生まれた「得意」「不得意(=苦手)」があります。これらの中には、性格に関係すると思われるものも数多く含まれています。
      例えば、神経質(しんけいしつ)で何事も几帳面(きちょうめん)という性格は、整理整頓が得意で準備も怠りなく時間にも正確で、一見困る事が無いように思えますが、それはあくまで物事が予定通りに進んでいる場合に限ります。
      もし、途中で予想外のトラブルやアクシデントにぶつかったりした場合、別の方法を試したり、一度引き返してもう一度やり直して見るなどの行動が即座(そくざ=すぐ)に取れなかったりします。
      これは「几帳面の裏(うら)返し」で仕方のないこと・・と言ってしまえばそれまでですが、実は人間というものは、「そうでない自分を作ることが簡単に出来る」ようにできています。

      几帳面でありながら、トラブルやアクシデントにも即応(そくおう)出来る自分を作るためには、

      1. 几帳面なるがゆえに即応出来ない自分を痛感する。(時にはくやしい思いも必要かも)
      2. 周囲を見回し即応出来ている人を発見して、その人をうらやましいと思い、同時に「尊敬(そんけい)」する。
      3. その人がなぜ即応出来るのか、自分なりに考えて見る。(たぶん細かすぎない、どちらかというと大ざっぱな人かも)
      4. その人の性格が自分にとって「絶対必要」と思ったら、黙って「ありがたく」頂戴(ちょうだい)する。

      ここで大事なポイントが2つほどあります。
      1つは「尊敬する」という事。2つ目は「有難(ありがた)く頂(いただ)く」という事。
      これらの気持ちが欠けていると、うまくいきません。なぜかと言われても・・・そういう仕組みだからです。

      これを続けていくと、他人の性格の良いところをどんどん自分に取り入れていくことが出来ます。
      それと同時に、自分の性格の行き過ぎた部分(几帳面過ぎる・・など)も自然に改善されて行きます。不思議ですね。
      | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:27 | comments(0) | - |
      干支(えと)・血液型(けつえきがた)と性格について
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        他にも「九星気学」「西洋占星術」など、人の性格(や運命?)はあらかじめ決められているという考え方が在ります。
        もちろんこれらは科学的に証明されていない訳ですから「真実」とも言えませんが、かと言って「事実無根(じじつむこん)」という科学的証明を得ている訳でもありません。現実的には「信じたい人」が信じるという事だと思います。
        これら「○○占い、性格判断」の概要(がいよう)については、ネット上でもある程度調べることが出来るので、ここでは省略します。

        さて、「性格占い」に関心を持っているアナタ。ここで一番重要なことは「性格は自分で作るもの」という事であります。これは「○○占い」を真っ向から否定する考え方と思われるかも知れませんが、そうではありません。
        元々占いの主旨そのものが「アナタは○○の傾向が強いので、その部分を改善しましょう。」ということなので、その事自体が「自分で性格を作り直す」という意味になります。
        しかし、もし「性格」というものがどの道「作り直さなければならない」ものだとするなら、何のために「初めから決まっている」のでしょうか?

        大雑把(おおざっぱ)で不完全であっても、ある程度有用性(=役に立つ)のあるもので、大いに改善の余地のあるものの事を「たたき台」と言いますが、アナタの持って生まれた性格が、正(まさ)にこの「たたき台」だと思って下さい。
        例えば「血液型」を例にすれば、AだろうとB、AB、Oであろうと、全てその人にとっての性格の「たたき台」に過ぎないという事です。
        「たたき台」はそのまま使って使えないことは有りませんが、何せ不完全なるが故に必ず難(なん=不具合)があります。この事は始めのうちは気が付かないかも知れませんが、そのせいでだんだん困ったことが起きてきます。(そこで他人のせいにしないこと!)
        そうした時、私たちは一体どうすれば良いのでしょうか?・・・次回に続きます。
         
        | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:21 | comments(0) | - |
        大人が子どもに負けてること
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          皆さん済みません。本日は記事を書く時間がないかも知れません。
          そういえば、検索ワードに「大人が子どもに負けてること」というのがありました。
          体力、知識、経験、ずるさ以外の全部・・かな?
          それではまた。
          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 04:58 | comments(0) | - |
          信条に添(そ)って生きるということ
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            前回の記事の続きとなりますが、私たちはいつもさまざまなグループに参加しながら、日々社会生活を送っています。

