2015.11.30 Monday
霊界に(元々)在るもの無いもの
「霊界」というのは「実相の世界」であって、そこでは、私たちが今いる「現界」では(故意や偶然、必然を問わず)判明しにくいことや、未だ結果としての形に表れていないために認識出來ないことの全てが常に明確に示されていますが、まずは「霊界に(元々)在るもの無いもの」が解りさえすれば、「現界」に於いて「何が正しくて何が間違っているか」が自動的に解るということがあります。
どうして「元々」という但し書きが必要かというと、もしそのようなものであったなら、それが間違いなく私たちにとって「最良のもの」と言えるからです。それに対して「後から霊界に生じたもの」の中には、現界の「好ましくない結果」を受けて形成されたものなども有り、それらは「贖うべき対象」として存在していることになりますが、何れにしても、「在るのか無いのか、そしてもし在るとすれば、それはどのような意味を持ったものなのか」が詳(つまび)らかにされているのが「霊界」の特徴です。
つまり何らかの方法で「霊界の今」を知ることが出来れば、例えば大きな視野では「今後の世界情勢や社会の趨勢(すうせい)」、身近なところでは「自分自身の身の振り方や計画の立て方」と、およそ何でも分かってしまうことになります。しかし、こんなことが本当に可能なのでしょうか。
これは結論から言えば、「天性の霊的素質とそれに見合う高度な霊層段階を併せ持った一部の霊能力者」に於いては、その能力を活用する資格を有するかも知れません。しかし肝心なことは、人間は本来誰にでも備わっている「理性と良心」の働きを以ってすれば、自らの人生を「過たず生きる」事が可能とされているのです。何故なら(以前にもお話した通り)それらの働きによって「必要十分な霊界との交信」が為される仕組みになっているからです。ですから前述の「一部の霊能力者」に関しては、(その能力は)それとは別の目的に使われることになります。
ところで最近もニュースで取り上げられましたが、「霊感」とか「霊能」と聞くだけで一気に「如何わしさ」が漂って来るのは事実ですが、これは実際、昔からその界隈には「如何わしい人」が多いためです。何故そうなるかと言うと、「元々証明出來ない話なので証明する必要が無く、こうだ!と言い切ってしまえばいいだけの世界」だからで、大体は脅しまがいの「予言」とセットになっていて、「このままでは大変な事になる」「このままでは恐ろしい事が起きる」「このままではあなたは死ぬ」などの手法は、良く考えれば「振り込め詐欺」と何ら変わりません。また、助けると称して「高額の金品」を要求するのも不自然でしょう。
そこでこの際、本物の「霊能(力)者」に成り代わって名誉回復のために申し上げておきますが、皆さんも知っておくと(偽物に)騙されずに済むかも知れません。
霊能者は多くの場合、確固たる信仰心の持ち主では有りますが、宗教法人としての規模や体裁にはこだわらないものです。また、自らの使命として霊能を行使するため、人助けの行為に対してビジネス(=商売)として報酬や謝礼を要求することも有りません。但し感謝の気持ちを神仏に供える意味での奉納や玉串は拒みませんが、額面に決まりを設けないのが普通です。つまり霊能に対する対価は存在しません。
また、霊能の行使や助言、進言に際しては、相手の状態に応じて霊能者側で適切と判断された分のみ提供し、悪影響が生じないよう最大限の配慮が為されます。基本的には「霊的」という証明の困難な媒体を、経験値を主体とした「原因と結果」という体感出来る形に還元し、それを丁寧に積み重ねる方法で「霊的理解」の道筋を付けていきます。
また、助力は必要としても、最終的には自力での立て直しを目標とするため、脅しによって依頼心や依存心をことさら煽る事自体が主旨に反するが故、そのようなことは起こり得ません。
何れにしても「霊層が高いこと(=豊かな人間性)」が霊能者の絶対条件のひとつであることからして、正しい意味に於ける「霊的能力」とは「豊かな人間性の延長線上にあるもの」と考えて間違い有りません。
どうして「元々」という但し書きが必要かというと、もしそのようなものであったなら、それが間違いなく私たちにとって「最良のもの」と言えるからです。それに対して「後から霊界に生じたもの」の中には、現界の「好ましくない結果」を受けて形成されたものなども有り、それらは「贖うべき対象」として存在していることになりますが、何れにしても、「在るのか無いのか、そしてもし在るとすれば、それはどのような意味を持ったものなのか」が詳(つまび)らかにされているのが「霊界」の特徴です。
つまり何らかの方法で「霊界の今」を知ることが出来れば、例えば大きな視野では「今後の世界情勢や社会の趨勢(すうせい)」、身近なところでは「自分自身の身の振り方や計画の立て方」と、およそ何でも分かってしまうことになります。しかし、こんなことが本当に可能なのでしょうか。
これは結論から言えば、「天性の霊的素質とそれに見合う高度な霊層段階を併せ持った一部の霊能力者」に於いては、その能力を活用する資格を有するかも知れません。しかし肝心なことは、人間は本来誰にでも備わっている「理性と良心」の働きを以ってすれば、自らの人生を「過たず生きる」事が可能とされているのです。何故なら(以前にもお話した通り)それらの働きによって「必要十分な霊界との交信」が為される仕組みになっているからです。ですから前述の「一部の霊能力者」に関しては、(その能力は)それとは別の目的に使われることになります。
ところで最近もニュースで取り上げられましたが、「霊感」とか「霊能」と聞くだけで一気に「如何わしさ」が漂って来るのは事実ですが、これは実際、昔からその界隈には「如何わしい人」が多いためです。何故そうなるかと言うと、「元々証明出來ない話なので証明する必要が無く、こうだ!と言い切ってしまえばいいだけの世界」だからで、大体は脅しまがいの「予言」とセットになっていて、「このままでは大変な事になる」「このままでは恐ろしい事が起きる」「このままではあなたは死ぬ」などの手法は、良く考えれば「振り込め詐欺」と何ら変わりません。また、助けると称して「高額の金品」を要求するのも不自然でしょう。
そこでこの際、本物の「霊能(力)者」に成り代わって名誉回復のために申し上げておきますが、皆さんも知っておくと(偽物に)騙されずに済むかも知れません。
霊能者は多くの場合、確固たる信仰心の持ち主では有りますが、宗教法人としての規模や体裁にはこだわらないものです。また、自らの使命として霊能を行使するため、人助けの行為に対してビジネス(=商売)として報酬や謝礼を要求することも有りません。但し感謝の気持ちを神仏に供える意味での奉納や玉串は拒みませんが、額面に決まりを設けないのが普通です。つまり霊能に対する対価は存在しません。
また、霊能の行使や助言、進言に際しては、相手の状態に応じて霊能者側で適切と判断された分のみ提供し、悪影響が生じないよう最大限の配慮が為されます。基本的には「霊的」という証明の困難な媒体を、経験値を主体とした「原因と結果」という体感出来る形に還元し、それを丁寧に積み重ねる方法で「霊的理解」の道筋を付けていきます。
また、助力は必要としても、最終的には自力での立て直しを目標とするため、脅しによって依頼心や依存心をことさら煽る事自体が主旨に反するが故、そのようなことは起こり得ません。
何れにしても「霊層が高いこと(=豊かな人間性)」が霊能者の絶対条件のひとつであることからして、正しい意味に於ける「霊的能力」とは「豊かな人間性の延長線上にあるもの」と考えて間違い有りません。