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雪が降ると面白い?
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    昨日に続き雪掻き、というより、家の北側に面した路地の路面凍結を除去しました。(放っておくと一週間以上凍ったままの可能性が有ります。)
    家は角地に在るので、敷地の東側と北側が道路に面しています。そのうち東側の道路が住宅地を貫く片側一車線ずつの主要な通りで、北側が車線の無い路地に該当します。
    今回の雪は比較的短時間だったので、今朝には東側はほぼ元通りの状態で手間要らずでしたが、北側は日当たりが悪く、昨年も往生したので、今回は速やかに処理したという訳です。(前回は主要道路の復旧に手が掛かり、路地までなかなか手が回らなかった事情が有りましたが・・)
    それと、家のガレージは東側に面しているので、個人的には年間通して北側の路地を利用する頻度は非常に少ないです。

    ところで何故こんな事を長々と書いているかということですが、東京の場合、雪掻きは普段は想定されていない特別なものであるため、地域や近隣との間の作業に対する共通の認識や、分担に関わるルールや助け合いの仕組みなどが有って無い様なものです。しかも結構な時間と労力が必要とされる作業なので気軽に出来るものでも無いらしく、結局のところ積もった雪の処理をめぐって、それぞれの家の考え方や捉え方、或いはおそらくは高齢のため「やりたくても出来ない」などの、普段は目立つ事のないような様々な諸事情が見えてきたりするものです。
    要するに対応は各戸まちまちで、近隣に於ける統一的な目標や行動は皆無な訳です。

    そのような中で私がどのように考え行っているかというと、まず道路の内、自宅が直接面する範囲の確保。中でも最優先が主要道路の確保です。(ここにはうちのガレージも有ります。)その際、自分の車の出し入れに必要な範囲は、仮に他人の家が面している部分であっても黙ってやってしまいます。(前回は相当な範囲になりましたが・・)その後、自分は利用しない路地部分に掛かります。そこには他の家々のガレージもあるので、道義的にはなるべく速やかにやりたいのですが、まず自宅のライフラインを優先させなければならないので止むを得ません。
    その次に自宅周辺の子どもの通学路の確保、車や自転車の行き来の際、危険を感じる部分など、余裕があれば範囲を拡げていきます。(そんなこんなで昨年は連続二週間以上雪掻きしていました。)

    何れにせよ、雪掻きとは自分と周囲の安全、安心を確保するためのものです。まして誰に強要されるものでもなく、自発的に自らの信じる安全、安心のイメージを実現させるため、他人に関わりなく黙々と実行する心境というのもこれまた悪く有りません。
     
    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 13:23 | comments(0) | - |
    今日は朝から雪かきです。
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      私の住まいする八王子市も、明け方よりそこそこ降り続いているので、「降り止んでから・・」などと考えず、まめに掻いています。(経験上その方が楽だと思っています。)
      そのような事で、今日はまとまった記事が書けそうに有りません。

      ところで、「東京は滅多に雪が積もらない」というのは、個人的には既に「過去の固定観念」かと思っています。近年の世界的な気候変動の一環かと思うのですが、何らかの気配を感じたら、確証云々ではなく、速やかに「固定観念を更新」した方が良いと思います。それが例え「自分にとって都合の悪いこと」であっても、「備え有れば憂い無し」に優る格言はそうそう見当たらないように思います。それが「先手必勝」ということなのではないでしょうか。

      それでは皆さん、足元に気を付けて。
      | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 10:49 | comments(0) | - |
      「腹を立てること」と「頭に来ること」は違う。 その2
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        前述の如く「腹を立てる」ということは、その人の「基本理念」の在りかた次第では、将来に備えた実行計画のための「動機」となり得るものと言えます。それは「理不尽」という感覚に正当性が有り、少なくとも自らの欲得とは言えない部分での「憤りや怒り」であって、なおかつ「何とかしたい、何とかしなければ」という強い思いを伴う場合です。
         そのような「腹の立て方」の場合、それはあくまで動機(=スターター)としての役割に過ぎず、事は程なく「理性」に引き渡されることとなり、より良い実行計画が理性主導の下に立案され、実行されることになります。このような際、感情は実行計画そのものの根拠として「下支え」的な存在であって、実行の主役はあくまで「理性」が司ります。