            もちろん、それはそれで必要な事なのですが、そこでひとつ困ったことが起きてきます。

            各グループにはそれぞれの目的があり、目的に応じて考え方が違ったりしています。つまり、あるグループでは「それでいいよ」と言われることが、別のグループでは「それは違うよ」と言われたりします。

            ここで1番簡単(かんたん)な方法は、行く先ごとに考え方を変えてしまうこと。そうすれば、どこのグループに行ってもアナタは「良い人」として受け入れられるかも知れません・・・が、そこでひとつ疑問(ぎもん)が。それは、どれが「本当の自分」なの?ということです。これは他人から見ても「そう見えてしまう」ということです。

             

            私はそれよりも、むしろアナタが「信条(しんじょう)に添って生きる」ことをお勧(すす)めしたいと思います。

            「信条=堅く信じていること=信念」などと辞書には書かれていますが、信念というのは、どちらかというと主観的傾向、信条というものは客観性をも抱合したイメージがあります。(子どもの皆さん、言葉がむずかしくて済みません。)

            美しい心、優しい心、信じる心、ありがとうの心、お手伝いの心・・・など、誰が見ても「良い人」と思えるようなもので、いろいろな考え方や行動がその中に含まれるようなイメージの言葉が「信条」に適しているように思います。

            一方で「強い心」とか「勇気」とかはそれだけでなく、信条にするためには「何をするための」勇気とかを、わかりやすくすると良いと思います。

             

            このようにして「信条」を心の真ん中に備(そな)えておくことで、アナタはどのようなグループに参加していても、バランスの取れた良い心を持って「良い人」として生き生きと行動することができるようになります。

            何故ならアナタの「信条」は、いつもグループのみんなを「大切」に思う気持ちそのものですから。

            | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:31 | comments(0) | - |
            アナタは良い人ですか?悪い人ですか?
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              こんなことを訊(き)いてくる人は、たぶんいないと思います。でももし訊かれたらどう答えますか?

              まさか「悪い人」と答える訳(わけ)にはいかないが、「良い人」というのも何だかおこがましいから、「どっちでもない」とか言うかも。でも本当は「まあまあ良い人」と思っていたりすると思います。

              でも「何故(なぜ)そう思いますか?」と訊かれたら、ちょっと困ってしまいます。普通(ふつう)は、そんなにきちんと「自分の中身(なかみ)」を整理していなくて、ただ「自分は何となくこんな感じ」と思って生きているはずです。


               

              ここでちょっと整理すると、「良い人」というのは「自分の参加するグループにとってプラスになる人」の事、「悪い人」というのは反対に「自分の参加するグループにとってマイナスになる人」の事です。

              人間は普通、いつもどこかのグループに参加しています。それも、ひとりの人が同時に幾(いく)つものグループに参加していたりしています。

              グループの内訳(うちわけ)を見てみると、まず家族(かぞく)、町内会、学校、会社、市区町村、都道府県、日本国、アジア、世界(地球)。

              細かいところで友だちグループ、○○班、○○部、○○ゼミ、○○スクール、○○クラブ、○○教会、○○組合、○○協会・・等々。


              このように、私たちがすでに参加しているグループには、自分の意思(いし)で参加したものもあれば、生まれた時から自動的に参加しているものもあり、そこから何を求められ、そこで何をするべきかがそれぞれ違います。(多少の共通部分があったとしても)
              例えば、会社で早朝から深夜までバリバリ働いているお父さんは、ほとんど家にいませんが、会社というグループにとっては「良い人」でも、家族のグループ(=お母さんや子どもたち)にとっては「あまり良くない人」となってしまいます。このようなことは、世の中にはたくさんあります。もっといえば、日本の中で「良い人」が世界のどこの国でも「良い人」とは限らないのです。特に利害得失が対立(片方が得すればもう一方が損する)関係にあれば尚更(なおさら)です。
              こういうのを、グループ間の「板ばさみになる」と言います。

