今朝のニュース番組で、(衆院TPP特別委員会理事を務める)自民党の福井照衆院議員が「この国会ではTPPの委員会で西川(公也)先生の思いを、強行採決という形で実現するよう頑張らせていただく。」とカメラの前で悪びれもせず誇らしげに語る映像を映し出されて 呆れ返ってしまった。しかも、なお悪いことには 、真意を記者団に問われて「この国会でどうしても採決したい、という総理の思いを申し上げたに過ぎない。」と、まるで「強行採決は(自分じゃなく)安倍総理の考えだ」と言わんばかりの弁解をしている。 何れにせよ審議前から「国会=強行採決有りき」という「完全におごり高ぶった風潮」が自民党に蔓延していると自ら吹聴している事に変わりは無い。
この場合何が「狂気」に該当するかと言えば、世の中で多数派がおごりを持つことはよくある事として、問題はそれを「俺たちはおごっているぞ〜」「数の力で好き勝手してやるぞ〜」などと自ら声高に喧伝して疑問に思わない、というところだ。
少なくとも物事には「建前」というものが有るのだから、「本音の部分の企み」は腹の中にしまっておいて、時が来るまで明かさないというのが成功率も高く、理に適っている。目的意識があれば尚更そうだ。が、昨今の国会議員には(そういう認識すら持てず)ただ「人前で威勢の良い啖呵を切ってスッキリしたい」だけの、ある意味「夢も希望もない」面々が多過ぎ、皮肉な事にその人材に事欠かない状況だ。
これは何も国会議員だけの話ではなく、完全に社会現象化していて、その根幹には常に稚拙な「自己顕示欲」があるように思われる。しかし現実には「何でもいいから目立てばいい」という発想の先には「目立つ→叩かれる→落ちる→埋もれる」といった具合に、当人たちの最も恐れる「社会で埋もれる」結果しか論理的に有り得ない。
「目立つ」とは本来「目立とうとして目立つ」ものではなく、「地道な努力に対して多くの人々の評価が得られた結果」でしかなく、求めるものでも拒むものでもない「完全に受動的なもの」であり、肝心な事は「中身がどうであるか」ということに尽きる。
こんな当たり前の事をわざわざ文字に起こして発信しなければならないというのも本当に情け無い限りだが、すべてはここ半世紀余りに亘る「教育の誤り」の結果だと思う。即ち「複雑さ」に翻弄され、「シンプルな人間の基本」を疎かにし続けて来た結果として、必然的に「狂気の時代」がもたらされたということだ。
となれば今、出来ることは一つしか無い。(他人はどうあれ)自分が「人間の基本」に立ち返って生き抜くことのみです。