2016.01.31 Sunday
NWO(新世界秩序)について
本日は例に依って、私が別のブログにアップした記事を転載致します。
(転載開始)
前回の記事で「NWO」計画は成就しない旨の予測を示しました。これは「グローバルエリート」即ち世界的な特権階級の人々による数世代にわたり入念に仕組まれた遠大な計画との事で、直ちに全貌を把握する事は困難かも知れませんが、存在自体は少しずつ明らかにされてきているというところだと思います。
ところで以前から気になっていたのですが、それはこの計画の断片を垣間見る度に、私の知るところのものと「良く似ている部分」があることです。(場合に 依ってはソックリと思わせるものも有ります。)この感じは一体何だろうと不思議だったのですが、やっとその意味が理解出来ました。(それと言うのも、私が 今までNWOの存在自体にさして関心を持たなかったのが、理解を遅らせた原因ですが。)
NWOの特徴として「一見すると理に適ったものである様に思える」という事が有ります。また、それに携わる人々からして「欲得」で動いていると言うよりも、「使命と感じて沈着冷静に行動している様に見える」という特徴も有るように思えます。実際そうなのかも知れませんが、ではそれで良いのかと問われれば 「何かが決定的に足りない」いや、完全に「欠落している」と言わざるを得ません。「何が?」と問われるなら、それは「愛(=人間性)」です。実は「理」とは「愛」による裏付けがなければ「理」と呼べないものなのです。(それは単なる薄っぺらな合理主義に過ぎません。)
つまりNWOの実体は「合理的かも知れないが、理に適わない薄っぺらな計画」という事となり、そこに集う人々は「その事も理解出來ないほど人間性(=愛)の欠落した人々」という事になります。
そして、この計画は明らかに「霊界の計画を模倣した、似て非なるもの」であるという事が出来ます。実は「悪魔が霊界の計画や技術を先取りする」事はしばしば起きています。「原子力理論」などもそうですが、元々は「完全に無害で安全な平和利用」のために用意されていたものですので、将来は必ずそうなるでしょう。
このようにNWO計画も、人々が「善悪の判別が付きにくく混乱する局面で一時的に台頭する」怖れは有るにしても、所詮は偽物として淘汰されるでしょう。何故なら、人間性の欠落した人々に「世界を主導する資格」が与えられようはずも無いからです。
(転載終わり)
上記の記事に対して二点ほど追記したいと思います。
まず、知って頂きたいのは「悪魔は嘘をつく」と言うことです。しかも、それまで散々信用させておいて、土壇場で物事を引っくり返すのが得意です。大悪魔であればあるほど信用させるエサもネタも豊富で、嘘そのものを見破る事は困難です。それもそのはずで、ほとんどのネタが「霊界から盗んできたもの」に基づいているからです。つまり、悪魔は最初から「土壇場でひっくり返して致命傷を負わせる事」が目的なので、「悪魔を信じる」行為自体が「完全な自己矛盾」以外の何ものでも無い事を推して知るべしです。繰り返しますが、「悪魔は悪魔的な人間のパートナーでは無く、悪をエサに悪魔的な人間を狩り集めてまとめて葬り去る」事を目的としています。
それともうひとつ、「沈着冷静」は人間の「理性」の表れという評価は誤りでは有りませんが、「似て非なるもの」として「憑依され操られた状態」が有ります。取り分け大悪魔の場合、カモフラージュのため「擬似的な人間性」を演出する事もしばしば有りますが、本物(の人間性)を知っている人であれば、その違いは歴然としています。しかし今の時代、「本物の人間性」に出会う機会もめっきり減ってしまった中では、見誤る人が意外に多いのかも知れません。その意味でも「社会に於ける人間性の回復」が最重要な喫緊の課題と思われます。
(転載開始)
前回の記事で「NWO」計画は成就しない旨の予測を示しました。これは「グローバルエリート」即ち世界的な特権階級の人々による数世代にわたり入念に仕組まれた遠大な計画との事で、直ちに全貌を把握する事は困難かも知れませんが、存在自体は少しずつ明らかにされてきているというところだと思います。
ところで以前から気になっていたのですが、それはこの計画の断片を垣間見る度に、私の知るところのものと「良く似ている部分」があることです。(場合に 依ってはソックリと思わせるものも有ります。)この感じは一体何だろうと不思議だったのですが、やっとその意味が理解出来ました。(それと言うのも、私が 今までNWOの存在自体にさして関心を持たなかったのが、理解を遅らせた原因ですが。)
NWOの特徴として「一見すると理に適ったものである様に思える」という事が有ります。また、それに携わる人々からして「欲得」で動いていると言うよりも、「使命と感じて沈着冷静に行動している様に見える」という特徴も有るように思えます。実際そうなのかも知れませんが、ではそれで良いのかと問われれば 「何かが決定的に足りない」いや、完全に「欠落している」と言わざるを得ません。「何が?」と問われるなら、それは「愛(=人間性)」です。実は「理」とは「愛」による裏付けがなければ「理」と呼べないものなのです。(それは単なる薄っぺらな合理主義に過ぎません。)
つまりNWOの実体は「合理的かも知れないが、理に適わない薄っぺらな計画」という事となり、そこに集う人々は「その事も理解出來ないほど人間性(=愛)の欠落した人々」という事になります。
そして、この計画は明らかに「霊界の計画を模倣した、似て非なるもの」であるという事が出来ます。実は「悪魔が霊界の計画や技術を先取りする」事はしばしば起きています。「原子力理論」などもそうですが、元々は「完全に無害で安全な平和利用」のために用意されていたものですので、将来は必ずそうなるでしょう。
このようにNWO計画も、人々が「善悪の判別が付きにくく混乱する局面で一時的に台頭する」怖れは有るにしても、所詮は偽物として淘汰されるでしょう。何故なら、人間性の欠落した人々に「世界を主導する資格」が与えられようはずも無いからです。
(転載終わり)
上記の記事に対して二点ほど追記したいと思います。
まず、知って頂きたいのは「悪魔は嘘をつく」と言うことです。しかも、それまで散々信用させておいて、土壇場で物事を引っくり返すのが得意です。大悪魔であればあるほど信用させるエサもネタも豊富で、嘘そのものを見破る事は困難です。それもそのはずで、ほとんどのネタが「霊界から盗んできたもの」に基づいているからです。つまり、悪魔は最初から「土壇場でひっくり返して致命傷を負わせる事」が目的なので、「悪魔を信じる」行為自体が「完全な自己矛盾」以外の何ものでも無い事を推して知るべしです。繰り返しますが、「悪魔は悪魔的な人間のパートナーでは無く、悪をエサに悪魔的な人間を狩り集めてまとめて葬り去る」事を目的としています。
それともうひとつ、「沈着冷静」は人間の「理性」の表れという評価は誤りでは有りませんが、「似て非なるもの」として「憑依され操られた状態」が有ります。取り分け大悪魔の場合、カモフラージュのため「擬似的な人間性」を演出する事もしばしば有りますが、本物(の人間性)を知っている人であれば、その違いは歴然としています。しかし今の時代、「本物の人間性」に出会う機会もめっきり減ってしまった中では、見誤る人が意外に多いのかも知れません。その意味でも「社会に於ける人間性の回復」が最重要な喫緊の課題と思われます。