              それでは、私たちはどうしたら本当の「良い人」になれるのでしょう。・・・それは、また次回に。

               

              | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 10:33 | comments(0) | - |
              「責任」を痛感すべし
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                今回は大人の方に向けたお話ですが、もちろん子どもの方も大丈夫です。(ただ、字や言葉が少しむずかしいかも知れません)

                前回、「責任は他より与えられるもの」というお話を致しました。しかし「責任=負担」な訳ですから、負担はなるべくなら軽い方が良いという考え方にも一理あります。
                例えば、会社にあって管理職を目指すか、負担の軽い万年平社員で良いと思うかは、自らの将来設計によって自分で決める事も出来るでしょう。(その会社が磐石であると信じられる場合に限りますが・・・)
                しかし、「家庭」という最小単位の場合を考えて見ますと、事はそう単純なものではありません。仮に、大企業をマンモスタンカーになぞらえるとすれば、家庭などは波間を漂う一艘の小舟に過ぎません。
                しっかりと目標を定め、常に進路や周囲の確認を怠らず、舵取りに細心の注意を払いつつ、懸命に漕ぐ。そうでなければ到底目的の地を踏むことなど適わない・・というイメージを持って頂けたでしょうか?(実はこれは大企業がシステム化して行っている事と同じです)
                しかも「家庭」の場合、構成人員が少ないため各自の役割分担も量的に多く、屋台骨が小さいため、どこかに齟齬があると直ちに全体に波及してしまいます。家庭というものは、このように本来「危うい」ものだという認識こそが、幸せな家庭生活の第一歩となります。

                上記の事から、自ずと「磐石な家庭」の構図が見えて来ます。

                1.「目的」がしっかりしている事。=以外にも見過ごされ易いもの。この際きちんと検証する必要があります。
                2.「目標」が正しく設定されている事。=目的に応じた目標である必要があります。(マイホームと言えども単なる目標です)
                3.「状況」を正しく把握する事。=進路にぶれが生じていないか、周囲との調和、相互理解の環境が整っているか確認しましょう。
                4.「不測の事態」への適切な対応。=最も能力の問われる部分かも知れません。決断力、行動力、統率力が必要です。
                5.「熱意」を持ってまい進する。=揺るぎない信念を持ち続けていれば、その熱意が必ず全員に伝わります。

                さて、このような事をどう理解すれば良いのかというと、つまり「私たちは誰しも大きな責任を担っている」という事です。
                私たちが、与えられた責任を「正しく」理解し、受け入れることが出来れば、「幸せ」はそう遠い話では無いのかも知れません。
                ところで「家庭」や「幸せ」には「愛」が付き物ですが、この話の一体どこに愛があるのでしょうか?
                それは1〜5の全てです。家庭はビジネスの場ではないので、これらの事は「愛」がなければ到底出来ません。
                | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:05 | comments(0) | - |
                「責任感」を持つということ
                0
                  今回は大人の方に向けたお話ですが、もちろん子どもの方も大丈夫です。(ただ、字や言葉が少しむずかしいかも知れません)

                  前回の記事で、「自信を持てるようになるためには、まず責任感を持つことが重要」というようなお話を致しました。
                  しかし、ここでひとつの疑問、というか課題を持たれた方もいらっしゃるかと思います。
                  「それじゃ、責任感はどうやって持つの?」・・・当然です。そのことに関して、少しご説明させて頂きたいと思います。

                  そもそも「責任」とは他より与えられるもの、自らの意思と関わりなく生ずるものと考えた方が良いでしょう。その意味では「義務」とたいへん近い関係にあり、更に「責」という字によってリスクを想定した考え方が示されています。
                  つまり「義務を遂行し、責任を果たす」ということです。
                  一方で「責任感」というものは、自らの意思でそれを「自覚」しない限り、存在出来ないものです。
                  一般に「無責任」と称するのは、責任が無いというよりは「責任があるにも関わらず、その自覚が無いか乏しい」状態を指します。