        このように「憤りや怒り」の感情は、そもそも「大きな改革や変革」のために必要な「起点」としての役割を担うものですので、決して「怒ってはいけない」ということではありません。
        しかし、ただ「怒っていれば良い」というものではなく、前述のように真っ当に「腹を立てる(=構えを持つこと)」によって「より良い自分作り」から、更には「より良い社会作り」のためのエネルギーをもたらし、それを有効に活用する、というのが正しい理解の仕方と思われます。

        ここでのポイントは「上手な怒り方」「上手な腹の立て方」ということであろうかと思います。
        そのためには「基本理念の見直し」「自分の損得勘定を含めない」「頭に来ない」「自他共に良いこと」など、常日頃の心がけが最も重要です。
        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:49 | comments(0) | - |
        「腹を立てる」ことと「頭に来ること」は違う。
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          この両者は、国語的な意味合いに於いても異なるものとされていますが、ここではそれを問題にしている訳ではありません。

          まず両者の「似ているところ」と言えば、何がしか「理不尽」を感じた時に「感情」の作用によってもたらされる感覚や状態ということでしょうか。それも「考えた末」に起きるものでもなく、どちらかというと「条件反射的」な場合が多いと思います。と、いうことは、どちらも当人の「基本理念」が関与していると見て良いでしょう。となれば、当然、各人の「基本理念や思想の違い」によって、腹を立てたり、頭に来たりするポイント(=ツボ)に相違があるということになります。

           

          次に、「両者の違い」についてですが、まず「頭に来た」場合、文字通り頭がカーッとして、顔が赤くなり、頭に血が上る感覚を伴います。甚だしい場合には、怒りで全身に震えが生じたりすることもあり、完全な戦闘モードと言えます。これは理性と感情の内の「感情の比率」が理性をはるかに凌いでいる状態ですから、適切な制御が難しい状態でもあり、行動面で「より良い選択」がなされる可能性は低く、むしろ「闇雲に怒りをぶつける」方向に力が働くため、更なる不利益をこうむる場合も少なくありません。そのような理由から、「頭に来た」時には一旦その場を離れるなどして「理性を呼び戻す努力」が肝要かと思われます。

           

          それに対して「腹が立つ」という感覚は、文字通り腹部に覚えるものです。(腹部に脳ミソがあるのか?という論点はここでは論じません。)それに「頭に来る」時のように、いきなりピークに達するようなものでもありません。そればかりか、ピークまで数ヶ月を要する、といった場合すらありますので、爆発力というよりは、むしろ内燃機関的なイメージかも知れません。

          そもそも「腹を立てる」とは、来たるべき急場に備えて「構えを持つ」的な意味合いのものだと思われます。似たような使い回しに「腹が据わる・腹を据える」があり、より積極性を打ち出す「攻めの姿勢」として「腹を立てる」必要があるとも言えます。

          続きは次回に。

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:40 | comments(0) | - |
          先ほど当ブログ上部にある説明文を修正しました。
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            当ブログの場合、お悩み事や疑問、質問等をコメント欄に書き込んで頂く訳ですが、その際いきなり個人名や特定の団体名などが記載される事もあろうかと思います。(実際ありました)

            これは思えば当然のことで、このような形で書き込みされる方々の心境として、相手方や第三者のプライバシーを考慮する余裕など無いはずですから、むしろそれが自然のことなのだろうと考えます。

            しかし、相談者ご本人は元より、すべての方々のプライバシーは最大限尊重されるべきかと思われますので、今回、コメントを書き込む際の制限事項として、法に触れるような内容に加え、他人の個人名などプライバシーが不用意に明かされないための配慮をお願い致しました。

