2015.07.31 Friday
理性と感情の正しい比率とは
これは7:3と認識しています。6:4では心許(こころもと)なく、5:5では危ういと思われます。危ういとは、行為、行動が物事の道理を逸脱する可能性が高いということです。
しかし、そうは言ったものの、そもそも目標値である7:3とは具体的にどのような心境であり、人としてどのような状態かイメージ出来なければ努力のしようが有りません。
その一方で「理性の比率が下がるとどうなるか」については、大方察しが付きます。例えば「わかっちゃいるけどヤメられない」とか「全然ワカッテない」とか「モノに凝り固まる」とか、要するに「優先順位や価値感が道理から掛け離れる方向」に向かいます。この場合の「道理に反する」とは、「生有るものが自らを生かす方向に向かわず自ら死の方向に向かう」とか「建設を目指さず破壊を目指す」とか「幸福を選ばず不幸を選ぶ」といったようなことで良いと思います。これはそういう自覚の有る無しに関わらず、そもそも意識がそこまで及んでいないこと自体が、理性の比率の低下を示していることになります。
そこで改めて7:3について考えて見ると、その人は常に安定して「自らを生かし(=活かし)、建設的に行動し、幸福に至る道を選ぶ」ということになります。こういう人はさぞかし「生真面目」で「神経質」で、とても冗談を言ったりふざけたりしそうに見えないかと思いきや、そんなことは全く無く、極めて明るく温厚で面白可笑しい人かも知れません。何故なら理性によって安定的に維持されるべき「価値感や優先順位」は、全て内面の心柄を保つためのものであって、必要も無いのに外面を装ったり形式を定めたりするためのものではないからです。
つまり感情を存分に働かすことで、冗談も言えば物に興じたりも十分に出来ますが、それによって人の道を踏み誤ったり、自分の目的や目標から逸脱することの決して無い状態が7:3ということです。
このような誤解は「理性によって感情が萎縮する」といったような誤ったイメージによって引き起こされますが、実際は感情が萎縮するのでは無く、単に「理性が強靭になる」ということです。
しかし、そうは言ったものの、そもそも目標値である7:3とは具体的にどのような心境であり、人としてどのような状態かイメージ出来なければ努力のしようが有りません。
その一方で「理性の比率が下がるとどうなるか」については、大方察しが付きます。例えば「わかっちゃいるけどヤメられない」とか「全然ワカッテない」とか「モノに凝り固まる」とか、要するに「優先順位や価値感が道理から掛け離れる方向」に向かいます。この場合の「道理に反する」とは、「生有るものが自らを生かす方向に向かわず自ら死の方向に向かう」とか「建設を目指さず破壊を目指す」とか「幸福を選ばず不幸を選ぶ」といったようなことで良いと思います。これはそういう自覚の有る無しに関わらず、そもそも意識がそこまで及んでいないこと自体が、理性の比率の低下を示していることになります。
そこで改めて7:3について考えて見ると、その人は常に安定して「自らを生かし(=活かし)、建設的に行動し、幸福に至る道を選ぶ」ということになります。こういう人はさぞかし「生真面目」で「神経質」で、とても冗談を言ったりふざけたりしそうに見えないかと思いきや、そんなことは全く無く、極めて明るく温厚で面白可笑しい人かも知れません。何故なら理性によって安定的に維持されるべき「価値感や優先順位」は、全て内面の心柄を保つためのものであって、必要も無いのに外面を装ったり形式を定めたりするためのものではないからです。
つまり感情を存分に働かすことで、冗談も言えば物に興じたりも十分に出来ますが、それによって人の道を踏み誤ったり、自分の目的や目標から逸脱することの決して無い状態が7:3ということです。
このような誤解は「理性によって感情が萎縮する」といったような誤ったイメージによって引き起こされますが、実際は感情が萎縮するのでは無く、単に「理性が強靭になる」ということです。