2015.12.31 Thursday
今日は2015年の大晦日です。
このブログを初めてから1年4ヶ月ほどになります。当初は主に青少年を対象とした「相談窓口」として考えていましたが、結局「大人の気付きや目覚め無くしては子どもたちは浮かばれない」というある意味「分かりきった話」に沿うべく、謂わば「子どもたちの為の大人向けサイト」という色合いが強くなって来たかと思います。
特に大人に依らず子どもに依らず、疑問や質問には100%お答えする事を目指しています。そして、それを可能にするための根拠は「学問や知識」などではなく、あくまでも「経験値」であるとの信念は、この40年間いささかも変わっていません。人によっては「一人の人間がそんなにオールマイティな経験値を持ち得るものか」と疑われる方がおられるかも知れませんが、思えば私の人生そのものが「それを証明したいがための人生」であったのかも知れません。もちろん「人間」である限りは当然の如く限界もあるのでしょうが、しかし、人間の「本当の限界」というものが一般的理解や認識の「遥か先にある」というのも、また真実なのです。そういう意味ではむしろ「生半可な科学的知識が人間としての可能性を過小評価し、自らを矮小化している」というのが私たちの現状と言っても過言では無いと思います。
ところで2016年は物事の「起承転結」になぞらえるなら「転」に相当するのではないかと思っています。「転」とは「転ぶ(=転倒する)」という意味かも知れません。しかし「転ばなければ学べない」というのであれば、転ぶしかないでしょう。何故なら、誰しも「学ばなければ正しい結論に至れない」からです。つまりこれは「既に学んでいる人は転ばずに済むかも知れないが、これから学ぼうとする人はひどい転び方をするかも知れない」ということですので、とにかく「大難が小難、また小難が無難」である内に「いち早く学んでその時に備える」というのが来年一年を通じて重要な心構えではないかと思います。(私ならそうします。)一番まずいのは「転んでも学ばない人」です。その人はもう後が有りません。
最近ようやく解ったことが有ります。それは「人間には表九千裏九千、裏表合わせて一万八千の思想が有る」という言葉の意味するものです。40年間解らなかった謎(奥義)が「(必要に応じて)唐突に解る」という事もあるのです。即ちそれが「人間」というものだと思います。
ということで、本年もありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。
特に大人に依らず子どもに依らず、疑問や質問には100%お答えする事を目指しています。そして、それを可能にするための根拠は「学問や知識」などではなく、あくまでも「経験値」であるとの信念は、この40年間いささかも変わっていません。人によっては「一人の人間がそんなにオールマイティな経験値を持ち得るものか」と疑われる方がおられるかも知れませんが、思えば私の人生そのものが「それを証明したいがための人生」であったのかも知れません。もちろん「人間」である限りは当然の如く限界もあるのでしょうが、しかし、人間の「本当の限界」というものが一般的理解や認識の「遥か先にある」というのも、また真実なのです。そういう意味ではむしろ「生半可な科学的知識が人間としての可能性を過小評価し、自らを矮小化している」というのが私たちの現状と言っても過言では無いと思います。
ところで2016年は物事の「起承転結」になぞらえるなら「転」に相当するのではないかと思っています。「転」とは「転ぶ(=転倒する)」という意味かも知れません。しかし「転ばなければ学べない」というのであれば、転ぶしかないでしょう。何故なら、誰しも「学ばなければ正しい結論に至れない」からです。つまりこれは「既に学んでいる人は転ばずに済むかも知れないが、これから学ぼうとする人はひどい転び方をするかも知れない」ということですので、とにかく「大難が小難、また小難が無難」である内に「いち早く学んでその時に備える」というのが来年一年を通じて重要な心構えではないかと思います。(私ならそうします。)一番まずいのは「転んでも学ばない人」です。その人はもう後が有りません。
最近ようやく解ったことが有ります。それは「人間には表九千裏九千、裏表合わせて一万八千の思想が有る」という言葉の意味するものです。40年間解らなかった謎(奥義)が「(必要に応じて)唐突に解る」という事もあるのです。即ちそれが「人間」というものだと思います。
ということで、本年もありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。