                  以前にも、人が(数の多少に関わらず)他の誰かと何らかの関わりを持っている状態は、既に「社会」であると申しました。
                  そこが「社会」である限り「義務や責任の無い人」は一人もいません。
                  何故なら一方の「身勝手」が、必ず他方の「負担」を強いる結果となるからです。(それによって社会の存続が脅かされます)
                  それを避けるため、社会(=家庭、地域、学校、職場 etc...)には、経験上必要とされるルールやマナーが設けられています。
                  「ルール」は、社会の全員が従うべきとされるもの、「マナー」は、社会の全員が心掛けて欲しいこととされ、同時に、最も基本的な「社会的責任」が誰にでもあり、全ての人が「社会的責任感」を持つよう促されています。

                  と、ここまで「責任、責任感」についての基本的な考え方を申し上げましたが、実はこのテーマには、更に続きがあります。
                  私は、「責任」の概念こそが人生の根幹を成していて、あらゆる事象の理解と解決の糸口であると信じています。
                  それではまた、次回に。
                   
                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:04 | comments(0) | - |
                  「大人ですが自信をつけたいです。」というお悩みについて.
                  0
                    今回は大人の方に向けたお話ですが、もちろん子どもの方も大丈夫です。(ただ、字や言葉が少しむずかしいかも知れません)

                    こうしたサイトをやっていますと当然アクセス状況をチェックすることになりますが、その中に「皆さんがどのような方法で当サイトの事をお知りになったか」の手掛かりとなる「検索語句」の一覧があります。
                    その検索語句の1つに「大人ですが自信をつけたいです。」というのがありましたので、今回はその事を考えて見たいと思います。
                     
                    2014.09.17の記事「大人(おとな)になるってどういうこと?」でも触れていますが、例えば仕事や対人関係、子育てなど、何事も「責任感」を持ってその事と向き合うことが最も重要であると考えています。
                    仮に「責任は十分感じている」という状況にも関わらず、「自信が無いので二の足を踏んでしまう」というような場合、そのままでは苦しいだけで、いつまで立っても何も変わりません。(但し周囲の状況は刻一刻と変化して行き、やがて自分が追い詰められてしまいます。)

                    これは「リスク」、つまり「失敗」を恐れるために踏み出せない訳ですが、凡そ人間である限り、全くの「ノーリスク」で前に進めるなどということは有り得ません。
                    ただ、人によって現時点でのリスクの許容範囲(=マージン)に差があるのも事実です。
                    一般にリスクマージンの大きい人、許容範囲の広い人は自己や物事に対する「修復力、修正能力」の高い人で、いわゆる「アクシデントに強い」人ですが、その人とて初めからそういう能力が備わっていた訳ではありません。
                    このような能力は「積み重ね」によって養われて行くもので、それこそ子どものうちから少しづつ身に付けて行くのが良いと思われます。(この積み重ねの努力は生涯続きます。)
                    例えば子どもは最初はよく転んで膝を擦り剥きますが、それでも遊びたい(=成長責任)ので元気に歩いたり走ったりしている内に、「だんだん」転ばなくなります。これは子どもが「転ぶ」というリスクを恐れず成長して行く正しい在り方と言えます。

                    人間は自らの力でリスクを乗り越えた分だけ実行能力が高まり、それがアクシデントに対する備えともなります。
                    そのような「備えのある状態を自ら自覚する事」を「自信」と言います。
                    繰り返しますが、「備え」は「積み重ねる」もので、相応の「リスクの不安」に打ち勝って「実行」しなければ得られません。
                    それは即ち「責任感」のみが可能ならしめる事で、単なる知識欲や興味本位、見栄や外聞などとは次元の異なるものです。
                    しかし逆に言えば「責任感」さえしっかり持てれば、「必ず出来る」ということです。
                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:50 | comments(0) | - |
                    いつもありがとうございます。
                    0

                      今日は仕事で一日手が放せない状態ですので、たいへん残念ですが記事はお休みさせていただきます。

                      欠かさずチェックして下さっている方々、済みません。また、いつもありがとうございます。

                      しかし、こういう日こそ、どなたか書き込みして下さらないものかなどと、都合の良いことをつい考えてしまいます。

                      何せ「書き込み寺」などと大そうな看板を掲げているもので・・・。

                      そう、このサイトの主旨は、本来「皆さんに何でも気軽に書き込んでいただく」というものなんです。

                      ということで、今後ともよろしくお願い申し上げます。

                      | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 00:00 | comments(0) | - |
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