            もちろん、その責任は管理者たる私が負いますので、公開が適切でないと判断した時点で、「非公開設定」などの処理をさせて頂きます。但し、決してコメントそのものの持つ意味や価値を否定するものでは有りませんので、内容については、従来どおり誠意を持って対応させて頂きます。

            以上、よろしくお願い申し上げます。

            | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 10:12 | comments(0) | - |
            まず「相手の身になって」物を考えて欲しい。
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              昨今大方の人は他人と相対した時、まず自分を主張することから始めると思う。少なくともそういう積もりで場に臨む。そしてそれが正しい在り方と信じている節がある。
              何故なら欧米人のように「きちんと自分の気持ちを相手に伝えよう」と教育されてきたからだと思う。そして、それがうまく出来ないことが従来の「日本人の欠点」で、国際(=欧米)社会から立ち遅れる原因であるかのように教えられてきたからだ。
              合理的に考えれば、そういうことかも知れない。「相手は相手で自分側の主張をすれば良い」のだから。そうやって双方の主張を明確にした上で問題点をあぶり出し、主張をぶつけ合い、相手から譲歩を引き出し、合意点を探るという定番の流れとなるのだろう。

              ここには「元々、他人とは異質で相容れないものだ」という基本理念が在るように思う。つまり他人とは「火花を散らすようなぶつかり合い無しには合意出来ようはずも無い存在」ということなのだと思う。これは言い換えれば「全く信じていない」し、「全く愛せない」存在ということになる。極端なようだが、協定や合意という「縛り」によって、かろうじて保たれるような薄っぺらな関係に過ぎないということだ。
              つまり「きちんと自分の気持ちを相手に伝えなければならない環境」とは、「相手の善意が全く期待出来ない環境」ということになる。そこでは「相手の気持ちをおもんぱかる(=慮る)」必要すらないということなのだろう。

              翻って、昨今の国際情勢を鑑みるに、どこの国も、誰もかれもが「自分たちを守る事のみに汲々としている」としか思えない。そのようなことで問題解決や情勢の改善など、あろうはずも無いと思う。
              その一番の原因は何をさて置いても、まず「真っ先に自分たちの立場や主張を表明してしまう」事にある。つまり、それをしないと「弱腰」と受け取られてしまうという懸念があるのだろうが、自分はそうは思わない。本当に度量の大きい人(国)なら、何をさて置いても相手の話に耳を傾け、相手の主張を十分に理解しようと努めるはずだ。そしてそこには、「愛」が在り、「信頼」が在るはずだ。

              故に、日本政府もこのところ何かと欧米流に「我が国の国益に適うとか、国益に悖(もと)るとか」という表明をしたがるところは、余り国としての品格が感じられない。少なくとも一昔前までは、余り耳慣れなかった言葉だ。
              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:10 | comments(0) | - |
              「ごはんは全部食べる」という話
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                普通に朝ごはんを食べる時、テーブルに並べられた何品かの料理をセットで「朝ごはん」と云います。つまり、それらを全て食べ切ることで、ちょうど良いカロリーや栄養が取れるように作られているはずです。
                しかし、その中には自分の好きなものもある代わりに、そうでもないもの、また嫌いなものも混じっているかも知れませんが、とにかく「その日のエネルギーと健全な発育」のためには、残さず「全部食べる」のが良いに決まっています。

                ところで、この事は何も「ごはん」に限ったことでは有りません。
                その日「1日の生活」を「1食のごはん」に例えた時、自分に与えられたこと、自分の身に起きたこと、自分が関わったことなどの全ては、ちょうど料理の一品一品に例えることが出来ます。
                そして、それらを「全部食べる」ということは、「全てに対して一生懸命がんばった」ということだと思いますし、「好き嫌いで残す」ということは、「苦手なことから逃げたり、嫌いなことをいい加減にやった」ということになります。

                この「ごはん」と「1日の生活」で共通して言えることは、どちらも「自分自身の将来、未来に大きく関わってくる」ということです。何故なら、1食のごはんに含まれる栄養が、将来に必要なエネルギーや体作りに必要であるように、「1日の生活」というメニューには、「将来に必要な心身の発育、成長」を促すための要素(=栄養)がいっぱい詰まっているものだからです。
                ですからもし、「自分の好き嫌いで残すこと」を当たり前にしてしまうと「自分の将来や未来を作る力」が足りなくなり、やがて大変に困った事態が生じて来ることになります。

                これを一言で表すと、「自らに関わる物事(ものごと)を匙加減(さじかげん)してはいけない」となります。
                 
                | 青少年の味方の人 | 大人になるための大事なこと | 09:29 | comments(0) | - |
                サイドメニューの「+LINKS」更新しました。
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                  記事の更新に忙しくて今まで全く気が回らなかったので、ずっとデフォルト設定のままでしたが、新ホームページの開設に伴い、リンクを貼らねばと思い立ち、更新しました。

                  ついでに自分の音楽関係のページ(HAL2nd.〜)も貼って置きますが、特にこちらの主旨と内容的にリンクしているわけでも有りませんので、どうするべきか少し迷いました。特にサイトの基調が「黒」なので、イメージ的に違和感があるかも知れませんが、何れにしても「光と闇」は「表裏一体」なものなので、扱う音楽的題材によってはそういう事も有りだと思っています。(別に私自身が心に闇を抱えている訳では有りません。)

                  因みに、個人的には生命力を象徴するような「みどり色」が好きです。
                  | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 10:03 | comments(0) | - |
                  世の中ささくれ立っている感じがします。
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                    ひと昔前は「せちがらい世の中になった。」などと、よく言われていました。「温かみが乏しい」とか、「関わりが薄い」とかいう意味合いだと思うのですが、近年はそれに加えて、他人に対して怒りや憎しみを平気で顕(あら)わにする傾向が増えてきているのかも知れません。
                    どちらも自分のことでいっぱいいっぱいで「余裕が無い」ことに変わりはないのですが、以前は(他人に構わず)自分だけ守りに入れば「守り切れる」状態だったのが、近年ではそれすら適わず「ヤケクソ」に近い状態にまで追い込まれた結果、凶暴性を帯びてきているのかも知れません。

                    しかし自分の境遇に直接関係のない他人を攻撃しても、境遇が改善される訳では全く有りません。そればかりか、いっとき「ザマア見ろ」的な麻薬効果があったとしても、そのような自己破壊的な言動は、境遇の悪化を更に加速させる以外の何物でも有りません。そんなことは分かり切っているのに何故、平然と周囲に当り散らしたり迷惑行為に及んだり出来るのかと言えば、実はそこにはちゃんとした「それなりの論理」があるからです。

                    例えば追い込まれたことを自覚した人が、「自分だけ不幸なのは面白くない。こうなったらみんなにも不幸になってもらおう」などという気持ちになることは良く有ります。いわゆる「死なばもろとも」的なものです。
                    ではこのような人が、自分が恵まれている時に「自分だけ恵まれているのは心苦しい限りだ。みんなにも幸せになってもらおう」と考えるかというと、多分そんなことは有りません。仮にそのように考える人がいたなら、その人は自分の境遇が良くないからといって、「他人を道連れにしよう」などとは決して思わないでしょう。

                    つまり世情がどうであれ、人の気持ちがささくれ立っているのは、その人固有のものであり、もし世間全体がささくれ立っているように感じるとすれば、世間にはそのような基本理念の持ち主が「思いのほか多かった」ということだと思います。
                     
                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:57 | comments(0) | - |
                    ホームページ作りもだいぶ軌道に乗ってきました。
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                      カテゴリーの中の「大人になるための大事なこと」を、ホームページの方では「青少年向けのお話」とさせて頂き、現在40タイトルが閲覧可能となっております。
                      とにかくお金を掛けずに全てフリーソフトによる「手作り感満載」のホームページなので、当初はもしかすると不具合があるかも知れませんが、発見された方はご報告を頂けると助かります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

                      かまた

                      http://kakikomi-dera.main.jp/ ←ホームページはこちら
                      | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 11:55 | comments(0) | - |
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